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取材ライターのminaです【自己紹介】

こんにちは。

取材ライターのminaです。
大手報道機関の記者→ビジネス系Webメディアの運営を本業としています。
副業としても取材・ライティングのお仕事を承ります。
以下をお読みいただき、興味をお持ちくださった方はご相談ください。

noteはプライベートでの投稿を中心に続けていきたいので、引き続きお付き合いくださると幸いです。

報道機関の記者として12年勤めました。
支社時代は事件事故、災害の取材はもちろんのこと
科学や文化財、文化遺産の取材をメインに、
最後は本社文化部で文化ネタ全般を扱いました。

子連れ取材多々。皆さんお世話になりました。
写真は福井県敦賀市の書店「ちえなみき」


その後、ビジネス系Webメディアに転職し、企画から取材、執筆、編集、運営を担う現役ライター・エディターです。幼い娘2人を育てる母でもあります。


ビジネス系の取材は本業で200%全力でやっております。
だから副業では文化系の取材を中心に探しています。
と言いつつ、ほとんどやれていません…!

報道時代に取材したこともある要約サービス「flier」で少しずつ、要約ライターのお仕事をしている以外は、事実上セーブしています。

とは言え、本業でも副業でも、生業は「記者」だと思っています。

純然たる報道機関の所属ではないと「記者」は名乗りにくいので、取材ライターと称していますが、取材をして記事を書くことが本懐だなと、むしろ記者を辞めてからのほうが、ひしひしと感じています。

文化系のライティングは機会が少ないです。希望者は多い割に、豊富な募集や予算がある市場ではないでしょう。

けれど、ありきたりな言葉だけれど、文化は心を豊かにしてくれます。
その魅力を取材し、咀嚼し、付加価値をつけて発信する機会を探し、会社の看板無しで挑戦し続けるのが、今の目標です。


〈何が書けるか〉

ここでは副業で何を書けるかをお伝えします。
ビジネス系は基本的に本業と競合するので受けられません。
以下の分野を得意・関心領域とします。

アート食/環境/科学文化財建築保活/育児メディア

プライベートでは、子連れ旅や子連れアート鑑賞のリアルを綴っています。これは自分の復習やカウンセリングという意味が大きく、本当はもっと時間を見つけて、頻繁に執筆したいです。


〈スキル〉

・納期厳守
・ファクトチェック含めた正確性
・原則24時間以内のレスポンス
・トーン&マナーの使い分け
・SEOを意識したコピー作成やライティング

は大前提です。記者時代は他社に先駆けてスクープを出すのが本分だったため、本質をつかんで記事を書くのはめちゃくちゃ早いです。

世界情勢や日々のニュースにアンテナを張り、物事の本質的価値を分かりやすく、正確な形で発信することを信条とします。

同時に、媒体や取材対象者のニーズを捉え、心に訴えかける真実性と情緒を備えた取材・表現手法を心得ています。

セーブと言いつつ、いつでもチャンスは探しています。
気軽にご相談ください。
真心を込めて対応させていただきます。

〈なぜ取材ライターなのか〉


ここでは、なぜ自分が本業でも副業でも記者、あるいは取材ライターを生業とするのか。その理由を、転機となった大学時代まで遡ってお話します。

【なんで私が東大に?→環境要因】

幼い頃に両親が離婚し、母の実家の隣にある小さなアパートで育ちました。
母は大学の事務職員でしたが本人は短大卒で、身近に4年制大卒者はいませんでした。
にも関わらず、自然と大学進学を目指せたのは、東京、それも都心という環境要因が大きかったでしょう。

いわゆるドーナツ化現象で生徒が少なく、小中学校ではきめ細やかな指導をしてもらいました。ヤンキー含め、多様な個性や考え方に触れる機会があったのも、視野を広げてくれたと思います。

母子家庭だったので、私立校には行けないと考え(母は何も言わなかったですが)、それなりに勉強を頑張って都立の進学校へ。素敵な友や先生にたくさん出会えました。

文系科目は得意でも、物理・化学は赤点。
そんなだったので、文理両道の成績上位者が目指す東大が射程に入るとは、高三で部活を引退して受験一色になるまで、想像もしていませんでした。

本気で東大を意識したのはセンター試験で「足切り」になった時です。「記念受験」と言っていたくせに、大ショックでした。

東大の本試験に挑んでみたい。門前払いを食らったからこそ、貪欲に思ったのです。
運良く私大に受かっていたので、予備校の授業料免除などの特典を受けられました。学費の心配はしなくていいからと母の許しを得て、初めて勉強漬けの生活に入りました。

東大受験は傾向を踏まえた堅実な対策が有効です。
文系の試験では難問奇問よりも、知識の質を測る良問が出ます。私は、日本史や古文に出てくるクイズのような記述式問題や、本質をスピーディーにつかむ力が問われる英語のサマリーが好きでした。

いま、要約ライターをしているのも、サマリー好きが生きているのかも知れません。

苦手な数学も、東大文系の場合、解答が違ってもプロセスに合理性があれば加点してもらえました。

過去問をひたすら解くうちに、そんな東大入試のスタンスに共感。「絶対に入りたい」と強く思ったことが、支えになりました。

東大生の親の収入は「1000万以上が40%以上」とも言われる中で、我が家は裕福ではなかったけれど、環境や巡り合わせに恵まれました。東京在住でなかったら、東大を目指すことはなかったでしょう。


【なぜ記者になったか】

環境要因や、巡り合わせで東大に入れたという事実は、
将来を考えるときに強く影響を与えました。

「自分はたまたま恵まれた」からこその、社会貢献意識みたいなものです。

今でこそ、自分は恵まれた、あの人は恵まれていないといった区別がおこがましい勘違いだと分かります。
自分と子どもを生かすのに精いっぱいで、社会のためにできることなど、希望はしても実態は皆無に等しいです。

ただ、少なくとも制度的には、親の収入や性別、身分に縛られることなく(構造として格差はありますが)、国内最高と言われる大学まで進学させてもらえた自分は、社会に何を還元できるだろう。そんな問いを抱き続けることになったきっかけは紛れもなく東大だったということです。

さて。運に助けられて入った東大は、楽しかったです。
でも、最初に浸っていた「自分すごい」みたいな幻想は瞬殺で打ち砕かれ、強烈な劣等感が卒業から十数年たった今も根を張り続けることになります。

周囲が素晴らしすぎたのです。
文武両道、才色兼備なんて当たり前。
自分の人生を豊かにし、それを他人にまで分け与えられるあふれるばかりの能力と高潔な人格、しかもユーモアや遊び心まで兼ね備えた人がたくさんいました。

この人たちに、自分は何一つ適わない。

ただ、彼らや、彼らのような人の素晴らしさを
他者に伝えることはできる。伝えることで、誰かに知識や勇気を与えることができるかもしれない。
それが世の中を少しでも、良くするかもしれないーーー

そんな思いが、報道機関への就職につながった大きな要因になりました。
(実際はある本を読んだのが直接のきっかけになりました。そのご紹介はまた機会があれば)

その後、取材やメディアのあり方に疑問を抱いたり、育児と仕事との両立に悩んだり、報道を離れてWebメディアに転職したりしつつ、やはり記者の道を探し、歩み続けています。

自分には日本語の話を聞いて、日本語の記事を書くことくらいしか能力がないけれど、それが1番の得意技で、価値を発揮できる仕事です。
素晴らしい人やその取り組み、あるいは社会や心の奥底に眠る課題を深掘りして伝えたい。
あるいは素晴らしいアートや本、文化財、人の営みを取材し、伝えたい。
シンプルな希望を抱いて、愚直に実践し続けます。

それが取材ライターのminaです。
ここまで読んでくださった方、心から御礼申し上げます。
どうぞ、よろしくお願い致します。

寒くないようにね

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