自己開示する怖さと向き合ってみたら引くほど涙が出た話
いま私が取り組んでいるのは「ありのままで生きる」こと。
自己開示たくさんしてるほうかな?とおもいつつ、ほんとのほんとに大切なことはほとんど人に話せない。(もちろん、全てを話すことが正しいわけでもないけど)
それがなんとなく自分を偽ってるような気もして、いま表に出てる私も確かに私だけど、嘘をついてるようで嫌だった。
ありがたいことにコーチングを学ぶようになって、たくさんの大切な友人ができた。一生人に嫌われて生きると思ってたからその現実を信じられるようになるまで時間もかかった。
でも私は取り繕っていることにも気づいた。嫌われたくないから、私の思う「良い人間」の面をみんなに見せている。普段の発言は嘘じゃない。でも存在が嘘みたいだと思うこともあって、それがなんだか悲しかった。
私はもっとどす黒い部分もあるし、恥ずかしい部分も、弱い部分も、たくさんある。なんならそこそこ重い女だと思う。でもそれらすべて表に出すのが怖くて、なかったことにしてきてしまった。
今日は、マイコーチと話していて、そんな自分の恐れに気づくことができた。存在するはずの自分を自ら否定していた痛みに気付いたら、涙が止まらなくなった。いまもこうして文字にすると悲しくなって涙が出てくる。
気付いてなかったけど、近づくほど拒絶の痛みが大きくなるのが無意識にわかっていたらしく、これまた無意識に距離を取り続けていた自分にも気づいた。私はほんとはもっとみんなと仲良くしたい。でもいままで失敗ばかりしてきたので距離感がわからなくて、遠くから見守ることしかできなかった。
過去、親しい友人に自分の内面の大切な話をしたときに拒絶のリアクションを取られたことが、積み重なって、こんなフィルターを生み出してしまった。
それでもどうしてこんなことをリスク取って書いているかって、それは、こんどこそ違うと信じたかったし、もう一度人と繋がっていくことを諦めずにいたいと思えたから。なんて恥ずかしいことを書いてるんだろうね。黒歴史ばっかり作ってるね。笑
勢いで公開しちゃうけど、こわすぎて震えるのであとで消してるかもしれない。笑
でもこの怖さを乗り越えたら、たぶん私はもっとしなやかな強さを手に入れられる気がする。どうして私はこんなに私に試練を与えたがるんだろうな。コーチとしての覚悟かな。今日マイコーチに「男気ある。侍みたい」と言って貰えて嬉しかったのと、私のこのスタンスを全力で応援して貰ってちょっぴり勇気が出たので、こわいけど書いてみたくなった。
ほんとにこわすぎる。チキンレースしてる気分だ~~~。