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愛と涙とセックスレス

彼は想像できるだろうか。
ある日家に帰った時、ベッドで寝落ちした彼の枕元に置かれたティッシュを見た僕の気持ちを――。



以前付き合っていた彼とは半年ほどの同棲をしていた。
ゲイのマッチングアプリで出会い、半年の交流を経て交際に至った。
そして彼から副業であるスナックのキャスト業を紹介された事をきっかけに、彼の提案で彼宅にて同棲を始める事となったのだ。

人生初めての同棲は気遣いや些細な喧嘩の連続だったけど、それでも楽しさと幸せに包まれていた。
毎朝一番におはようを言うのも、彼にご飯を作るのも、彼が仕事の合間にランチに連れて行ってくれるのも、彼の仕事を送り出すのも、全て僕の特権だった。


いつからだっただろう。彼の手が僕を拒絶していると気づいたのは。
同棲を始めてから少しすると、彼から見た目についてを指摘されることが少しずつ増えていった。
脱毛を始めとして、二重埋没やエラボトックス等々。お前はクリニックの回し者かと思う程に施術を勧めてくるのだ。
彼自身が美容系の仕事に就いているため、より気になっているのだろうと最初は気にも留めなかったのだが、次第にそれがエスカレートし、僕は段々と自分に自信が無くなっていった。

自分で言うのも本当に何だが、見た目の事で他人から何か言われるという経験は比較的少ない方だろうとは思う。
中高生の頃、姉に見た目を色々と言われてからは悔しさから努力を絶やさなかった。
自分に合うスキンケアを探し、飲み物は全て水にした。
毎日のビタミンサプリにヘアセット、メイクの勉強もした。
服も自分の好みではなく、自分に似合う物に全て取り替えた。
小顔マッサージも毎日したし、鋭い奥二重が嫌だったのでアイプチで地道に癖づけて二重瞼にした。
妙なプライドがあったので整形には頼りたくなかった。

彼と出会う前はアプリで出会った人に見た目の事を褒められ、姉からも「随分変わったね」と言われ、自分に自信が付いた。
時間をかけ、自分自身でつかみ取ったものだからこそ信頼も出来たのだ。
そんな僕に、彼は整形しないと治らない、努力ではどうしようもない箇所ばかりを指摘するようになった。
僕が自身を持っていたものは、彼との毎日によっていとも簡単に粉々に砕かれたのだ。

夜、彼に手を伸ばすと決まって振り払われるようになった。
彼はエッチするなら朝が良いと言ったので朝に誘っても振り払われた。
「あ、もう俺とするの嫌なんだ」
そう気づいたのは同棲して二ヵ月程経った時の事だった。

ここまで書くとまるで彼がモラハラ祭りのセックスレスゴミ野郎のように思えるかもしれないが、彼には彼なりの良いところも沢山あった。
一緒にご飯に行った時に多めにお金を出してくれた事。
僕が気に入ると思って美味しいものを買って来てくれる事。
一緒にゲームがしたいと言ってSwitchとソフトを買ってくれた事。

愛情を言葉よりも行動で示すような人だった。
きっと愛されてはいたのだろう。大事にされている実感だってあった。
でもマイナスな言動はあまりにも多く、それらの長所をかき消して外で男を作っている疑惑を僕の中に芽生えさせたのだ。

僕は鏡を見るのも嫌になって、気づけば人の顔の美醜にばかり気を取られるようになっていった。
そしてそれは友人に対しても例外ではなく、僕は気が付かないうちに友人に対して顔の特徴でイジるようになっていた。
今まではそんな事無かったのに。
顔なんかで他人を見下したりしなかったのに。
皆の事、顔なんて関係なく大好きだったのに。


ある日、僕が遅く帰ると告げてから深夜に家に帰ると、部屋は電気がついていながらも静まり返っていた。
――もう寝ちゃったのかな。
そう思い足音を殺して部屋に入ると、ベッドで彼が寝落ちしていた。
彼に布団を掛け直そうと近寄った時、彼の枕元にはティッシュ箱が置かれているのを見てしまったのだ。

一人でしてた?

まずそう思った。
時間帯が夜である事。
場所がベッドである事。
僕が遅くなると告げたタイミングだった事。
そうと決まったわけではないのに、僕の中での推測は事実へと形を変え、彼に対して侮蔑の気持ちが湧いてきたのだ。
「ちゃんと性欲あるんじゃん」
そう思った瞬間、自分の悩んでいたあれこれが途端に馬鹿馬鹿しく感じた。

――なんかもう、疲れたな。
――何でこんなしんどい思いしてんだろう。
――もういっその事浮気してやろうか。
またアプリで適当な相手と会って、誰かから見た目を褒められれば自信も取り戻して彼との生活だって苦しくなくなるはずだ。
別に一回や二回の浮気なんてバレやしないんだし、大丈夫。

そう思って出会い系アプリをインストールして、スクロールした。
知らない誰かから「会いたいです」とメッセージが来て、やり取りをしていた時、自分がやろうとしている事に気が付いた。
僕は誰とも会う事なく、アプリを消した。
自分を護るため、彼を裏切ろうとしていた事に気が付いた。
彼から浴びせられている言葉を僕は盾にし、自分の自尊心を満たそうとしたのだ。
自分自身が忌み嫌っている物になりかけている、そんな確かな実感があった。
怖かった。

ふと考える。
何が間違っていたのだろうと。

彼に気を許して髭を剃らなかった日が続いた事?
運動の頻度が減って体型が崩れてきた事?
可愛げのない性格を隠し切れなくなった事?
家に居ても友達とよく通話してしまっていた事?
そもそも一緒に住んだ事?

……いや、きっと何もかもが間違いだったんだろう。
仕方のない事だったんだろうな、無理な事だったんだろうな。
だってやれる事は全部やったし。自分の気持ちは素直に伝えてきたし。
差別や争いが無くならないのと同じだ。主義主張が違う者同士はどこかでぶつかり合ってしまう運命なんだ。
でも、それでも……何とかどうにか一緒にいる方法を探し続けた。
彼の事が大好きだったから。

そもそも僕はなぜこんなにも彼との行為にこだわるのだろうか。
別にそれ以外で愛情を感じる事が出来ていたら、それで満足じゃないか。
もちろん彼からの愛情を肌で感じたかったのだろう。
いつもは酷い事を言ったりしているけれど、それでもタロが好きなんだと。
彼の瞳に僕は美しく映っていなかったとしても、それでも愛しているのだと、その手で言ってほしかったのだろう。

でも……それ以上に気が付いた事がある。
僕はきっと、彼に伝えたかったのだろう。
彼との行為の時、僕はいつも「好き」と言っていた。
そして彼との時間が大きくなるにつれ、その「好き」という言葉は「愛してる」に変わっていった。
普段素直になれない僕が、唯一彼に伝えられる時間であり、これまでの人生になかった、泣きたくなるほどの甘い時間だった。

それはたぶん、世間的には恥ずかしく、格好の悪い事なのだろう。
きっと行為の時以外にもしっかり言えるのが良い男なのだろう。
しかし僕はそれを言う事が出来なかった。
なぜなのか、今ならハッキリと分かる。
プライドが傷つけられ、彼からの愛情を疑い、僕からの愛情表現を拒絶される事を恐れていたからだ。


セックスレスの問題は、きっと聴く人によっては笑ってしまうものだろう。
明け透けで、浅はかで、みっともなく、くだらない問題と思われてしまうのかもしれない。
しかしだらしのない事に、それを伝えるための手段としている人たちもいる。
別にそれで良いのではないかと思う。
そんな時にしか言えない言葉があったって。
指先からしか伝わらない温もりがあったって。

二人が感じた体温を忘れる事がなければ、きっと先は続いていく。
かつて感じた体温を忘れてしまった人間としては、心の底からそう思うのだ。



※余談ですが、その後判明した事実として、彼が僕を拒絶する理由としては顔とか性格とか関係なく家族みたいになってしまったから性的な事に抵抗感があるとの事でした。
いやそれ俺にはどうしようもないやんけチクショー。

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