連載「こころ」とは何か ② ―三木成夫『内臓とこころ』―

 三木成夫さんは、動物にも「こころ」はあると言っています。それは食べること、子どもを育てること、という二つの本能の間を往き来しながら、この本能を宿した内臓の動きにしたがって生きる、そのこと自体の中にあると言います。

 ですが動物の場合、その「こころ」が自分に意識されるということはないのです。人類も、「こころ」が目ざめる前は、全くこの動物状態だった時期があったはずです。原人の前の、猿人のあたりまではそうだったのではないでしょうか。

 三木さんの考えでは、人間もふくめた動物の内臓は、食と性の間を往き来しながら、生きて活動する際の主役で、目や耳、手足などの動物器官である体壁系は脇役にすぎないと言います。

 もっと言えば、内臓は小宇宙と言えるもので、天体の動き、自然の現象、その中のいろいろなリズムを内側に宿し、そのリズムに応じて働く機能を持っていると言います。三木さんはこれらのことから、「こころ」とは、「体に内蔵された食と性の宇宙リズム」を本態とする、あるいは、これが「こころ」の根源であると考えていたようです。

 もちろん、夜になると瞼が閉じるように、体壁系の諸器官にも宇宙リズムが宿っていて、そうしたリズムに従って活動していると言えるのですが、目先の出来事に左右されることも多く、純粋にこのリズムに応じているのは主に体の内臓だと言っています。

 この内臓の波動、内臓のうねりが、内臓の声となって大脳皮質にこだまする。「こころ」の初源とはこれだというわけです。

 ちなみに、腸管の入口である口腔や、出口にあたる肛門部を除いては神経のはりめぐらしが行き届いていないので、内臓不快、つまり空腹や胃の病気などでもいいのですが、それらが引き金となって百八煩悩が生まれる仕組みになっていると三木さんは言います。

 胃が何を言おうとしているのか、正確に大脳皮質に反映しない、煩悩のようにしか顕現されない、ということなのでしょう。いずれにしても、内臓が「こころ」に強い影響力を持っていることが、ここまで述べてきたことから分かるのではないでしょうか。

 さて、自分の「体に内蔵された食と性の宇宙リズム」というものへの気づきは、やがて、脳の発達に促されてこれを「時の移ろい」として実感するようになります。

 食と性の推移を、季節の感覚として実感するようになって行きます。この時、いわゆる記憶という作用が、陰で活躍しているのでしょう。そしてこの記憶の実感を支えるのが、主として食と性の中心に位置する内臓、その内臓感受、だと三木さんは言います。

さらに、三十億年前の生命発生以来の記憶から、生後のごく最近の記憶までのよみがえりといった機能が働くようになって、「こころ」の現れは奥行きあるものとなって行ったとともに、多様になって行ったと考えられます。

 生物学的に言えば、もともと一本の腸管から派生した単調な器官にすぎなかった内臓系の諸器官に、筋肉や神経といった動物性の器官等が絡み合うようにして侵入し、植物的な営みをする内臓系と、動物的な営みの体壁系との相互連絡、干渉が起こるようになりました。

 それに付け加えて、神経の中枢である脳の高度に複雑化した発達、遠隔感覚器の発達、直立の姿勢と手の働き等々が、人類における「こころ」の発生と、「こころ」が内外のすべてのものに広く開かれていったことの大きな要因です。

 こうした内臓器官への動物器官の侵入によって(植物性筋肉や植物性神経はこれです)、内臓と目や耳などの感覚器官との連絡が付き、外界の変化にもいちいち影響を受けるようになったと言います。

 特に人間の心臓において、例のドキドキするという現象は、このことを端的に表す目立った例です。これが大脳皮質の表面に浮かび上がって、怖い、恥ずかしい、感動、などといった「こころ」の現れとして意識されるようになったと考えられます。もちろん、基本的には食と性から目ざめた「こころ」ですが、こうしてしだいにそれ以外の出来事にも「こころ」を動かすようになって行ったのです。

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