”伝えたい”に行きつくまで

「嫌なことがあるならちゃんと口で言いなさい。」
むすっと不機嫌になるとよく言われた。

思っているモヤモヤを言葉に表すことなんてできなかった。
頑張って言葉にしたところで伝わらない。
言葉を上手に操られる人に丸め込まれる。

何のために言葉なんてあるのだろうか。

小さい頃からマイノリティ。
使っている言葉の意味でさえ他の人と違うことも多い。
褒めているつもりで話していても傷つけて、勝手に深読みして傷ついて。
自分の伝えたいこと、相手に伝わる言葉を選び、傷つける可能性のある言葉は避け、何なら・どの言葉ならその条件に当てはまるのだろうか?そんな言葉私の語彙の中に存在するのだろうか?
傷つける可能性があるならば言葉なんて使わない方が良い。
ほとんどしゃべらなくなった時期もあった。

思っているだけじゃ人間には伝わらない。
空気を読むのが得意な日本人でさえ伝わらない。
頑張って言いにくい自分の思っていることを伝えたけれど、受け入れてもらえなかった。何も解決しなかっただけでなく、相手を悲しませて、自分も悲しく傷つくだけの会話。伝えようとしない方が良かった、そしたら自分がモヤモヤしたままだけで済んだのに…。
変わらないと思って一歩踏み出したけど、結果として私を2歩下がらせた。

何かに感動して受けっとったことがたくさんある時、私は私の中にとどめてしまう。私が100感じているとしたら、私の少ない語彙の中から無理やりあてはめることで10になってしまう。もし、人に伝えらたら1になってしまう。私の感じていた膨大なものをちっぽけなものにしたくなかった、してほしくなかった。だったら、自分の中でたくさんのほわほわした温かい物のままでいて欲しかった。

なぜ言葉が存在するのだろう?
なぜ言葉はすたれないのだろう?
なぜ言葉で会話をするのだろう?
なぜ伝えたいと思うのだろう?

私にはインタビュー好きな友達がいる。
何の話ならしていいかわからない私にはとてもありがたい。
お互い一般的な感覚ではないと思っているから、一緒に過ごしやすい。
話を興味津々で聞いてくれて、誰もが見過ごしそうな些細なことやその時の気持ちまでも深堀してバンバン質問してくれる。その些細なことが私にとって結構大事なことだったりする。
久々に会い、質問攻めを受けて、普段の私の3か月分くらい話したのではないかなと思う。共鳴してくれたり、私と同じように思っている人もいた(マイノリティでそう思っている人もいるのだと覚えていたらしい)と教えてくれたり、きちんと考えすぎて行動できないんのだよねと言ってくれたり。「ふーん」と空気が通り過ぎたみたいな軽い反応ばかり受けてきた私の意見を、興味津々聞いてメモまで取ってくれていて、しっかり1つの意見として、むしろ1つよりももっと重めの貴重な意見として聞いてくれた。とても嬉しい。
話しても良いんだ、聞きたい人もいるんだ、マイノリティを待っている人もいるんだ。その友達のおかげで初めて自分の思いをアウトプットしてみたいと思えた。

伝えたいと思うこと、深く共鳴・理解したい・分かり合いたいと思えること、それが出来ることは、人間の特権なのかもしれない。
その時間を大切に出来るのも人間だけかもしれない。

私が私を取り戻して、素直に表現できるようになったら、
100感じていたものが50の言葉になり、10人に伝わるようになるのかな?
そしたらそこからぬくもりが生まれて新たな300を感じられるかも。

人と人をつなぐ言葉、上手に使えるようになりたい。
やっとそう思えるようになったから、きっと時間はかかってもいつの日か意味を持つ温かみのある言葉がつかえるようになれるだろうな。
いつか温かい空間をまとえる人になるためにそう信じて、”伝える”努力を怠らないように、忘れないようにしようと思う。


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