先生の希望をつなぐ。「今」をつなぐ。
星野源さんの楽曲、「ドラえもん」の一節である。
小学校の全校行事などでこの曲を流すと、たちまち大合唱が巻き起こり、割れんばかりの手拍子が鳴り響く。どこか人の生きる道をうたったようにも取れる、この2番の冒頭の詩が、子どもたちの無邪気な歌声に乗って体育館に舞う。
教員採用試験に合格できず悩んでいた20代の頃。
教師の道をあきらめようと思った時、再任用の大ベテランの先生に、
「辞めるなら一番いいときじゃないとだめよ」
と言われたことがある。
僕は、同じ言葉を、学校を去っていく20代の若手にかけることができなかった。
「どんなに大変な毎日でも、卒業式を迎えると、また辞められなくなっちゃうんだよなあ」
昔勤めていた中学校の、先輩の先生の言葉である。
当時は、そういうものか、と思い憧れた。しかし今は、そればかりではないと思う。
やら「ねばならない」膨大な業務を課され、
日々数々の対応に追われ、
子どもや保護者との関係に悩み、
研修では先輩教師のやり方や考え方を一方的に押し付けられ、
且つその土俵で高い水準の成果を求められ、
やりたいこともできず、
思いを形にする時間もエネルギーも残らない。
「毎日ぼろ雑巾のように働いて」
これは、まだ20代だった優秀な学年主任が退職の挨拶で残した言葉だ。
卒業生を自信を持って送り出せるほど成長する前に、成果を実感して達成感を味わえるようになる前に、若い先生が次々辞めていく。いったいなぜ。
「セロトニンとドーパミン、今の幸せと未来への期待の両方が必要」
これまた星野源さんの言葉である。
星野さん自身、誰かの受け売りであると言っていたこの言葉に、僕は思い当たることがあった。
教師のバトン
この言葉が世を騒がせていた頃、皮肉にも僕は、同じ学年を担当する若手が辞めないよう必死だった。未来への期待を二の次にして、若手が、どうやったら「今」やりがいを持てるか日々考え続けた。
子どものため、よりも、若い先生のモチベーションため。
これは僕自身のモチベーションにもなった。
そんな日々が3年続いた。
僕自身も楽な毎日ではなく、折れそうになる出来事もあったが、何とか駆け抜けた。それは、若い先生のおかげでもあったのだろう。
同じ学年を組んだ新人二人は、大変な時期もあったが何とか生き残り、その後卒業生の担任も経験した。時にはふてぶてしく文句も言いながら、今もたくましく教師を続けている。
彼らは、未来への期待を感じられただろうか。
星野源さんの「ドラえもん」 Cメロである。
先が見えない時代であるが、
今でつないで、
明るい未来のイメージと、期待を育てて、
先生の希望をつなぎたい。
ドラえもんのいる22世紀に届くように。