同性婚、両性の考え方
「両」という漢字を文科庁の常用漢字表で調べると、例として「両親,両立,千両」と載っています。
広辞苑では「 二つで一組になっている物の数をかぞえるのに用いる」とのこと
結婚とは、1人では出来ず2人で一組になることなので理解できますが、
ここで議論になるのは「両性」が、異なる性である必要があるのか?なのでしょう
そこで考えてほしいのが「両輪」という言葉を聞いてイメージしたとき
二つの輪は、異なる形状や性質をもつ必要はありますか?
例えばリヤカーは左右両輪で成り立っていますが、
大きさや性質が異なっていなければならないでしょうか?
両輪に対して、2つの異なる性質をもつ輪のことだと考える人は、まずいないと思います
なのに「両性」となった途端、異なる性の二つでなければならないと考えるのは、なぜなのでしょう?
結婚という制度は、生物学的に、子孫を残すためにあると言う人もいます
確かに2000年以上前に婚姻をローマ法の中で制度化したとされた時代や
日本において現在のような婚姻届ができた1898年では
人口を増やすこと、子孫繁栄が自然の摂理と考えたかも知れません
では、閉経した女性と無精子症の男性は結婚できなきないのでしょうか?
子宮を全摘した女性や、パイプカットした男性は、異性とでも結婚できませんか?
仕事をし、社会に貢献し、介護保険料や年金、健康保険など、社会保険料を納めています
それにも関わらず、配偶者控除や扶養控除、遺族年金、相続などなど
様々な場面で権利を受けることができないのは、子供を産めないからだけでしょうか?
G7(フランス、米国、英国えいこく、ドイツ、日本、イタリア、カナダ(議長国の順番)の7か国)で、同性婚が認められていないのは唯一日本だけです
台湾、そしてネパールでも認められました
この先100年経っても、日本では認められない、絶対に認めないのでしょうか?
今から約65年前、洗濯機が開発された時、
洗濯機の購入を頑なに反対した姑がいたそうです
平成になり無洗米が開発された際も、主婦は歓迎したのに、夫や姑は否定的な反応だったとのこと
作用反作用の法則のように、変化にはからなずエネルギーと抵抗が生じるもの
それにしたってもうそろそろ、
固定観念に囚われずに、
変化を受け入れる時がきても良いのではないでしょうか?
流れるままに 流されずに
時代は流れ 変化するものです
頑なに拒んだとして
誰が幸せになりますか?
誰を幸せにできますか?