5度目の正直
英語の文字を付け加えると
途端に共感が減ることを学んだ。
私は1度の失敗で多くのことを学ぼうと努めている。
同じ失敗を2度と繰り返さなければ
人から責められたり、怒られたりすることはない。
だから、いつも素直に謝る。
謝って同じ失敗を2度と繰り返さないように努めている。
子どもに対しても同じで、
私が本気で叱るのは
同じことを繰り返した時だけ。
なぜできるのにやらないのか?
なぜわかっているのに、同じことをするのか?
あなたは素晴らしい人間なのに
どうしてそんなことをするのかと叱る。
才能の出し惜しみをするな!
自分の才能に蓋をしているのは自分自身。
みんな違うから、みんな良い。
良いところを伸ばして、
苦手をみんなで補合えば良いのである。
私は同じ失敗を2度と繰り返さないように努めながら
幽霊保育士になったのは4度目である。
1度目は、20代で主任を任され、その次は施設長というレールが用意された。
私にそんな器はないからと、逃げ出した。
2度目は、何でも屋さんになって自滅。
毎日、毎日泣いた。
泣きながら、涙は心のストレッチ!
とか言って、涙を堪えて仕事に向かっていた。
ある日、我慢のコップの水が溢れた。
3度目も、同様に完全なる自滅。
何でも屋さんを繰り返した。
ある時突然、眼球が血に染まり…
私は逃げ場をなくして、子どもの前から逃げることしかできなかった。
自分を責めて、人生で初めて、救急車に乗った。
4度目も、完全なる自滅。
コロナも加わって、私の体重はBMI18を切ってしまった。
痩せて羨ましいと笑顔で言われた事もある。
何も羨ましくはない。
そこまで来ると、流石に体に支障をきたす。
私の体は自分の力で起き上がる事も
できなくなってしまった。
3度目の失敗の後
なんとなくネットで国際的なIQを測れるものが
あることを知り、調べてみた。
私のIQは170だった。
それが何を意味するのか、私にはわからなかった。
なんか高い数字なのね!
その程度。
なんか東大生レベルと書いてあるけど…
私は東大生ではないし…
そんなふうに思って
さらりと蓋をしてしまった。
昨日、目にとまったYouTubeで
IQの数字の基準を知った。
へーー
私って意外とすごい人間だったんだなぁと
初めてわかった。
IQが高い人は、孤独を愛して
単独行動をするらしい。
私は単独行動も好きだけど、
気の合う友人と群れる事も好んでいる。
でも、どうにも話が噛み合わない人に対して
勝手に説教を始める傾向がある…
相手からしたら、余計なお世話。
私が行く先々で奏でていた不協和音は
ただの有難迷惑だった。
心からお詫びをしたい。
申し訳ないことをしました🙇♀️🙇♀️🙇♀️🙏
大好きな先輩保育士に言われた言葉の呪文。
立つ鳥跡を濁さず
without clouding the standing bird tracks
あなたの言葉には影響力があるから
黙って去って欲しい。
変化を望んでいない人も多い。
そう言われた。
だからいつも、黙って静かに鳥のように
水を濁さずに去った。
論破して歩くのは戦争をしながら歩くのと同じ。
昔テレビで見た意地悪ばあさんである。
だから、静かに去ることにしていた。
同じ失敗を2度と繰り返さないように
努めていたのに
同じ失敗を4度した。
水は少し濁しても、時間が経てば澄んでいく。
少しだけ濁しても良いのかなとは思うけど、
それでも私は静かに去ろうと思う。
だって、その方がなんだかかっこいい!
余韻を残して去る!そんなイメージである。
5度目の正直。
私は保育園という組織ではのびのびと
自分らしく過ごせなくなることをようやく学んだ。
だから、保育園を静かに去ることにした。
毎朝出会う青鷺のように、静かに飛び立つ。
私は私のやりたいことを
自分のペースでできる場所を探すことにする。
それは時に都内で、
時にはつくば市かもしれないし、
時には海外になるかもしれない。
突然学校に通い出すかもしれない。
それはその時決めたらいい。
私は私。
他の誰とも違う。
違いを恐れず、自分の可能性に蓋をしない。
子どもに伝え続けてきたその言葉が
5度目の正直で私に返ってきた。
いつかどこかで、
昔の教え子に出会えたら、
とても嬉しい事もわかった。
つくばの課外活動で、
のびのびと楽しむ教え子を見て、
私はとても嬉しかった。
その若者が
知らない人から誉められている姿を見て、
なんと誇らしい気分だったことか。
私の教え子になってくれたことに
心から感謝している。
私に出会ってくれて、
大切な幼少期を私に託してくださった
全ての保護者に感謝します🙏✨
5度目の正直こそ
失敗はしないようにしよう。
流石に6度目の幽霊は身が持たない。
本当の幽霊になる前に
気が付けたことにも感謝したい✨
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