連載「こころ」とは何か ⑦         ―三木成夫『内臓とこころ』―

逆に言えば私たちの周囲の「ことば」は、こうして作られ、伝えられてきたものであり、新しい命の心情の育成にとって、この「ことば」がどれほど大切か、と言うことだと思います。

それは、実は「こころ」の継承を、内部に秘めているのかもしれません。二歳から三歳までの言語修得の期間、これが、どれほど決定的な意味を持つものであるか、……。三木さんは、そう訴えます。

ですから、これは勘に類するのですが、私たち人間の「こころ」にとって、文字以前の、書き言葉以前の言葉というものは、非常に大事なのではないかと思うのです。

そこのところが現在では何となく早めに通り過ぎて行ってしまっています。いわゆる文字の学習、お勉強。

日本は、中国などに比べて、文字の発明が遙かに遅く、しかも漢字を借用してやっと表記ができるようになりました。

遅くなったことには、かえって「こころ」の豊かさというおまけがありはしなかったか、と思うのです。

なぜか、懐かしく感じられる縄文や弥生の「こころ」といったもの。

このあたりの究明は、迂遠なことですが、実は現代の「こころ」の問題のカギを解く、大事なところではないかなと考えられます。

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