自分で選んだ「選ばない」こと
教師になって6年目の春、管理職の道を勧められた。
ある日突然校長室に呼ばれ、力量を褒め称えられた。
異動して間もない学校だったので、嬉しかった。
が、薄気味悪くもあった。
普段は、行政や地域の有力者との関りや、学校研究課題の全国発表で頭がいっぱいの校長である。
「自分だけのことではないので、家族とも相談させてください」
僕はとりあえず、回答を棚上げした。
「管理職」というものが嫌いだった。
学校全体を見る、と言えば聞こえはいいが、
それを楯に子どもや教師一人一人を見ていない。
人間性を否定しているのではない。
真面目で善良な人ほど、森ばかり見て木や土を見ず、学校を良い方向に導けないばかりか、その事実に気づきもしない。
そんな管理職ばかりだと思っていた。
そんな存在にはなりたくなかったし、
そうならないよう抵抗し、何か巨大なものと闘って人生をすり減らしたくもなかった。
「家族会議で止められました。私自身も務められる自信がありません」
嘘をついて断った。やりたくないと正直に言えないのが情けなかった。
それから2年が経った。
毎年2,3回は校長室に呼ばれ、説得された。
自校からどうしても管理職候補者を出したい、という思惑が透けて見えた。
校長が変わっても同じことが繰り返された。
そのたびに辟易し、「絶対こうはなりたくない」と頑なに思った。
しかし、担任の仕事に疲れている自分も自覚していた。
対子ども以外の業務や、徒労だとしか思えない対応が多すぎた。
心を砕いたのは、一緒に仕事をする若手のメンタルやモチベーションだった。彼らには、教師としてあるべき苦労を乗り越え、まっとうなやりがいや喜びを感じて欲しかった。
だから、一緒に学年を受け持つ若手の、時間と心ばかり削られる生産性の無い仕事を、進んで請け負い続けた。
ある時、校長との面談で、そんな思いを正直に打ち明けた。
しかし、そこを捕まえられた。
管理職を目指してキャリアアップすれば、その思いは実現しやすくなる。
たくさんの若い先生のためになれる。そんなことを言われた。
先輩の先生からも、思いを実現するためには、夢を叶えるためには、
「視座」を上げ、「視野」を広げる必要がある、と教わった。
「立場ではなく何をやるかが大切だ」ということを思い出しもした。
心が揺れた。
その年の冬、同じ学年の若手の先生のクラスで、大きな問題が起こった。
問題は広範囲にわたり、新人の彼女の手に負えるものではなかった。
一年目にして教師という仕事にすっかり打ちのめされてしまった彼女を、これ以上奮わせるのも酷だった。
僕は、何人かの先生とともに矢面に立ち、心身をすり減らしながら対応に当たった。
最終的には、その管理職も対応に加わり、なんとか問題は収束した。
新人の彼女も、仕事を休むことなく、必死に最後まで闘った。
しかし、彼女にとっては、「良い経験になった」で済む出来事ではなかった。
僕に残ったのは、徒労感と無力感だった。
今のままでも、管理職の道へ行っても、到底信念は貫き通せそうにない。
そんな諦めが僕を襲い、絶望した。
次年度からは、家庭と自分自身を最優先した働き方をしようと決心した。
さらに二年が経った。
いつの間にか、校長は僕を校長室に呼び出さなくなった。
僕は僕で、熱意を失い、毎朝やっとの思いで職場へ行く日々を送っていた。
そんなある日、人づてに、二年前に同じ学年を受け持った彼女が、
僕のことを陰で褒め、感謝をしてくれていたことを聞いた。
これほど嬉しいことはなかった。
毎年のように若い先生が退職していったが、
彼女は今も、様々な困難や理不尽を乗り越えながら、
教師という毎日に果敢に挑み続けている。
子どもとの関りや成長、授業や行事のことで一喜一憂し、
大きな仕事を任されても、笑顔で文句を言いながらやり抜き、
二年前とは見違えるほど、たくましくなった彼女を見る度に思う。
管理職への道を「選ばなくて」よかった。
理解されにくい道を、自分自身で「選んで」よかった。