幽霊保育士のつぶやき
コロナになったのは8月の終わり。
10日間ほぼ寝たきりだった。
倦怠感が酷くて、
起き上がることも食事を摂ることも辛いし
外にも出られないし、
私以外の人達はみんな忙しく働いているし…
2年前に人生で初めて救急車に乗った時
私はひたすら謝っていた。
コロナで大変なのにごめんなさい。
もっと大変な人がいるのにごめんなさい。
そんなふうにずっと謝っていた。
コロナが大変な時だったから
救急車がなかったと、
消防士さんが私を救助に来てくれた。
人生で初めての救急車のベッドの上で
私は2週間以内に渡航歴がないかを
10回くらい聞かれた。
行ってないと何度答えても
コロナの後出しは困るから、
最後の確認です!と言われては
何度も聞かれた。
最後が何度もあった。
病院に着いてもまた聞かれた。
何度も言ってるけど、行ってない。
なんならずーっと体調悪かった。
だから毎日検温してた。
保育士は日に何度も検温をする。
忙しそうな看護師さんに
コロナではないなら、なぜ薬を飲んで
自分の足で病院に行かなかったの?
そう聞かれた。
私は病院に行った。
でも受診拒否された。
コロナの可能性が少しでもあるなら
診ることはできない。
他の病院に行くか、薬局の薬を飲め!
そんなふうに門前払いされた。
だから、1人で寝てた。
どうにもならなくて、
駅前のメンタルクリニックに行った。
そこでも門前払い。
予約がいっぱいだから、
あなたを見られるのは1週間後。
そう言われた。
もう無理だったから、歩いて病院に行って
コロナを理由に何度も受診拒否され
そこで初めて大泣きした。
今辛くてここに来たけど
1週間もこのままならば
私は生きていられない。
1週間後の予約なんてとる意味がない。
そう泣き叫んで、病院をあとにした。
コロナで苦しむ人はたくさんいて
私なんかより大変な人がいる。
だから、もう何もせずに家に帰って
大好きな愛猫と一緒に眠ろう。
そう思った。
大好きなピアノクラッシックをかけて
静かに眠ろう。
私が死んだら、
しばらくは猫は私の体を
食べて生きていられるけど
ずっとは無理だから
私の骨を拾うついでに猫を保護してほしい。
それ以外は何もいらない。
それだけお願いしますと妹に連絡した。
救急車を呼んでくれたのは妹だった。
離れたところからでも、救急車は呼べる。
もう起き上がることもできなかったけど
サイレンの音が聴こえて
消防士さんの姿が見えた時
自分でもびっくりするくらいパワーが出た。
災害で救助の声が聴こえると
火事場の底力が出ると聞いたことがあるけれど
まさにそんな感じだった。
私をコロナという人災から救ってくれたのは
消防士さんだった。
私を叱った看護師さんは
同じソーシャルワーカーなら今の大変さが
わかるでしょ!!という愛の鞭だったのだと思う。
そんなのわかってて
だから、何度も病院に行って
その度にコロナの大変さが身に沁みて
だから、1人で寝てたんですよ…
という心のつぶやきには蓋をした。
忙しいのにごめんなさい。
ただひたすら謝って私は点滴を受けた。
あなたのためのベッドはないから
点滴を受けたら自分の足で帰りなさい。
看護師さんの最後の愛の鞭。
わかりました。
もう二度と救急車は呼びません。
心の中でそう呟いたけど
口ではひたすら謝り続けた。
点滴を受けている間に妹がやってきた。
私は妹にも謝った。
忙しいのにごめんね。
来てくれなくてもよかったけど
来てくれてありがとうと伝えた。
点滴を受けている私の隣で医師は妹に
今後の話をしていた。
お姉さんのストレスを取り除く連絡を
あなたがしてあげてくださいと…
私は子どもみたいに
誰かに代わりに連絡してもらわないと
いけなくなってしまった。
保育園でたくさんの子どもたちを見てきたのに
私が子どもになってしまった。。
妹にひたすら謝って
歩いて帰る!という私をタクシーに乗せて
温かいご飯を提供してくれた。
嬉しかったけど
忙しいあなたの時間を求めている人は多いから
だから、もう何もしなくて良い。
私は1人でなんとかする!
もう大丈夫!
そう言って見送った。
点滴を受けて一時的に回復したけれど
私はまだ食事が取れなかった。
水分を摂ってトイレに行きたくなっても
その時に起き上がれないと困るから
もしもこのまま死んでしまって
また消防士さんのお世話になる時
汚物はなるべく少ない方が良い。
そんなふうに考えて、水分補給もしなかった。
点滴を受けたけど
どうにもならない
そう思って
コロナで会えない友人に
最期のお礼をしようと連絡をした。
地元長野にいる友人が
私の住む地域のソーシャルワーカーさんに
長野から電話をしれてくれた。
その電話にだけは出てほしい。
それだけ伝えられた。
お願いされたら断れないから電話に出た。
忙しいのにごめんなさい!
と電話でもひたすら謝って
そのために私たちがいるんだから
頼っていいのよと言われた。
ソーシャルワーカーの保育士が
地元のソーシャルワーカーさんに救われた。
予約なしで診てくれる病院を調べてくださっていた。
明日の朝、歩いて行きます。そう伝えた。
私は1人で行きたかったけど
私の保険証は使えなくなっちゃうから
お金が足りない。
3割負担なら払えるけど
全額立て替えは難しい。
コロナで銀行にも行けなかった。
定期預金のキャッシュカードは期限が切れていて
引っ越しした私の手元には届かなかった。
ま、元気ならば使うことはない!
コロナが落ち着いたらカードを作り直そう。
そう思ってそのままにしていた。
コロナ禍はいつまでも終わらない。。
妹は病院に来てくれて
一緒に診察に同席してくれた。
うつ病の患者さんのカウンセリングは
1人で行うものと聞いていたのに
妹はずっと一緒に話を聞いていた。
病院で受けた診断は適応障害。
私は社会不適合者なのだと理解した。
だから、ソーシャルワーカーなのに
たくさんのソーシャルワーカーさんに
助けられたのか…
私はソーシャルワーカーをやるべきではない
そう解釈した。
それならば大好きなコーヒー屋さんで働こう!
そう思って面接を受けていたのに
研修期間に適応障害と診断された私とは
一緒に働かないと断られてしまった。
そこからはもう、どうにもならなかった。
貯金をおろしたくても
定期預金のカードはないし
銀行は完全予約制。
いつまた起き上がれなくなるかわからないし
予約なんて取れない。
もうどうにもならなくなって
一度も使っていなかった失業者給付金を
頼ることにした。
ハローワークに行ったのは初めてだった。
たくさんの人が仕事を求めて苦しんでいた。
私は自力で探していたのに
予定が狂ってしまったことを詫びた。
ここでもひたすら謝った。
私の学習歴を見て
私のことをほめてくれた。
頑張ってこられたんですね!
そう言ってくださったけど
勉強だけは好きなので、私は頑張ってないです!
そんなことより自力で
仕事見つけられなくてごめんなさいと謝った。
保育士として保育園で働くことが
1番良いことだとわかってる。
でも、私は保育園では適応障害を繰り返す。
だから、学び直したい。
そう伝えて
職業訓練の説明を受けた。
たくさんの人が今苦しんでるのに
今働かずに学ぶことを選んで申し訳なかった。
入学金に充てようと考えていたお金が
もらえなかった。
また予定が狂ってしまった。
失業者給付金も3ヶ月後からしかもらえない。
すぐにもらえるいくつかの方法を教えてもらって
帰ってきた。
どうしたら、今を生きられるのだろう。
それならすぐに働くしかない!
そう思って昔のツテで仕事はすぐに決まった。
働き始めたら元気になった!
だから、学校に行こう!
そう思ったのに、
予定していたもらえるはずだった
お金がもらえなくて
さらにお金を請求された。
最期の社会保険料。。
そして、国民年金。住民税。。
定期預金のカードもないし
銀行は完全予約制だし
学校はあきらめた!
またいつか学べばいい!
そんなことより働かなきゃ!
私は独身だから誰も養ってくれないし!
働こう!
そう思っていた時に
たまたま連絡をくださったのは大好きな人。
大好きな人生の先輩が
ピンチだから助けて欲しいと…
私今暇なんで
私でよければ行けますよ!と伝えたら
え?そうなの??と話はとてもスムーズだった。
そのお金にとても助けられた。
貰いすぎると失業者給付金を
もらえなくなってしまうから
オーバーした時間はボランティアに
させて欲しいとお願いしたら
短い時間だけ依頼された。
ありがたかった。
そこで元気を取り戻し
また保育園に戻る決意をしたのが1年半前。
またもや適応障害。。。
もう1人では電車に乗れないし
最初の病院だけは付き添ってほしいと
妹にお願いして車で送ってもらった。
久しぶりに会った妹には
棒人間みたいに痩せてた。
私も棒人間だったけど
妹はさらに痩せていた。
しかもそれが1年続いているとか…
私より大変なのに
また頼ってしまった。。
申し訳なくて、もう病院にも来なくて大丈夫!
そう伝えて別れた。
ソーシャルワーカーは国のお金で
お給料をいただく。
私は納税された税金で生計を立てていて
病院のお金もその納税で支払っている。
働かなくなって
納税ができなくなり
納税ができない社会不適合者は
福祉の仕事はできないなと悟った。
もう福祉の道は諦めようと思う。
本当は大学院に行って福祉の道を
極めようと思ったけど
私の進むべき道は日本の福祉ではない。
日本の福祉はうまく循環していない。
過去を振り返ることなく
今を生きるために
私は別の道を極める!!
高い学費を支払う余裕はまたなくなった!
本当はあるけど、今はない。
今なくて困ってるから、今働く!
だからもう、未練なく前に進もう!
そう決めたら体が軽くなった。
最期の背中を押してくださった上柳さんに
感謝をお伝えしたく長々と呟きました。
一緒にゆっくり頑張ろうね!
そうおっしゃってくださった上柳さんは
立派に返り咲いている!
私はまだまだ時間がかかりそうですが
しっかり稼いで
きちんと納税をして
自分で稼いだお金で
学校に行けるようになった時に
もう一度学び直そうと思います。
それまではがむしゃらに今を生きます!
ラジオを通して、
パワーをもらっているすべての方々のために
ラジオ放送を続けてくださいね!!
ご活躍をウザめに応援しています。
その声が届かなくても
言の葉のパワーが届きますように…
ひっそりとラジオに耳を傾けながら
私は未来へ進みます!!
長々と自分語りをしてきた
私の学び直しも今回でしばし
お休みさせていただきます。
学び直しはまた再開の目処が立ってから…
それまではradikoの情報で学び続けます!
英会話も専門知識も
全部radikoに詰まっている✨
ありがとうございます🙏
ラジオに関わる全ての皆様に感謝をお伝えして
私の呟きもここで蓋をします。
でも、心に蓋はしていません!
皆様が伝えたいのは心に蓋をするな!
というメッセージですよね。
それはしっかり届いてます。
電波を通して素敵な言の葉を紡ぐ皆様のように
私も素敵な言の葉を贈り続ける大人であろうと思います。
またいつの日か
自分に自信が持てるようになった時に
呟きメール送らせていただきます。
ラジオを愛する全ての皆様を代表して
心からのエール
ラジオ放送が永遠に続きますように……
ラジオに垣根はない!
佐久間さんのメッセージもちゃんと届いています❤️
横アリ最高でした!!
もうしゅーじまんには戻らないぞ!!
苦しくなったらサンボさんの花束を聴きますね!
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