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人を見下せないと生きられなかった父〜占いの活かし方②〜

今日は父の命日だ。

13年前、アルコール依存症の治療でデイケアに通っていた父は、そこで、突然心臓発作を起こし、周りが気がついた時は、既に亡くなっていたらしい。昼休みで、スタッフさんは他の利用者さんの昼食対応に追われ、机にうつ伏せになっていた父は、昼寝していると思われていたそうだ。

当時、クリスマスイブにこの対応に追われ、それは大変だったが、皮肉にも人生最大最高のクリスマスプレゼントだった。不謹慎なことは重々承知だが、私はこの日の夜半、母より父が先に死んでくれ、父から嫌な思いをさせられることがないと自覚した途端、

「やったー!勝った!」

と雄叫びをあげてしまった。もし母が先に亡くなって、父が残されてしまったら、そんな不幸はない。もうそれはないんだと思ったら、心から安堵した。我が家の事情を知っている知人、友人はほぼ全員、
「失礼だとわかっているけど、お父様、亡くなって良かったね」
と言ってくれた。全然失礼ではない。


父が亡くなったことが確定した時、母は、
「私が結婚というわがままを貫いたばっかりに、あなた達には本当に苦労をかけてごめんなさい」
と私達3人の子どもの前で泣いて謝罪してきた。
共依存と母自身の生い立ちから離婚の選択をしなかった母がそう思っていたのかと、驚いた。思わず、「泣くのはそこですか」と言ってしまった。

父にされた事で、嫌な思い出は枚挙にいとまないが、そもそも、人間性が許せなかった。
父の人生のハイライトは、中学受験で、私学の雄の系列中学校に学年3番で合格したことだった。しかし、人生はそこですっかり止まってしまった。高校はエスカレーターで進学出来たが、自ら「高校卒業時は下から3番」と卑下し、大学はその高校からはまず進学するレベルではないところの短期大学部に進んだ(世間一般では特殊性の強い学部で、偏差値で測れない評価のされているところだと思う)。そのせいか、元々の価値観なのか人を上部だけで判断し、肩書きや経済力などが大したことないと思うと徹底的に見下してこき下ろす人だった。芸人さんやブルーカラーの職業などの馬鹿に仕方も酷かった(そのくせ、寅さんと天才たけしの元気が出るテレビが大好きだった)とにかく「馬鹿に見える」ことに過剰に反応していた。また実家の親、親族を立てる身内をこき下ろすことももの凄くやる人だった。そのくせ、人からは誰よりも優しくされたがり、お金を自分に貢いで欲しい人だった。

友達を大事にしない

私が特に許せなかったことが二つある。

父はとある外資系大企業の孫会社で働いていたが、吸収合併を繰り返し、結果的に本社の日本支社に所属することになった。世間的には大企業勤務になったが、元々本社にいるエリートに仕事的に敵うことはなく、父をはじめ、同じ孫会社からの移籍組は閑職に追いやられてしまった。父は、「このままでは会社に殺される」と騒いで、次の仕事も決めず、専業主婦の母と当時高校生、中学生、障害のある小学生3人の子どもの生活も考えず、仕事を辞めてしまった。更に文句ひとつ言わず家計のやりくりをしていた母のことを、世間では「仕事を辞めたことを怒って責められている」と泣いて触れ回っていた(母のことを心配した、両親共通の友人が教えてくれた)
それだけでも許せなかったが、閑職に追いやられても頑張って働いている元同僚が追い詰められて、誰にも話せないと電話をしてきた時に、冷たい口調で、
「はいはい、そうですか、用事はそんなことですか」と言いながら電話を叩き切って対応した。そして、そんなことで電話してきやがった、と家族に延々と文句を言っていた。私はあんまりだと怒ってしまった。父は娘に怒られたとメソメソ泣いていた。

また、父が中高の同級生に街で偶然出会ったことがあった。その友人のことを、父は学生時代、親しくしながらも、就職先が、小さな出版社(マニアックな専門誌を扱う)だったと馬鹿にしていたらしい。付き合いが自然消滅してしまったらしいが、友人の方から懐かしさに声をかけてくれたそうだ。そしてその方は、その出版社の社長になっていた。帰宅して、頂いた名刺を母に見せながら、「悪夢だ、悪夢だ」と大号泣していた。
母は、「あんなに仲良くしていた友人の出世をどうして喜べないの⁉︎」と怒った。
ちなみに、この友人の方は、ご夫婦2人でお子さんがいなかった。私が幼稚園児くらいの時にご自宅に遊びに行かせて貰った事があったが、とても可愛がっていただき、遊んでもらった写真が残っていた。もしかしたら、子どもが持てない事情があったのかもしれない。子どもがいらっしゃらない事も、父は馬鹿にしていた。



またまた四柱推命

自分の父親ながら、本当に嫌な奴、自分のわがままが通らないからアルコール依存症になったんじゃないかと思う程だった。亡くなったことを知って、自宅に駆けつけてくれた父の友人は、皆さん人格者と言っても過言ではない方ばかりだった。この人達の為に、少しでも真っ当に生きようと思わなかったのかと思ってしまった(葬儀関係は家族のみで行い、家族以外には年賀状の返信の寒中見舞いで訃報を知らせた)。どうしてこんな奴だったんだろうなぁと時折、考えてしまう。そしてある時、ふと、ネットの無料四柱推命占いに父の生年月日を入れて占ってみた。

すると、

人を見下せないと生きていけない星に生まれた人。馬鹿に出来ないとノイローゼになる

と書かれていた。そんな星、あるんかい⁈

そんな奴、生きる価値ないじゃん、と正直思ってしまったが、この占いによると、そんな星の活かし方があるらしい。
人を馬鹿にしても問題にならない職業があるらしい。
例えば哲学とか数学とか難しくて少数の研究者しかいない基礎研究をするとか。
誰にも理解されない前衛的な芸術家になるとか。
大半の人がわからない世界の専門家になれば、
「お前たち、そんなこともわからないのか」と人を見下しても、その通りなので、生きやすくなるし、周りも認めて貰えるらしい。

なるほど、そんな活かし方もあるのか。
中学受験の成功で、その道は出来てたじゃん。でも、それはまぐれ?
運命的には、まぐれじゃないらしい。父が、まぐれな運命になるのは、0〜4歳と94歳〜104歳の20年だったらしい。あの人、自滅したんだ。
人生は、やはり自分で切り拓かないとダメだよね。父から学んだこと。

世間はクリスマスイブ。我が家もこちら優先。もちろん。
クリスマスケーキをケーキ教室で手作り。味は良いけど、デコレーションのセンスのなさが切ない(涙)

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