「楽しさ」を自分で生み出せる人間になる
ワイドショーは見ないし嫌いだが、嫌でもゴシップは耳と心に飛び込んでくる。テレビのトーク番組やラジオを切り抜いたニュースにもうんざりする。
そういった刺激を求めてしまう人間の心理は理解しようとしつつも、自分はそうありたくはない。ショーでないものをショーにしたくはないし、他人のトラブルや不幸を面白がりたくもない。そう思っていた。
以前、あるポップスターの偽情報が出回ったことがあった。当時、何となく耳に入っていたが、詳しく知りたいとは思わなかった。
情報の真偽云々もそうだが、そもそも有名人であっても個人のことでとやかくいうのは違うと思っている。ファンだからと言ってその人の人間性について残念に思ったり、がっかりしたりすることも筋違いだろう。友達とか家族じゃねえし。
しかし、野次馬や近所の噂話など、他人の不幸を安全な場所から眺めて騒ぎ立てるのは昔からの人間の娯楽なのだろう。今では、SNSによって、無責任に口出ししたり、渦中の当人を攻撃したりできるよう、テクノロジーが進歩した。
こういう時にいつも気がかりなのは、応援しているその人が傷つき、作品が生み出されなくなり、好きな人の作品に触れられなくなってしまうことだ。今まで何度彼の作品に救われてきたことか。
そんな風になったら悲しいなあ、と思いながら、いつものように通勤途中の車内でそのポップスターがパーソナリティを務めるラジオをタイムフリーで再生した。
オープニングの彼のトーンはいつもと同じだったが、内容は重苦しく感じた。冒頭から迷わず報道に触れて否定し、その後女優である奥さんも電話で出演した。
二人の感じと、それでも楽しくラジオをリスナーやファンに届けようとしている姿勢に感極まる。いつもなら仕事に行く憂鬱さや不安に頭の中が支配されて、心ここにあらずでつけている通勤中ラジオに、この時はいつの間にか聴き入っていた。いつものように、日々の辛さや苦しさを考えなくて済んでいた。
それどころか、この「ショー」に、胸が高鳴り、わくわくしてしまっている。憂鬱や不安は消え、脳ではアドレナリンが盛んに分泌されている。
これか。
我に返りふと気が付いた。
他人のトラブルに目を輝かせる人も、無責任に攻撃する人も、心理の根本はこれなのではないか。みんな、自分を忘れたい。上手くいかない自分、辛い自分、苦しい自分、不安な自分、冴えない自分、つまらない自分、心の奥底では満足していない自分から逃げ出したいんだ。僕も、同じではないか。
自分で楽しめる人間になりたい。そう思った。自分の中から楽しさを見つけ、生み出せる人間になりたい。人が傷つくことでしか刺激が得られない人生なんてまっぴらだ。
「でも、またこれが話題になっちゃうんだろうなあ」
最後に奥さんがしみじみ、あきらめたように言った言葉が、優しく光る棘となって胸に残った。