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『血縁を超えた真実の家族』~親ガチャに外れた!と思った人生からの大逆転劇!~【前半】

☆interview☆
『血縁を超えた真実の家族』
~親ガチャに外れたと思った人生からの大逆転劇!~ 【前半】

皆さんは『親ガチャ』という言葉をご存じでしょうか。子どもは親を選べないということをゲームのガチャに例えた言葉です。
離婚や死別など様々な事情で親に育ててもらえなかったということだけではなく、家族に対して言葉にならない距離感や違和感、裏切られたと感じたことで、「親ガチャに外れた」と思った方は多いのではないでしょうか。
これからご紹介する岩本さんも、幼い頃から家族への違和感を感じながら生きていました。ですが、38年経って突然、“実の両親ではなかった”ことを知らされたことをきっかけに、自分の生い立ち、離婚経験、会社の立ち上げというバラバラに見えていた負の連鎖を、一つひとつ丁寧に自分を知っていくことで、なぜこんな人生を送っていたのかが分かり、育った環境は血縁以上の家族だった!という体験をされました。

どのようにして児童福祉事業の会社を夫婦で立ち上げたのか?
幼い頃から感じた家族への違和感、うまくいかないと思っていた人生など、乗り越えて行った先の幸福感など大逆転劇のストーリーをお届けします。

◆プロフィール◆
岩本泰明(いわもと やすあき)さん
長崎県在住 30代 【男性】
両親と3人の姉の6人家族の中でたった一人の男の子(末っ子)として育つ。
持病のぜんそくで毎晩発作を起こしたり、何度も入退院を繰り返し、小学校6年から中学3年まで入院。病院から学校に通う病弱な子ども。「親に迷惑をかけてしまう子」と感じていた。
父の教えに従って「良い人でいよう。悪く思われたくない」と他人を優先して自分は我慢をするものの、人との距離感が取りにくく、3回の離婚を経験。38年経って初めて実の両親ではなかったという衝撃の事実を知る。
現在は2年前に夫婦で、児童発達支援と放課後等デイサービスの会社を立ち上げ、会社の業績も順調に伸び、子ども達とも楽しく毎日を送っている。

《インタビュアー:岩佐 一美 研究員 ライター:宇崎 和雄 研究員》

◆目次◆
~前半~
Q1.生い立ち、生まれ育った環境はどうでしたか?
Q2.38年目に知った衝撃の事実とは?
Q3.実の両親ではなかったことを知ってどう思いましたか?
Q4.事実を知り、どうやって受け入れたのですか?

~後半 ~
Q5.親の見方が変わった!のは何故?
Q6.会社のコンセプト、設立した思いは?
Q7.自分の人生を振り返って、今思うこと。
★奥様(真由美さん)からのメッセージ ★

◆編集後記◆

~前半~
Q1.生い立ち、生まれ育った環境はどうでしたか?

僕は姉が3人、末っ子で男子1人として育ちました。
母は厳しい人で、「大人になったら困るから、ちゃんとしなさい」というのが口癖で、いつも怒られていました。
僕は勉強や資格に興味がなかったのですが、資格を取ることに熱心な家系だったので、
「なんで泰明だけはこういう風になるとやろう」とよく言われていました。

父は母と違って僕の話をよく聞いてくれたり、ドライブにも連れて行ってくれる優しい人でした。
クリスチャンだった父からは、「嘘をつくな!善意の人をやっていきなさい」と言われて育ったことで、
普段の生活でも、良い人でいようと他の人を優先して自分は我慢をして、溜め込んで溜め込んで爆発するまでは出さないという感じでした。
子どもの頃の僕は、持病のぜんそくを毎晩発作を起こし、入退院を繰り返す病弱な子どもだったので、「親に迷惑をかける子」、「いてはいけない子」のように感じていたと思います。
そのためか、幼稚園の頃から居心地の悪さを感じて、家では冷蔵庫の中の物を取るときに許可を得ながら開けていたほどでした。
発作をよく起こすので入院している方が安心することができ、家よりも病院にいる方が落ち着けました。
小学校6年から中学3年まで入院し、高校はクリスチャンの寮生活で、学校では相手に合わせてうまくやっていましたが、自分を抑え込んでいるため、相手に合わせるのが辛くなって友達ができても自然に会わなくなっていくことを繰り返していました。

Q2.38年目に知った衝撃の事実とは?

2年前に夫婦で会社を立ち上げたときのことです。
銀行融資が決まるまで、少しのお金でも借りようと、長姉のところにいる母に連絡しました。
断られたのですが、同時期に家族との遺産相続のやりとりをしていて、
生前父から『家宝を泰明に引き継ぐように、泰明が引き継がなかったらカトリック教会に寄付するように』と言われていたので、そのことを姉に伝えたのです。
すると長姉から猛反発を受けたんです。
その時に突然言われた言葉が、
「家宝は私が引き継ぎます、あなたは岩本の子ではないから、岩本の血を引き継いでない人に家宝は渡しません。」という衝撃の内容でした。

いきなり長姉から言われても信じ切れず、母に聞いてみました。
母からも、「実子ではない」と聞かされました。まさかですが、長姉から言われたことが真実だったのです。
僕の産みの親は子だくさんで7人の子どもを産んで、うち僕を含む 3人は他の家庭に引き取られたそうです。
何故、僕を引き取ることになったのか?ですが、
母が里親の仲介ボランティアをしていた時に、最後の最後まで引き取り手がいない僕の存在に気づいたそうです。しかも、産みの親が「もうこの子を風呂場で殺すしかない」と言っているのを聞いて、母親は引き取ることを決めたそうです。
ただ、家族は全員猛反対で、それなのに何度も何度も父と祖母を説得して引き取ってくれ、しかも戸籍上は「実子」として岩本家に受け入れてくれていたのでした。

Q3.実の両親ではなかったことを知ってどう思いましたか?

38年目での出来事で、とても驚きました。
その時は不思議と冷静でしたが、後になって、「怒りと悲しみ」が何度も出てきました。
父からいつも「嘘をつくな」と言われて育ったのに、僕にとっては「最大の嘘だった」ことへの「怒り」。
母に対しても真実を言わずに亡くなった父に対しても、隠し通されたことで、「裏切られた思い」が悲しみとしてありました。
そして、産みの親に対しても、産んで捨てられたという「裏切られた思い」が湧き起こり悲しくもなりました。

Q4.衝撃の事実をどうやって受け入れたのですか?

親に裏切られたという思いがふつふつとあることで私たち夫婦は定期的にカウンセリングを受けていました。
その中で、何故3回もの離婚を経験してきたのか?
僕自身も自分の子どもを育てられないという事実をあらためて見つめ直した時に、

子だくさんで自分を“育てることができなかった”産みの親と、
親権を取ることができず、結果、子どもを“育てることができなかった”自分の境遇が同じだった。

産みの親の気持ちに触れることができたことで、
そこには子どもを育てられなかった「訳」があっただけで、産みの親も自分も仕方がなかった、誰も悪くなかったという思いに至りました。

そして、この裏切られたように感じた思いも、小さいころからクリスチャンとして自分のことは後回しにし、相手に奉仕することを当たり前に育ち、他人に対して良い人でいたい、悪く思われたくない、善意の人でなければと思い込んで生きていたこと。

まったく自分が自分の気持ちを裏切ってきたことと重なり脱力しました。

病弱で親に迷惑ばかりかけていたことで、自分では知る余地もなかった捨てられる恐怖をもち、だから「要らない子」だと思っていたのだと。
捨てられないように善意の人として頑張っていたことを知りました。

********
38年目にして初めて「実の両親ではなかった」という真実を知った岩本さん。ミロステクノロジーによって、産みの親が子だくさんで自分を育てられなかった境遇と、自分自身が離婚によって子どもを育てられなかった境遇が重なり、初めて産みの親の気持ちにふれることで、「怒り・悲しみ・裏切り」など自分の思いにも気づけて癒されていきました。
後半では、生い立ちや環境のせいで生きにくかった彼の人生のストーリーがハッキリ見えた時の親に対する見方変化や、立ち上げた会社の現状などをお届けいたします。
どうぞお楽しみに!

後半へつづく
URL:https://note.com/vast_eagle460/n/n8a39a1e3a953


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