見出し画像

最近分かったこと

みなさま。
いかがお過ごしでしょうか。
台湾にいる友達も日本にいる友達も世界中飛び回ってる友達もみんなみんな楽しい時間を過ごしているといいな。✈️☀️

一時帰国中は出さないかな〜と思っていましたが、台湾に戻るまで1ヶ月を切りましたので、出してみようかなと、現在書いております。

(追記: これ出したのはセメスター始まった後です。今はもう楽しい楽しい楽しすぎて脳汁出まくった夏休みも終わり、クソムズ授業と諸々に苦しんでおります。これは、夏休みに私が書いたNoteです。↓)

というのも、別に何もなければ書かなかったと思うのですが、この夏休み、人生でも有数のショックなことを体験して(でも今はもう大丈夫です)、その解決というか、紐解きの作業を通して自分自身の成長も実感したし、これまでの自分の人生にはなかった成分を取り込めたし、そしてある一種の、「これ真理なんじゃないの」と思えることに遭遇したので、自分自身で忘れないためにもここに綴っておこうと思います✏️

気づき

この夏、とてもとても大事な人と傷つけ合ってしまったことがありました。
大事な人だからこそ、「なんでこんなことになるんだろう」「なんで〜なんだろう」とぐるぐる考えてしまい、考えることを放棄したいと考えた瞬間も正直ありました。

おそらく、これまでの自分なら、放棄していたでしょう。自分のプライドの高さ、自分本位な思考の仕方、驕った思考、きっと放棄していたと思います。

少なくとも、大学入学時点の自分であれば、確実に、深く考えることもなく、「めんどくさい」「時間を費やすのは合理的じゃない」とかなんとか考えて(ちなみにP子はMBTI、ゴリゴリのESTです。ESTJとESTP状況によって半々になる感じです。ドがつくほどの現実主義者です。)、自分の殻に閉じこもって、安全圏で、確実に自分が傷つかない方向を選んでいたと思います。

それでも、大事な人だからこそ真っ直ぐ、強く、ぶつかってみようと思ったんです。かっこ悪くても、自分が傷ついてもいいから、いくら恥をかいてもいいから、
プライドとか、建前とか、そういうの全部捨てて、真正面から、どストレートにぶつかってみようと思ったんです。

まず、この時点で自分の成長をすごく感じました。ここまで私を成長させてくれた相手含め、周囲の人に感謝せねばなりません。
大学に入ってから、自分ちゃんと成長できてるのかな?と正直不安になったことも沢山ありましたが、この出来事で、

私は、間違いなく、成長した

と強く感じました。

ショック、苛立ちは消えていませんでしたが、まっすぐ、それはもうどストレートにぶつかって徹底的に話し合ってみると、それまでの自分には見えていなかった考え方が見えてきました。

なんであの時

そもそも、なんであの時私が話し合いを放棄しなかったのか(昔だったら放棄していたはず、だって人と歩み寄るとか時間の無駄、傷つきたくない、無理だと一旦判断したら無理を突き通す、それが自分の考え方でした)、よくよく考えてみると、大学入学前よりも確実に自己肯定感が育まれているからだと後々分かりました。

傷つけられたくない、傷つきたくない、そんな思いが強ければ、相手と向き合う、逃げずに問題と向き合う、ちまちまと自己保身しない、そういうことはできなかったと思います。
逆にこれまでの自分は、そうやって自分のちんまりとした自己肯定感を守ってきたのだと、分かりました。ちんまりは、ちんまりなりに色々踏ん張ってきたわけです。

「それももう、要らないのかも。
私、たぶん傷ついてもそこから立ち直れるような、心の底に根差した、揺るぎない自分への自信、ついたんだな。」

と、この出来事をきっかけに気づきました。
これを構築してくれたのは、もちろん自分の努力もありますが、やっぱり自分の力とか、努力とか、歩いてきた道をちゃんと見て、受け止めてくれた周りの人、所属大学が提供してくれた環境だったり、色んな人との出会い、化学反応、経験なのだと思います。

自己肯定感とは

話し合いを徹底的にして、夜通し話し合って、見えてきたのは相手がそのような態度を取っていたのも、やはり、自己肯定感の低さ(自分を認めてあげられていない気持ち)にあるのだということです。

その時、私はなんで、自己肯定感、自己肯定感と重要視されているのかはっきりと、定義上意味上での理解ではなく、自分の肌で理解することができました。

なぜなら、自己肯定感のなさは、いずれは自分と周りの人を傷つけることに繋がるからです。

自分に自信のない人は人を傷つけがちです。私もずっとそうでした。自分の存在価値を常に誰かに確かめてもらわなければ生きていけない、だから人と比べる。蹴落とそうとする。ちまちまくだらない競争をしようとする。人の成功を憎んだり羨んだり妬んだりする。それは、自分がいつか、周りに置いてけぼりにされるんじゃないか、こんな自分では、きっと上手くいくことは難しいだろうから、周りに置いていかれてしまうと思うから、と不安で不安でたまらないからです。

自分に自信のない人は周りの人だけでなく自分も傷つけます。
自分で自分を認めて愛してあげられないのは、ほんとうに悲しいことだなと、思います。
ただ、それが全ての価値基準があり得ないほど高くなった今の日本社会では相当に難しいんでしょうね。

完璧なんてこの世にないです。
私もたまに、昔のような考えが頭をよぎってしまうことがあります。でも、自分を肯定してあげられなくなりそうになったら、こうやって思考を転換することにしました。

「自分と、自分の周りの大切な人を守るために、私はわたしを好きでいよう」
「あなたはいつでも最高だ、あなたはできる、と言ってくれる人たちが信じてくれている"わたし"を、自分で悪く思うのはやめよう」

某大企業で人事を長年されていて、お世話になっている方に、

「P子さん、あなたはね、for you 精神がとてもとても強い人だよ。原動力が自分の中じゃなくて外にあるタイプだね。」

と言われたことがあります。「え??この私が?この自己中、自己中、と言われてきた私が??」と思いましたが、思い返してみると、確かにいつも原動力は自分の外にあったな、と気づきました。

だから、

“自分と、自分の周りの大切な人を守るために、私はわたしを好きでいよう”
“あなたはいつでも最高だ、あなたはできる、と言ってくれる人たちが信じてくれている"わたし"を、自分で悪く思うのはやめよう”

こういう思考の仕方は、私に合っているのかもしれません。
これは今後変わっていく考え方でもあると思いますし、完璧なものは何もないと思います。

でも、ちょっと、20歳の夏にして自分の人生史史上ではかなり「おお、なるほど」と思う経験をしましたので、ぜひ書き起こしておきたかった、という所存でございます。

留学はなんと全学期よりも単位を増やしつつ、難易度の高い授業を取っております。
ほんとうにアホだと思います。
でも、どうせやるなら、という精神です。
なんとか残り半分やったるで、という気持ちです。
頻度は落ちると思いますがちょこちょこまた更新していきますので物好きの方々はお時間ある時覗いてみてね。

バイバーイ👋🏻

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?