付き合って5ヶ月のスピード婚だったのもあって、お互いまだよく知らないことも多い。夫の過去の女性遍歴もそうだ。出会ったときは49歳、気のいい小さなおじさんという印象だった。 ある日、昔の30歳くらいの免許証の写真を見たら、イケメンぶりに驚いた。正直どタイプ。これは何かあるに違いないと直感が働いた。聞けばやはり、出てくる出てくる。自称モテて、実家にもかかわらず連れ込んで、母親に「ふしだらね。」とすら言われたそうだ。 なかでもセンセーショナルなのが、肉じゃが女の話。朝出勤する時
後に夫となる彼とは、いわゆる出会い系アプリで知りあった。ただ新しい形として事前に顔写真や詳しいプロフィールを公開することはせず、そして更にAIによるマッチングを行い、デートの設定も運営がしてくれるというもの。 デートというより初顔合わせはお互いアバターの仮想空間で。AIとメタバースという、ある意味先進的な仕組みだった。 3回ほどメタバースデートをした後、実際に会うという流れになった。私は事前に写真を送ったけれども、彼からは送られてくることはなく、当日どんな人が現れるのか
突然現在に話はとぶけれども51才の今、結婚をした。相手は2才下の男性。交際を始めてから5ヶ月のいわゆるスピード婚。さすがにまだ早いと彼には戸惑いもあったようだけれども金銭的なメリットを提示しつつ、勢いのある力技で。笑 金銭的なメリットということで打算や妥協なのではと想像されるかもしれないが、打算はあっても妥協では全く無い。初めて会った時に落ちた感じがあった。存在全てがタイプでとても優しくて私のことも好きになってくれて、気がつけばそこにある形になっていたというのが事実だ。
娘が高校生だった頃、私は営業の仕事をしていた。ある日、人事異動でとんでもない部長がやってきた。かなりヤバい方だと噂は色々聞いていたけれども、まあそんなに構えないでいこうと思っていた。 結果、半年もたたないうちに私はメンタルを病んでしまった。典型的なパワハラ、クラッシャー上司によって。この時に色々読み聞きして、パワハラ全般の知識を身に着けた。その後、友人が同じような目にあった時、その知識と経験を元にフォローすることが出来たりもした。友人は転職を選び、今は普通に仕事ができている
それから数年がたって娘が高校生だった頃、今度は元旦那のお母さんが亡くなった。ある日突然、娘に相続権のある遺産があるので連絡が欲しいと法律事務所からの封筒が届いた。 初めはあのクソ嫁(の娘)に金なんか渡すか、相続放棄をするように言ってくるだろうと思っていた。離婚する時に彼の兄(長男)と言い争った事もあったので。ちょっと横暴な性格の方だったのを覚えている。けれども先方からの申し出は、これまで何も出来ていなかったので権利通り受け取ってくださいというものだった。それは彼の二番目の
母が亡くなる少し前に、元旦那が亡くなったことが判明した。ある日携帯会社の督促状が、代行している法律事務所から娘あてに送られてきた。携帯料金の未払があるので、法定相続人の子が払ってくださいというもの。 そこに本人死亡のためにと書いてあったはずだが、彼が亡くなったことよりも、娘に負債が降り掛かってきたことに衝撃と怒りを覚えた。もちろん未成年の娘の法定代理人は母である私で、私に払う責任が発生する。多分彼は40代後半、一般的よりはかなり若い死。何があったかは結局知ることはなかったし
中学受験の結果は公立中高一貫校は落ちて、地元の公立中学に通うようになった。入試の練習のために受けた私立は受かっていたけれども、そもそも行くつもりはなかったので。公立だったけれども制服やら体操着やらで20万くらいかかって、その当時はけっこうな負担感があったのを覚えている。 娘が中2の時、暑い夏の昼頃父から慌てた様子で電話がかかってきた。母が倒れて救急搬送されたと。朝なかなか起きてこない母の様子を見に行ったら、既に意識がなかったそうだ。そのまま病院で死亡が確認された。脳出血
小学校4年生になってからは、塾に通い出した。その頃でき始めていた大人気の中高一貫公立校を受験するために。 わが子ながら、コツコツよく勉強して偉いなぁと思ってみていた。このあともっと大きくなってもそこは変わらず、私から勉強しなさいと言ったことはなかった。 私も中学受験を経験していて競争だらけの日々を送っていたので、自分の子にも迷わず同じような道を歩ませていた。 合格という同じ目標に向かって母娘で取り組んでいる、そんな状況に陶酔するかのように。学年が上がるに従って塾費用も
順調にシングルマザー生活を送りながら、娘は小学生になった。実家が近いのもあり、放課後お友達を集めてそこで遊ぶことも多かった。 5歳頃から始めたピアノ、1年生になってからは水泳、ダンスと忙しく毎日を送っていた。ピアノは私が習っていたからやらせたくて、発表会では母娘連弾も披露。練習も大変だったし、本番の緊張は半端なかった。ダンスはお友達の影響で、娘本人がやりたいと言い出してはじめた。 そんな習い事の送り迎えを私ができる訳もなく、父が大活躍してくれた。hのおじいちゃーんと地域
その当時、保育園最後の日という題名でブログを書いた。娘は4月から新一年生になって、またひとつお姉さんになることを喜んでいた。小学校へ通う道で写真を撮ってそのブログに載せた。 その頃元夫とは全くの音信不通、娘の状況くらいは知らせてあげようという親切心から私のブログの存在は教えていた。これが後に恐ろしい事件を引き起こすことになってしまった。 運動会の準備だっただろうか、お父さんチームが学校の校庭で活動をしていた時、元夫が娘の父ですと名乗って現れたらしい。後からそこにいたお父さ
新居で新生活をスタートさせて、一段落ついて生活も落ち着いてきた。その頃まだまだ29才、恋とかもしたくなるわけで。今のようなアプリ全盛ではないけれどそんなサイトはあって、そこで出会った年上で映像制作の仕事しているフリーランスの方とお付き合いを始めた。お家デートで私の手料理で過ごすことが多かった。 その間娘は? 実家に預けてデート後夜中そのまま実家に泊まって、という流れで。なんだかんだで細く長く、10年位続いた。最後は、あまりに会えない状況に私が爆発してしまって。仕事で忙しいと
心機一転、シングルマザーとしての道を歩み始めた私。マンションも全面的にリフォームし、仕事にも精進。有難いことに扶養手当もつくことになり、収入も格段に上がった。 ここからは仕事に子育てに忙しかったけれども、楽しく充実した毎日だった。定年退職してアルバイトをしている父に残業時はお迎えをお願いし、週末には実家でみんなで食事をした。平和そのもの。 話は戻るが、実家居候から自立してマンションを買おうと思った理由についてご説明。実家住まいなら自分の部屋もあるし色々安心だし、経済的に
離婚することを決心した私は早速その意向を彼に申し入れた。マンション購入のローン成立は、離婚が条件になったいたので、そのことについてはバレないように細心の注意を払った。もしわかったら、嫌がらせで離婚を拒否されかねないから。 そもそも、このままいたら自分のひいては娘の普通の生活もままならなくなるという危機感があった。一番怖いのは金銭トラブルに巻き込まれること。借金をこっちも背負うことになっては、もう目も当てられない。娘をまともに育てられる安心した環境を守りたかった。 結果、離
娘と共に実家に居候し、しばらくは別居生活を続けた。今ではだいぶ、市民権も持ち得ているバツイチやシングルマザーだけれども、まだその当時はとても特殊な存在だったと思う。父親のいない子、離婚なんて世間体が悪く親にも迷惑をかけてしまう。そんな思いで、再建へ向けてもがいていた。 でもやっぱり、人間そうそう変わるわけもなく。彼の生活ぶりや、現実逃避のような甘々な考え方を目の当たりにする度に、もう無理だと思う気持ちがどんどん大きく膨らんでいった。 行政書士の資格を取って開業するだの、保
2回目の失踪。結局、彼は会社を退職することになり無職に逆戻り。 お義母さんに間に入っていただき、またのこのこと帰ってきた彼と話し合い。父親のいない子どもにしてしまうのは避けたく、再建の方向ですすめたいとは思っていた。けれどもなぜか、逆ギレされて交渉決裂。私は服をカバンに詰めマンションを出た。逆ギレの理由は何だったのかいまいち思い出せないけれども自分の行動を棚に上げて、なんだそりゃ?と。 都内にある実家に身を寄せることになった。 この頃家を買おうとしていて、彼が失踪した日
たくさんミルクを飲んでスクスクと娘は育っていった。生後6ヶ月で娘を保育園に預け、私は仕事復帰した。仕事では周りに差をつけられたくない思いから、時短はとらず残業もこなした。当時住んでいた場所の近くに桜の名所があったので、春はベビーカーを押しながら桜を愛でたり、とても穏やかで愛に満ち溢れた時間を過ごしていた。 そしてまた夏が来て1才を迎え、両家集まってお誕生日のお祝いをした。ほんわか楽しいひと時。 悪夢の再来、その日の夜また同じことが起きた。キャッシングの明細がたくさん見つか