言葉にできない心を伝えたくて、言葉にしてたんだ。〜人生のギフトを探す旅・21
自分のことを自分で
変わっているというのは
なんか変だと思うけれど、
私って変わっています。(笑)
生まれてからの
それぞれの時代で
その「変わっている」部分も
変わってきていて、
現在では、
その「変わっている」ことを
だんだん自分自身が
受け入れて、
味わって、
許していこうと思えるようになってきました。
そうしてたどり着いた場所が
朝活。
そこで私は
自分の人生の中の
ネガティブの裏にあるギフトを探すことに
ずっとチャレンジしてきました。
小さな頃
私は、物を使って
空想の中で遊ぶ子でした。
まぁ、小さな子がやりがちな
いわゆる
「ひとりごと」
「一人遊び」
が激しい子でした。
自分で覚えている限りで
面白い
そして、自閉っぽい
その遊び方は、
粘土と箸!!
この2つを使った遊びは
大人になった今でも
自分の中のトップ3に
君臨する
私らしい遊び方の思い出です。
まず、粘土遊び。
普通、子どもが粘土で遊ぶ時って
粘土を使って
具体物を模倣するような
何かを表現するために
人工物をそっくりに作るような
活動が多いかと思います。
ネコを作るなら、ちゃんと
四つ足で
ウサギを作るなら
耳を長くして・・・とかね。
で、
もし、人を作るなら
人型を作ろうと意識するんじゃないかなぁと
思うのですが、
私の場合、
粘土を丸めたただの丸い形が頭で
粘土を三角錐(さんかくすい)にしたものが
体でした。
目や鼻や口もない🤣
つまりただの丸と三角。
その丸と三角をひたすらいっぱい作って
み〜んなにちゃんと役割があって
一人でごっこ遊びをする
という遊び方。(伝わるかな〜コレ)
当時の私には、
その丸と三角でできた人型は
一人一人に名前もあって
性別もあって
年齢もあって
まさしく家族を構成していて
その人型たちには
社会もあって、
家もあって
リアルに動かして
会話をしていました。
その会話を自分が表現する。
人型を自分で動かす。
一人で何役もこなしながら
その社会全体を
私が上から見ている状態。
は〜、今思えば
その時の私は
粘土の人型を動かす
神の手の模倣だったんだ!
そうやって上からその
人型たちの会話を聞き、
人型たちの動きを見守り
俯瞰して楽しむ。
もしかして、神様は
こうやって
私たちが悩み、苦しみ、
時には歓喜する様を
見守って楽しんでいるのかもしれないな。
やっぱり相当変わっているけど
子どもなら、
みんな経験あると思う
一人遊びの時期。
自分が創造主だったことに気づく。
おもちゃで遊ばされるのではなく
自分で創り出していたことを
今までは、
私って変な子だったなぁって思ってたけど、
今日は
「すごいじゃん」って
感心する。
これからの私は
こちらを採用しよう♪
母子家庭で貧しかったのと
母が子どもにある意味
無関心だったので
おもちゃが家にほとんどなかったのが
逆に私の人生にとって
最高のギフトだったのか?!
あ〜面白い!
そう思うと、
みんなと同じように
「お出かけわんちゃん」という犬型の
可愛い人形がほしくて、欲しくて
生まれて初めて母にねだったのに
買ってもらえなくて
お店の中で
転げて泣いたあの日のことも
(お母さんなんて大嫌い!)
(こんなに私が欲しがっているのに!!)
(私のこの強い思いは母には届かないんだ)
と
自分には価値がないんだと
思い込んだあの日のことを思いだしても
それがギフトだったのかーーーー!!!
と、今、思えた。(笑)
話がずれちゃったので
話を戻そう。
そうやって
「見たて遊び」ばかりしていた私。
「箸遊び」では、
箸の真ん中あたりに
ティッシュペーパーを
セロハンテープでくっつけて
スカートに見立てて
箸を動かすたびに揺れる
ティッシュペーパーが
私には
最高におしゃれな洋服に見えていた(爆笑)。
その時の癖が抜けないから
私は、自分が人と関わるときも
どこか
自分が乖離しているような感覚があって
口に出す言葉が
本心じゃないと思う時が多々ある。
心の中では、
もっとこんなに考えているんだ。
こんなことも考えているんだ。
でも、口に出るのは
たったのこれだけ。
しかも、全然
思いに追いつかない言葉たち。
「なんか、違う」
「言いたいこと、伝えたいことは
こんなことじゃない。」
ずっと抱えてきた違和感は
次第に、人とコミュニケーションをとる時の
歪みとなる。
コンプレックス。
どこか人ごとになってしまうことが
多々ある私は、
個人的なお付き合いなら
素の自分でいられるから、
朝活の中での
ねぎらいタイムがとても
楽しかった。
ご縁をいただけて
1対1で向かい合えると
違和感なく素の自分でいられた。
そんな素晴らしい時間も
一旦、ここでおしまい。
寂しいな。
まだまだ、話していない人いたな。
もっともっと
仲良くなりたいかったな。
私が、心の声と
口に出す声の乖離をずっと
違和感として捉えていた
原因が
なんとなく見えてきた
21日間の旅となった。
それでも、まだまだ
人生のギフトを探せることが
山のようにある。
一つ一つに向き合いながら
今、この瞬間に
書きたいことから書く
降りてくる言葉を
ストレートに表現する。
こんな場所があってもいい。
そういう場所になったとおもう。
ここまで
朝活の仲間がいなかったら
絶対に書き続けられなかったと思う。
コメントをもらうたびに
泣けたことも多々ある。
人の記事を読んで
考えさせられたり
人の悩みを聞いて
自分を振り返ったり
そのすべてが
今の私に必要だから
出会えた仲間たちに
心からありがとう。
本当にこんな
私ごとの心の整理につきあってくれて
ありがとうございました。
読んでくださるみなさまにも
ありがとうございます。
これからも
「書きたいことを書く」
「感じたことを書く」
「人生のギフトを見つける」
続けていきたいな。