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男の人ってなんでギャンブルが好きなんですか?

この質問は本当に良く聞かれる。実を言うと私はギャンブルがどちらかと言えば苦手で、それが好きと言う人を理解できなかったため、学生時代に知人の伝手を使ってパチスロ店でそれなりの期間アルバイトをさせてもらい、当時一定の結論を得ることができた。
(注:パチスロは厳密にはエンターテイメントであって賭博ではない。これは店長に何度も注意された)

結論としてはこうだ。

「金さえ投入すれば、勝つ瞬間が確実に訪れるから」

え、だから、どういうことやねん、と思われただろう。一つ一つ順を追って解説してこう。

まず男性の特徴として、闘争心というものが本能の中にある。闘って勝った人が子孫を残せた、原始からの産物だ。だから男性は勝負したいし、勝ちたい。

じゃあ勝負するなら何をするか?
野球?サッカー?営業成績?出世?恋愛?世の中には有りとあらゆる競争のフィールドがある。自分の得意領域が見つかればある程度の成績を収める事は可能だろうし、そこで本能を満たしてあげることができるだろう。

しかし。もう勘のいい人は気づいたと思われる。どうしたっても勝てない人が居る。あるいはそのフィールドから降りてしまった人たちは、もう勝負する機会がない。パチスロ店にやってくる人は凡そそういった人たちで構成されていた。でも本能は変わらずずっとある。この精神的不調和をどうすれば良いのか。

そう、ギャンブルだ。

ギャンブルは至って公平だ。金さえあれば、強靭な肉体かつ高強度なトレーニングに耐える素質がなくても、ずば抜けた知性と商才がなくても、生まれ持った容姿の端麗さがなくとも、ある一定の確率で、確実に勝利がやってくる。

良く「期待値を考えれば確実に負けるのに本当に馬鹿ね」というコメントを耳にタコができるくらい耳にするが、これは「ネイルなんて爪が伸びたら取れちゃうのに本当に馬鹿ね」と同義である。ネイルの目的は防御力向上ではない。着飾ることで男性に選ばれたいという本能を満たしているのであって、ギャンブルも同様に、勝つ瞬間を味わって、闘争本能を満たすことが真の目的だ。だからいくら負けたって、勝つ瞬間さえ一瞬でも、いっ時でも味わえたら、それで目的は達せられる。どれだけ努力したって勝てない現実世界より、そこにははるかに救いがある。

だからパチスロは素晴らしいなんていうつもりは毛頭ない。風俗同様、人間のサガに基ずく寂しい何かだ。過激な表現をすれば、満たされない人たちに、足を引っ張らせないための必要悪と言っても良いだろう。克服できる世界であるなら、そうであることに越したことはない。

最後に申し添えたい事は、できればどうか、ギャンブルを嫌ってあげないでほしい、ということだ。パチスロ店で「今日いっぱい勝てましたね!」と添えた時の相手の笑顔はとても晴れやかで、そこには確実に人間同士の何かがあった。あなたもきっと、間接的にだが、社会的な利益を享受しているはずだ。これぐらいの慈悲は、どうか持っていただけないだろうか。人類はまだ、それを必要としているようなのだから。

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