漁港や農園などからのグルメ中継が けっこう好きだ なんとか協会の会長さんの奥さんが 地元食材を使って名物料理を作る 会長より存在感を発揮する妻 その横で控えめにアシストする 女性は会長の部下の妻....? なあんて、つい食べ物より 人間関係に興味がいってしまう ママ友でも、女子高生でも この構図はいっしょで 会話が聞こえてきただけで だれがその場を仕切っているのか 瞬時にわかってしまう 観察者である限りは 面白いショーだけど 時々ひとりになりたくなるのは このせい
本は、読むものだし ごはんは、食べるもの じゃあ、最近よく聞くこのフレーズは? 勇気を、もらう 感動を、ありがとう 心を、ひとつに.... 勇気も、感動も、本来とても 個人的なものだと思うけど なんかこう、高らかに宣言されると 暑苦しく感じるのは、自分だけ? この表現にぴったりはまるのは これしかない的な まるで言葉のアタッチメント 幸い、まわりにこんなことを言う 人はいないけれど テレビには用心してます だから場面が妙に盛り上がってきたら そっとその場を離れること
人生は選択の連続だ 気に入るかどうかに関係なく 選ばなければならない時もある 例えば、どうしようもない候補より どうでもいい候補を選ぶとか ビーフか?チキンか? その時魚が食べたくても 選ばなくちゃいけない 世の中には選択肢が無数にあると 思っている人も多いけれど いざ自分が少数派になってみると 実はとても少ないことが分かる 自分で選んだつもりでいたけど 実は選ばされていた ひょっとしてAIに任せた方が 最適な選択ができるのかも 認めたくはないけれど......
テレビでは今日もおなじみの光景が 女の子の食リポは 「ふわとろ〜」「しっとり〜」 「ジューシー」「の〜こ〜」と 感想は、ほぼ4文字 男の子なら 「うわ〜、マジ、ヤベ〜」 「ほんと、量、ハンパないスね」とか そもそもホメてるのかも不明 動画の刺激にお疲れ気味のあなたに ゆるい映像でお寛ぎください という配慮なのか? しかし、脱力なのに寛げない 見るほどにストレスがたまる このイライラの正体は? 暴走しがちな親しみやすさ じゃないかと思う 本来、取材は高いスキルが必
子供の頃に習って 今も役立ってることってある? 例えば県庁所在地とか、年号とか この文章を、作者はどんな気持ちで 書いたでしょう、とか いろんな訳の分からない知識を 詰め込まれたけど あれって結局なんだったんだろう あげく、詰め込み教育はよくないとか ゆとりが大事とか、 はたまたゆとりからの反省とか しょせん、義務教育 タダで学べることなんて そんなもんです 勉強好きならやればいいし そうでなきゃ テキトーにやっときゃいい 元優等生の肩書きなんて 実社会に出たら
総裁選で、またあの光景に出会う 手をクロスさせ、 となり同士で手をつなぐ サミットでもおなじみだけど なんかすこーく不自然 今はみんな、当然のように カメラの前でポーズを取るけど 最初の頃は結構バラバラで ちゃんとできない人もいた サミットはまだわかる 結束を固めるテイだから でも総裁選はライバルでしょう? 手をつないだ隣りの人は 負けたら役職に就けないことを 国民はみんな知っている いっそボクシングの対戦みたいに 睨みあってみたら? 結局後で握手することだし
おコメが多少不足したって メディアが騒がなければ スーパーの棚から 消えることはなかったろう テレビを見る人は 確実に減っているけれど 人の行動は結局 あまり変わらない 昔、その眼を見た人は 石なったという神話のように 今、その画面を見ると 人はいっせいに同じ行動をとる あらかじめ何かに プログラミングされたかのように
台風中継にレポーターは必要? わざわざ土砂降りの中に立たされて 「すごい雨です」って 見たまんまのことを言わされて 現場は迷惑するだけだし だれひとり幸せになってないよね ニュースのエンタメ化が止まらない バラエティが自粛の一途を辿る中 ニュースの暴走が加速する 事件、事故、政治、経済 グルメ、旅行に芸能情報.... 動画に追いたてられるように 情報量が増え続け これでもかっと、攻めてくる いまさらだけど 人は見たいものしか、見ない 世の中で何が起こってるのか こ
夢に日付けをつけたり 成功した自分を思い描きながら ひたすら目標に向かって行く それはどちらかと言えば 夢のために今をガマンする 世界だった 今は、自分を愛するのが なにより大事とか でもそのストーリーには なにかが欠けている 毎日おもしろおかしく 暮らしてるだけじゃ 夢に辿り着くのは難しいことを 人はなかなか教えてくれない 本当は自己愛って 自己が見えなくなるぐらい 没入することなんじゃない? 好きなことを、好きなだけする 人は簡単そうに言うけれど それは案外大
世界の中心で愛を叫んでいた人は 今、どうしているんだろう? あの頃、いろんな人が、いろんな所で いろんなことを叫んでいた 今は、なんとかが9割の人でいっぱいだ 後から後から9割の人が 出てくるおかげで 最初のブームが何から始まったのか もはやわからない でもフシキなことに 火付け役となった人より 後発の人が生き残って 大御所となっている これもイノベーションより リフォームが得意な 日本ならではの現象なのか?
マブダチをやるワケない ある日のニュースを見て思う なぜ、これを見出しにしたんだろう 同世代の郷愁? フシキな語感に魅かれて? たまにこういう懐かしいような 恥ずかしいような言葉に出会う 容疑社は70代とか 最近スピード違反で逮捕された10代は ポリスと鬼ごっこ と言ったという 何気ない言葉の中に 時代の空気が詰まってる でもマブダチがまだ生き残ってるなんて 昭和の言葉も長持ちしてるよね
なにか投稿すると、表示される コレ付けると注目されますよって たぶん、#ハッシュタグで 探したいものがある人は この文章は求めてないハズ でも、とにかくいろいろ出るのよ ITでコンプラ違反を見つけますよ 他のSNSに載せられますよetc.... まるで靴の踵を踏むな、とか シャツの裾が出てる、とか かまってくるおかんのように こちらのワキの甘さをガードする 秘書のような、執事のような表示が ありがたいんだけど 結局なにも付けずに投稿する 人間、なかなか身内の言う
面白くない関西人 陰気なブラジル人 ノリの悪いイタリア人 そんな人たちと出会うと つい感じてしまう違和感 人は勝手な想像をして 勝手にガッカリする そうさせるのが、先入観 ここから自由になれる人は そうそういない まっさらな心で人と出会うなんて ほとんど奇跡みたいなもの だから関西人なのにボケないの?とか でんがな、まんがなって言わないの?とか 言われても笑顔でいよう 自分もきっと同じようなことを 思ってるはずだから そっちこそ、エビフリャーは 食べんのかい、
夏は股間がかゆくなる〜🎵 このCMが流れると もうこんな季節か、と思う 本当はCMじゃなくて 自然の風景で感じたいけど 冬に桜が咲いたり 春先にひまわりが開花したり 現実は常識をはるかに超えてて むしろバーチャルな空間の方に 人間らしい癒しを感じてしまう 今の地球はもはやSFの世界 異常気象に対応すべく 人間はこれから進化と退化を 繰り返さないといけないかも 生き残るために.....
連続ノーヒットの場面を エンエンと見せられたり 同じ俳優の出ているCMが 何回も流れていたり テレビをつけると毎日毎日 同じ顔ばっかり ふつう、飽きるでしょ? なのに、見飽きた顔が立候補したら 知ってる!って投票しちゃう 実際は会ったこともないのに 公約もロクに読んでないのに 自分の言動を一度検証してみよう テレビのことばかり話すようなら たぶん、脳ミソ乗っ取られてます
外交特権パスポートで 格安航空に乗るプリンセス ママチャリで移動する大富豪 チャラ男の東大生... 人はたいてい見た目で判断する だから意外な肩書きに驚く こうあるべきって先入観が まだまだ根強いんだね 常識だと思ってることって 家庭や学校で習ってるもの じゃあ家庭や学校が間違ってたら 常識も間違ってるよね? 人間はいろんな面があるのが あたりまえ 見た目は見た目 大事なのは中身ですからね