田舎で頭が良い女性は生きづらい
高校までの18年間を田舎で過ごした。
離れて気付いたことは、「なんか生きづらかった」ということ。
それが苦しかったということを認識して、
そのしがらみに自分なりの距離を置くことができるようになったのは、
30歳をすぎてから。
それでも「地元で求められるような人にはなれなかったな」
という思いは今も完全になくなってはいない。
小学校のとき、児童会長は女の子だった。
「女の子にやってもらうなんて、男子は情けない」
という雰囲気を感じた。
中学校では、生徒会長は男の子がやった。
すわりの良さ、というのか。
親たちが「そうそう、これよこれ!」と思っているのを、
言葉の端々から感じた。
テストでは、私が学年1位の時期がしばらくあった。
そのときも、「なんか目立ちすぎて居心地わるいな~、〇〇くんが1位を取ってくれればいいんだけどな」
と思っていた。
大人になって、仕事や将来のことを考えはじめると、
東京にいても田舎の価値観が尾を引いた。
大学で上京したときも、
「女の子なのに都会に出すのね。変に知恵をつけて帰ってこなくなるよ!」
と、親が近所の人に言われていた。
「変に」ってなんだ。
男の子なら、「都会で色々経験してみるのもいいよね」
だけで終わるのに。
就職しても、結婚したら仕事はセーブして、
家事と子育てのメインは私になると思っていたし、
地元に戻って親の面倒を見るんだろうなと思っていたし、
女で起業したり、会社の重役に就いたりしたら、
「気が強そう」「家のことはちゃんとできてるの?」
「だから独身なんじゃない」・・・
というネガティブな反応が容易に想像できてしまう。
都会でも、組織によっては「女は目立つな」という雰囲気はあると思うが、
田舎は人の顔が見えるのが厄介だ。
近所の人ならまだしも、
小さい頃から知っている優しかった親戚などに言われると、
どうしてもダメージをくらってしまう。
勉強が全てではないが、選択肢が増えるのは事実。
なのに、見えないリミッターが田舎の頭の良い女の子にはついている。
本人もその存在に気づいていないのだから、困ったものだ。
今回のnoteは、初めて数日かけて書いた。
今もすべてを言葉にできていない気がしてならない。
皆さんはどんな経験があったでしょうか。
もしよければコメントで教えてください。