メソポタミア
JR埼京線十条駅西改札の目の前のビル。階段で3階に昇り、扉を開ける。ガランとした店内で私を迎えたのはスラっとした若い女性だった。
7月中旬、東京で唯一のクルドレストラン「メソポタミア」を訪れた。席に案内され、すぐに東洋風のシルバーのコップに氷いっぱいのお冷が運ばれてきた。猛暑日だったその日。氷がコップの中でぶつかり合う音だけで涼しさを感じた。
「こちらメニューです」。私の注文は既に決まっていた。実は、数年前にお店がオープンした時、2回ほど足を運んだ。その際注文して気に入ったのが、オクラとひき肉のトマト煮だった。
十条には、仕事の都合で定期的に足を運ぶ。しかし、「メソポタミア」を訪れたのは数年ぶりだった。店の前を通るたび、トマト煮のことを思い出した。しかし、倹約家、いや、根っからのケチである私は、家に帰れば食事がある中、道中でわざわざお金を払って空腹を満たそうとは思わなかった。
その日、お店を訪れたのは、別の理由があった。ひと月ほど前、共同通信の平野雄吾記者が執筆した『ルポ入管』を読んだ。トルコ国籍のクルド人が、トルコでの迫害に耐えかね、ビザなしで入国できる日本に来訪するケースが多いことは知っていた。しかしこのルポルタージュ描かれる、入管におけるクルド人をはじめとする外国人に対する、彼らを人と思わないような扱い、日本行政の外国人政策における怠慢については初めて知った。彼らは、決して好きで来日し、好きで住んでいるわけではない。トルコでの安全な生活が脅かされ、他に選択肢がない中で日本に来ている。そんな彼らがどのように生活しているのか、どんな苦悩があるのか。その実態に触れたいと思った。
数分後、料理が運ばれてくる。プレートにはピラフ風のごはん、サラダ、そしてオクラの煮物がよそってある。トマトの味はしっかりしているが、酸味はきつくなく、優しい味だ。やはり美味しい。
食事が終わり、紅茶を飲みながら、店内を見渡す。ホールを担当する女性スタッフを捕まえて話しかけてみた。彼女はR。都内の定時制高校に通う19歳のクルド人女性だ。学校が夏休みの間、親戚の伯父がオーナーを務める「メソポタミア」で手伝いをしている。
Rは10歳のときに家族4人で来日し、在留資格を付与された。以来、埼玉県蕨市に住んでいる。トルコに住んでいたとき、クルド人であるRに対する学校でのいじめが過酷であったことが来日のきっかけとなった。彼女は、「日本でももちろんいじめられたけど、トルコはもっと大変だったから、日本では我慢できたんです」と言う。
これまでの学校生活に苦労がつきものであっただけに、現在の高校生活は充実している。「本当にいろんな人がいて、昼間働いてる人とか。70歳を超えたおじいちゃんとかもいてすごくかわいくて。みんな仲がいいから高校生活には本当に満足してます」。
話題は自宅についても及んだ。現在、彼女は川口の自宅に両親と兄弟3人で住んでいる。自室がなく受験生であるにも関わらず、家で勉強するのが難しいそうだ。「自分の部屋がほしい」。19歳の女の子にとって当たり前の感情だった。
今、Rは保育士になるための進学の準備をしている。7歳の弟がいることもあり、彼女は子どもが大好きだ。しかし、進学には経済的な問題が立ちはだかる。彼女の父親には在留資格が付与されておらず、仮放免状態であるため、就労は認められていない。彼女の在留資格にも就労の権利はない。家族のうち、収入があるのは、解体現場で働く3個年上の兄だけだ。兄は15歳のとき、高校に進学せずに就職した。家族の生活は実質的に兄の収入に依存している。Rの学費のあては、兄の収入と、親戚の支援だけだ。
「日本はウクライナ人への支援を頑張ってるけど、『私たちは?』って感じ」。Rは、日本政府がウクライナ避難民に対して就労が可能な1年間の在留資格を付与していることへの疑問も口にした。埼玉県南部を中心に、日本には2,000人を超えるクルド人が暮らす。身近な外国人の窮状を黙殺し、国際社会からの「評価」のために国を挙げてウクライナ人を支援することの意味は、国民全体で考えるべき問題だ。
帰宅中の電車で、交換したRのFacebookを見ていた。その中で、彼女がパソコンの譲渡を呼び掛ける投稿が目に留まった。受験勉強に必要らしい。その投稿は拡散され、その後、彼女はパソコンの入手に成功した。
この国の行政は、外国人の生きる権利に制限を課す。しかしそれに対抗し、外国人が暮らしやすい日本を目指して行動する人々がいる。日本の将来に、少しだけ希望を持てた気がした。