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市役所福祉課と医療機関を利用する際、利用者が用意しておくべきアレコレ➀

まえがき

 前回の記事である「地方自治体の福祉制度事情➀」では、私と知人の手によって私立病院から大学病院へと転院するにあたり、市役所・私立病院・大学病院のあいだで法的な取引・交渉らしき行動を取った時の体験談について、大雑把に書いた。

 今回の記事では前回のケースを例として、あらかじめ利用者の側が用意しておく必要のある法制度にかんする情報、それに交渉にあたって必要な方法について書いていきたい。

 前もって断っておくが、以下の方法はあくまでも私と知人が、市役所や医療機関との交渉・取引をくりかえす過程で、なんとか通用したケースでしかない。他者がおなじ方法でもって交渉・取引を必ず成功させることが出来る、そう保障することは出来ない。

 それに、付け加えておきたい重大な問題点がある。
 この記事を書いている私自身がもっとも注意するべき点であると同時に、記事を読んでいただく方々には、以下の点に注意していただきたい。
 記事の内容はどこまでも、私と知人の主観に基づいた証言と意見の領域を出ない。客観的な実証性がない。この記事は単なる証言と意見の集積であって、誰もが事実であると認めざるを得ない証拠物がないのだ。

 電話や窓口に立つたびに、胸元にしまいこんだICレコーダで音声記録などを取っておきたいのは山々だ。だが、そんな行動に出れば録音の事実が露呈したとき、今度は交渉に亀裂を入れかねない。「録音」を使用するのは、時と場合を選ばねばならない。

 もうひとつ。
 私と知人とのあいだで身に付けた付け焼き刃の法的知識にかんしては、市役所福祉課、市から委託を受けた福祉施設、医療機関の職員は決して利用者には教えない。
 
 なんの用意もなく利用者が窓口へと支援を求めたところで、「うーん、困りましたねぇ」からはじまる押し問答のすえ「大変ですが、頑張ってください」と突き返されて終わる。日ごろから膨大である仕事を増やしたり、ただでさえ収入の少ない公金の支出を増やすような真似をする「お人好し」では、公的機関の実務は務まらない。

 ともあれ、いったんは市役所・医療機関の職員を交渉の席に着かせるには、利用する者が相応の「武器」を用意していなければ始まらない。ひどい喩えだが、法律という名の制度的な銃弾が発射されて、職員や部署へとダメージを与える恐れを感じたとき、破壊される脅威を感じるとき、はじめて市役所や医療機関は合法的な取引に応じる構えを示す。
 相互に破壊しあった場合、どちらも破滅するほかに可能性が考えられないときに戦争は抑止される、とは軍事学で語られる仮説だ。個人どうしの関係もまた、同じように見える瞬間がないかと問われたら、正直なところ、ある。

 市役所に掲示されているポスターのイメージや、ユートピア主義的な人文学系のストーリーに騙されてはならない。人文学系のストーリーなどは、一種のプロパガンダであると判断してよい。ウソなのだ。

 私の意見など、どうでもよい。本題に入ろう。

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➀障害者総合支援法および、関連すると考えられる全ての法制度についての情報を把握しておく。


 「地方自治体の福祉制度事情➀」の最後に言及した翔泳社の『これならわかる〈スッキリ図解〉障害者総合支援法 第2版』を紐解くと、障害者総合支援法、以前から改正された点、使用できるサービス、障害児むけサービス、福祉サービスの使い方、支援法の内容と、全6章にわけて詳細な法制度や仕組みについて説明されている。しかし制度設計そのものは複雑であること、極まりない。

 また、制度を説明するために使用される法律用語を理解するためには、法律学を学んでおかなければ正確に理解することは出来ない。ここで民法、それに医療法と関連情報について、制度を利用する個人は日ごろから学習や情報収集に努めておく必要性が生じる。

 私は有斐閣から出版されている幾つかの書籍を使用した。『法学入門』『民法の基礎』といった書籍である。それに書店にある中高生むけ参考書のコーナーで見つけた『詳説 政治・経済研究』といった、社会制度全般について説く書籍も有用性がある。法学の基礎、しょっちゅう変更される民法、民法を運用する関係省庁や各自治体の指令系統を日ごろから把握しておけば、障害者総合支援法なるものの社会的位置づけが、なんとなく分かった気になってくる。

 ここで私は「なんとなく分かった気が」しているだけであり、結局のところプロの理解力には及んでいない。しかし、福祉制度を利用するには書籍だけで賄えるわけでは全然ない。市役所の福祉課にいるのは生身の個人の集まりだ。窓口では必要な情報だけを、的確にプレゼンテーションする技術が要求される。そして、机上の学習と現場での交渉・取引の実践経験を積み重ねていかないと、実生活に有益な結果を生みだすことは出来ない。

②市役所福祉課の窓口へと赴く


 口頭の会話とは得てして不安定なもので、相手方が本当に伝達した内容を理解しているのか、または自身がプレゼンする内容の完成度に問題があるのではないか等、絶えず問い直しや反省を繰り返してはフィードバックしていく。制度上の仕組みや専門用語を理解しているだけでは足りない。相手方が要求内容を受け入れる―なにはともあれ、これは理にかなった合法的な要求であるっぽいと、無知だが利用者を追い返すノウハウだけは身につけた職員を納得させる—別の技術が求められる。

 合法も何も、こちらは国家が制定した福祉制度を、必要な範囲でのみ利用する目的しかない。不正受給の意図など全くないのだが、市役所の福祉課がもっとも警戒する事案のひとつこそ、公金の不正受給だ。誰彼かまわず、警戒の対象と捉えるのも仕方がない。

 それと市役所は一応のところ、癒着をふせぐ目的によって定期的な人事異動が行われる。そのため福祉課の職員は、大した専門知識などは持ち合わせていないケースが多い。その窓口に立たされる職員は得てして、部署内では貧乏クジを回される立場にある。その職員の最大にして唯一の目的とは、保身だけだ。衣食住のすべてを賭けて、なんとしてでも現在の役職にしがみつくこと。なので利用者が法制度などに無知であれば、ろくすっぽ相手にせず追い返すのは当然なのである。

 実際、知人は職業安定所の職員から「失業保険の受給資格がない」とデマカセを口にされ、暫くのあいだ信じ込んでいた。実のところ失業保険の受給資格があると知ったのは、ずっと後に社会保険労務士の指摘を受けたときであった。そうしたデマカセで平常運転を続けなければ、期間雇用である職員など直ぐに路頭に迷う羽目におちいる。

 それはともかく、具体的なノウハウの話に入ろう。

 まず、市役所の福祉課窓口や医療機関に赴くまえに用意しておく必要のある一式がある。
 関連書籍や関係省庁のホームページのPDF、それに社会保険労務士事務所のブログ等のデータをかき集める。ウェブ上のデータはPDF化してプリントアウトしておく。そして利用する当人にかんする関係書類である障害者自立支援医療受給者証、日本年金機構から送付されてくる郵便物、市役所が送付してくる「医療費のお知らせ」といった書類も、必要なだけ用意。保険証、マイナンバーカード、印鑑も当然だが用意する。

 そうした作業を終えてから、市役所の福祉課へと電話をいれ、電話に出た職員の名前をたずねて交渉相手に指名、具体的な日程を調整してアポイントメントを取る。

 そうしてやっと、交渉の窓口に立つことが出来る。そこから先の事情は、また異なる技術というか手口というか、双方が薄汚い手を使う必要に迫られる。

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③福祉課窓口の職員との交渉に臨む


 関連書籍。プリントアウトした関係省庁のホームページのPDF。やはりPDF化~プリントアウトした社会保険労務士事務所のブログ。当人の関係書類。それらを持ってアポイントメントを取った日時に、市役所の福祉課窓口に赴いて指名した職員を呼ぶ。

 ややこしいのは、場合によって指名した職員が、当日になって不在であるケースがままある事だ。市役所が金をいっさい出さない制度上の更新手続きの類であれば、素直に職員は顔を出す。だが障害年金の申請や更新といった、東京にある日本年金機構などにコトがおよぶ案件となれば、話は別だ。

 高齢者の年金事情が取り沙汰されて久しいが、日本年金機構は何としてでも支出を抑制したい思惑がある。であるから、障害年金の申請や更新のハードルを恣意的に引き上げて、あらゆる手段を用いてでも申請や更新を却下する方向へと舵を切った。その場合には社会保険労務士や医師との交渉も不可欠となるが、それは別の機会に触れる。

 とりあえず今回は、「地方自治体の福祉制度事情➀」で触れた転院手続きを例にとって説明したい。

 まず市役所の福祉課職員は、福祉制度や利用に関する具体的な方法について自ら説明することを絶対にしない。「はじめに」で書いたように、長い押し問答をくりかえした末に「大変ですが、頑張ってください」とのオチに持っていくことが本来の仕事なのだ。すべては利用する側の手腕にかかっている。

 「地方自治体の福祉制度事情➀」では、私立病院から大学病院へと転院する手続きに際して、市役所は自立支援医療制度について何も知らなかったところで話が終わった。

 前回の記事では省略したのだが、私立病院と大学病院が転院手続きについて其々が市役所の福祉課へと電話を入れていた。その内容が食い違っており、知人が利用していた私立病院・転院する大学病院・市役所の福祉課のあいだに私が立って、電話口にて内容を調整した。

 このときばかりは、私は私立病院の窓口に立つ職員にたいしてスマートフォンの録音機能を使用した。電話口の向こうには録音をつげるアナウンスは聞こえてしまうが、録音しておけば場当たり的なウソはつけない。市役所職員や大学病院の窓口とのやり取りも、断ったうえで合わせて録音しておく。

 そうすれば「あなたの言い分が違うようです」と証拠を突きつけてる用意が出来るので、電話口の向こうにいる窓口職員、それに医師はウソをつくわけにいかなくなる。

 仮に、後になって法的な過失が認められたとしよう。病院の経営者は「それは職員が勝手にやりました、私らは知らん」と言って「トカゲの尻尾を切れば」済む。…そうした行動をとるように経営者が指示していたとしても、だ。
 行くも地獄、戻るも地獄、そんな状況を作って退路を断てば、私立病院の窓口職員は正直に話をした。知人のプライバシーに触れるため、具体的な内容には立ち入らないが。

 こうしたときも、市役所の福祉課が協力へと動くことは絶対にない。利用者や協力者が、三者の間で根気強く調整役を務める必要があるのだ。いくら動いたところで、市役所の収入にならないから当然だ。しつこいが、市役所は税収の徴収のために手を尽くすが、住人への還元など殆ど考えない。

 そうした取引も挟みつつ、市役所の窓口に赴く。私立病院が転院を阻むような動きを見せたのは前回の記事に書いたが、この時点では私は、私立病院が診断書の有無を問いつめた報復のため、福祉課へと電話を入れて知人に関するガセネタやデマカセを、職員へと吹き込んでいる可能性を考えていた。市役所の福祉課との交渉に亀裂を入れておき、転院の手続きを挫折させ、それまで通りに私立病院へと通わせる方向へと誘導する動き。その可能性を考慮していた。

 そのような電話が本当にあったとして、相手は曲がりなりにも私立病院であり、窓口に私をともなって来る知人は「精神疾患」の患者である。どちらの言い分を市役所職員はとるか。語るまでもない。
 そうした「まさか」の可能性を考慮して、先回りして先手になる武装を用意しておいても損はない。法的な訴訟や経済的損害におよばない限り、自治体や企業はあらゆる手段を取る。直接的な殺人を除いて。ダイレクトな暴行と殺人に出なくとも、合法的に、じっくり時間をかけて他者を殺害する方法は、幾らでも考えている。

 そんなバカなと勘ぐる方は、とりあえず水俣病に関連する書籍に当たっていただきたい。地方自治体と医療機関のノウハウ、その蓄積の一端がお分かりいただけるかと思う。

 さてここで交渉と取引のキモとなるのは、どこまでも具体的な法的根拠や実例を、利用者の代理人である側が淡々と明示することに尽きる。わざわざ「淡々と」が重要なのは、こうした場で利用者が切羽詰まった感情に駆られ、泣き言や恨み節を喚いたところで、法的にも経済的にも無意味であるからだ。泣き言や恨み節には、なにひとつ法的な有効性がない。ましてや知人がそうなってしまえば、「精神疾患の患者が狂った」と判断した職員が「精神病者が暴れています」などといった理由で、即座に警察へと連絡をとる可能性は高い。

 それに市役所職員や医療機関の関係者は、利用者を感情的に追い詰めたる技術が高い。会話の内容を主題から徐々にズラしていき、感情的な「釣り」となるパワーワードを散りばめた、意味ありげに感じるが実のところ無意味なトークを即興で組み立てつつ、饒舌かつ一方的に喋りまくるといった技術に長けている。

 この手の人物はたいてい、真剣に聞いている人物にむけて饒舌ではあるが真意が読み取れない言葉を長い時間にわたって浴びせ続けて、利用者の判断能力を低下させる意図がある。ドメスティック・バイオレンス(DV)の加害者像を思い出させるが、DVの加害行為とは高度な社会性や知能があって可能になるものだ。DVの能力とは社会性と表裏一体でもあり、そのような人物は澄ました表情をして平凡な風景に溶け込んで、姿を消すのが上手い。

 脱線した話を本題に戻そう。知人の転院手続きである。

 このとき、私は大学病院から市役所の福祉課へと「ウチの患者が転院の手続きに行きます」との電話を入れて貰うよう、頼んであった。それから数日後、大学病院と市役所の双方へと「転院について市役所へと電話はしたか」「大学病院から転院について電話があったか」を確認した。ここでもスマートフォンの録音機能は利用した。

 大学病院は市外から遠くにあるため、かりに市役所の側に損益が生じるような情報を録音機能にぶっちゃけたところで、ちっとも損をしない。もし近隣の私立病院から妨害の電話があったとしても、県内では影響力のたかい大学病院の言い分をとるか、それなりの規模はあるが個人経営でしかない私立病院の言い分をとるか。つまり私なりに大学病院の「虎の威を借りて」根回しを図ったつもりだが、はたして実際に効き目があったのか、どうか。ともあれ市役所は電話口では、転院の手続きに応じる姿勢を示した。

 それでも窓口では先ほど書いたように、部署の上司や職員の意向しだいで話を引っくりかえす可能性は捨てきれない。そんなケースも予想して然るべき用意をしておくに越したことはない。窓口の職員がDVまがいの技術でゴネたときは、どうするべきか。

 どの案件にも、これまでは基本的に以下の方法が効果をみせた。
 
 ➀まず利用したい制度上のサービス名を、こちらから具体的に明言する。正式な法制度の名前を挙げるのだ。
 つぎに障害者総合支援法の制度的な仕組みを、書籍や書類などを利用する側が職員へと提示。該当するサービスが現実に実在することを確認させる。

 ②並行して手元にあるスマートフォンから、厚生労働省や日本年金機構のウェブサイトへとアクセスし、該当する箇所をあらためて指摘。逐一、利用する側が制度上の仕組みと合法性を明示するデータを提示して、説明を重ねていく。

 それでもゴネる姿勢が伺える場合、どうするか。隙を突いて交渉内容の主題からズラし、感情的な「釣り」であるパワーワードを藪から棒に投げつけ(感情的な挑発をねらう攻撃である)、饒舌かつ一方的に喋りつづける手口を緩めないのであれば。

 ➀と②で並行して用いるべき手段がある。社会保険労務士事務所のブログから関連する記事をPDF化してプリントアウトしたものを見せるのは、かなりの効果があった。法的な過失はなく、ましてや不正受給の類でもない(不正受給ではない事実を実証するために、大学病院から電話を入れてもらうわけだ)。

 そんな交渉を突っぱねたとすれば、貴方たちは今後、どうした目に遭うと思うか…とは明言せずに「匂わせる」道具として。社会保険労務士との繋がりや具体的な事務所の名前、なんなら窓口で社会保険労務士その他の関係者…弁護士…へと電話を繋ぎ、職員と直接に会話させるよう強いるのもよい。

 これは後のエピソードであるが、知人の障害者自立支援医療費受給者証を更新するさい、窓口の職員が「不穏な動き」を見せたことがあった。その場で直ちに大学病院の総合受付に電話を入れて、市役所職員と大学病院の窓口と1対1で会話させた。それで話は穏便に済んだ。

 相手方に一種の「恐怖感」—この案件を呑まないと、オレ/アタシや上司の「首が飛ぶ」かもしれない―といった類の感情を抱かせる手。ここまで来れば、もはや強請の常習犯と変わるところがない。違いといえば、私は知人のために福祉制度を利用できれば、あとは幕を引く。それだけの違いである。

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 それにしても、である。国が制定した障害者総合支援法の制度を利用するために必要であった書籍、パソコン、プリントアウト、電話代など、幾らの金額を要したか。市役所を行き来するにも自動車とガソリンを使うのだ。利用する側の支出は大きいが、制度利用をするだけなので支出した分だけの収益が得られるわけではない。

 つくづく福祉制度や医療制度は、市場原理によってのみ稼働している制度であるとは思う。だが、そういうものだ。誰がどうしてこうなった、といえば、色んな政治と経済の力学が作用した結果であって、責任者なんかいませんよ、としか今は言えない。イルミナティまがいの「影の支配者」も、「総資本」も現実にはいない。

 ところで、知人の周辺には居住や光熱費を支援するサービスの利用や、就労移行支援事業などの支援があるだろう、そう疑われる方がおられる筈だ。

 建前では、そうなっている。だが福祉支援施設は市役所の「支社」であるため、ハコだけは作って後は利用させないよう様々なハードルを設けている。
 加えて法制度の制定以降、雨後の筍のごとく増加した「就労移行支援事業者」には、素性の怪しい輩が大量に流れ込んでいる節がある。その光景はさながら、全国各地で問題化するソーラーパネル事業のごとし。

 知人と私が見聞きした地元自治体の福祉支援施設、それに「就労移行支援事業者」のケースについては、あとあと触れていきたい。特に知人が利用した「就労移行支援事業」は、補助金ビジネスの色合いが濃いものであった。


ここで一旦、話を終えるが最後に一言だけ

 
 ここまで市役所や医療機関との交渉・取引の体験談について、どこまでも主観から披瀝してきた。いったんは話を終えるが、念を押しておきたい一点がある。

 こんな手段を取る人物など、職員であろうが利用者であるかを問わず、はっきり言って「人でなし」だ。人の道を外れた、まさしく外道の生き方である。

 警察にパクられる輩との違いがあるとするならば、目的が単なる福祉制度を穏便に利用するだけで終わるか。それ以外の違法行為が目的であるのか。それだけの違いでしかない。

 それでも、ここまで手を回さねば「社会的弱者」と他人様から呼ばれる知人の生死を、現実には合法的に守ることは出来ない。私は福祉課窓口や私立病院の職員とおなじく、つくづく「悲しい人間」であると思う。

 というわけで、以上のような方法は決して他者には薦めることが出来ない。一歩間違えれば、どうなると思われるか?

 だいいち、あの手この手を使い倒して「取引」をクリアしたところで、窓口に立たされている市役所職員や病院窓口の受付は、どうなるのだ。取引に応じざるを得なかった彼/彼女にだって、かけがえのない人間であり、家族や友人、パートナーがいるのだ。その生活と人生が懸かっている。その命取りになりかねない行動を取って、やっと知人の回復や生活が多少なりとも支えることを実現させる。

 知人も私も、こんな真似を重ねたところで全く嬉しくない。虚しさが募るばかりだ。ビジネスのプロならば「そんな甘っちょろいことを…」と嘲笑されるだろうが。

 今日、とある媒体で「力に頼らず言葉で共存を目指すのがリベラルデモクラシー(自由民主主義)の大原則だ」と仰る、東京の大学に籍をおく法学部教授の言葉を読んだ。
 皮肉ぬきで、その通りであるべきだと同意する。文句のつけようがない。ただ今は「あるべき論」の言説から遠く離れた土地に住んでいる。共存も共感もへったくれもない「紛争地帯」を手段を尽くして生き延びるほかには、「日本から出て行くべき社会のお荷物」呼ばわりされる知人を、支える有効な手段はない。

 いまは虚心に眼の前の現実と対峙しつづけ、対応を続けるだけだ。誰のためでもなく、夜に吠えてみる。

 

 つづく


参考図書一覧
これならわかる〈スッキリ図解〉障害者総合支援法 第2版 
翔泳社 2018年


法学入門 
有斐閣 2021年 


民法の基礎1 総則 第5版
有斐閣 2020年


詳説政治・経済研究 第3版
山川出版社 2016年


『水俣病の政治経済学 産業史的背景と行政責任』
勁草書房 2007年


『不敗のドキュメンタリー水俣を撮りつづけて』
岩波書店 2019年


土本典昭 文書データベース
ドキュメンタリー作家である故・土本典昭の関係者が管理するデータベース。企業・水俣市と住人・熊本県・関係各省庁・医療機関が、あの手この手を用いて水俣病患者を攻撃や抹殺を図った、その一端が垣間見える。

https://tutimoto.inaba.ws/


厚生労働省公式ホームページ
https://www.mhlw.go.jp/index.html
 



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