生きる...
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。三連休は秋らしい陽気で観光日和の所も多かったのではないでしょうか。
では、早速本題に入ります。
『人がもっとも後悔することの1つは、人生の終わりに近づいて、夢を実現していないと気づくこと』と言われています。
こんな比喩があります。あなたがずっと刑務所で過ごしていたのであれば、釈放される日に多くの恐怖が表面化するだろう。刑務所にいる間は自由がないけれど、厳しい日課があるから、よく知っている世界で暮らしていることになる。起床時間、運動できる時間、いつ何を食べられるかは正確にわかっている。しかし、今あなたはもはや収監されておらず恐怖を感じている。
何をしていいか、何処に行っていいかわからない。スケジュールに基づいた生活はなく、不確実性があるばかりだ。気持ちとしては、未知という危険や恐怖と向き合うより、既知のものに戻りたい。自由を取り戻すより、囚われの身になるほうがいいと思っている。
理に敵っていませんが、私たちの大半はそうやって人生を送っている。この哲学は僕も好きなものです。なんか切ないですね。人の人生というのは…
だからこそ、苦しみと逆境は個人の成長を促してくれる強力な手段なのです。僕たちは、人生に何か予期せぬこと、望んでないことが起きると苦しみが生じるようにできています。だから、新たな状況が生まれたら、それまで当たり前だった、「そこから」離れなければならないことに気づかなければなりません。でも僕たちは、苦しい、辛い、悲しい、寂しいと感じていても、慣れしたんだその場所から離れることができません。
辛くても、苦しくても、その場所に留まっていることのほうが安心なのです。でも、その安心は幻想なんです。
そもそも…人間というのは、そういったことを目標に生きているわけではないのです。(そうなんや?🤔)
人生の旅人として、知らない場所を訪れることによって得られる成長を体験する為に生きているのです。(意識の上での話しです)
苦しみや逆境、病気でさえ、成長を促してくれる強力な手段であり、恐怖の向う側にこそ幸運が見つかるようにできているのです。これが宇宙の法則です。(でも、苦しいのは嫌だ〜😭)
なぜかわからないけど、この世界はそうできているのです。(そうなんや〜🤔)
だから、自分の身に起こる問題から逃げていると、何度も何度も同じ問題に出会うわけです。しかも、少しスピリチュアル的なお話しになりますが、誰もが心の深いところではその真実(恐怖の向う側にこそ幸運が見つかる)を知っていて、変化と苦しみはなんの為にあるのか?を見抜いているのです。 (へ〜🤔)
つまり、あらゆる人間は、それぞれの人生の中の可能性や、潜在能力に向かって歩めるように最初から組み込まれているのです。なぜかそう意図されて生まれてきたのです。
でも、このことに中々気づけません。僕たちの人間的な側面は、苦しみに耐える時に痛みを感じます。それは自然なことです。でも、その痛みは最終的にはおさまって、あなたはもっと豊かに、強く賢くなれます。幻想の安全地帯で暮らし、既知のものにしがみついていることは、『生ける屍』たちとともにいることになってしまいます。
勇気とは恐怖がないことではなく、自分にとって重要な目標を追い求めて恐怖を克服する意欲です。神話学者のジョーゼフ・キャンベルがこう言っています。『つまづいたところにこそ、宝物がある』と…だから、何が起ころうと大丈夫なのです。(そうあって欲しいな〜🥺)
綺麗ごとではなく、最後には大丈夫なようになっているのです。あなたに、一歩引き返そうとする気持ちより、一歩前に前進する勇気さえあれば…そう。一歩前に前進した人だけ大丈夫なようになっているのです。
もし、最初にお話しした『自由を取り戻すことより、囚われの身でいるほうがいい…』そんな人生を生きているなら…
人生の終わりに近づいた時に後悔をすることになります。殆どの人がそう感じるように…
結局、あなたの人生には「何も起こらなかった」何も起こらなかった人生…
『そんな人生の選択をしたことも、そんな人生を望んだのも』…すべてあなた自身の責任です。
100%あなたの責任です。責任転嫁はできません。だから、自分の人生に責任を持てた人だけが、あなた本来の人生を歩むことができるようになっているのです。(なら、顔張ってみようかな〜😗)
今回も読んでくださりありがとうございました。
オリオン