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『血縁を超えた真実の家族』~親ガチャに外れた!と思った人生からの大逆転劇!~ 後半

~前半の振り返り~
38年目にして初めて「実の両親ではなかった」という真実を知った岩本さん。前半では、他人に対して良い人でいたい、悪く思われたくない、善意の人でなければという生き方こそが、岩本さんを苦しめていたことを理解されました。後半では、衝撃の真実を受け入れたことで、怒りや悲しみから解放されて「この家族・この境遇で良かった!」と言えるまでになった逆転劇をお聞きしました。どうぞご覧ください!

《インタビュアー:岩佐 一美 研究員 ライター:宇崎 和雄 研究員》

~後半 ~
Q5.親の見方が変わった!のは何故?
Q6.会社のコンセプト、設立した思いは?
Q7.自分の人生を振り返って、今思うこと。
★奥様(真由美さん)からのメッセージ ★

◆編集後記◆

前半はこちらから
URL:https://note.com/vast_eagle460/n/ncdc7c674f783


Q5.親の見方が変わった!のは何故?


亡き父も母もずっと言わずに育ててくれたことは、どんなに苦しかったことか…。姉たちも知っていながら、この歳まで言わずにいてくれたことに感謝が沸きました。母からは「恨むやろう、恨んでよかよ。本当のお母さんば探してよかよ」と言われましたが、「この子を自分が引き取らないと、この子が……」と思って、毎日、父と祖母を説得してくれた母の思いが感じられて、恨むとか産みの親に会いたいとかの気持ちは全くなくて、ただただ「命の恩人やね、お母さんありがとう」の言葉しか出てきませんでした。戸籍も「養子」ではなく「実子」として届けてくれていた事への感謝も湧いてきたのです。

家族に違和感を感じていた僕でしたが、夫婦で一緒に体験していく中で思い出されていくエピソードがありました。

「ちゃんとしなさい」という母の口癖の中で、「公務員試験を受けるために資格を取れ」と言われたり、どうにか僕を大手企業に勤めさせるために、動いてくれていた母の姿にも、僕が社会に出たときに困らないように生きてほしくて厳しかったのだと…今なら母の思いが感じられました。

また、父が亡くなるときに、お医者さんから「生命維持装置で生きているので、肋骨を折ってまで心臓マッサージをしますか?」と家族に判断をゆだねられた時に、僕が「父ももうここまで頑張ったんだから、もういいんじゃない」と言った言葉を2人の姉が受け取ってくれて、生命維持装置を外す決断を僕にさせてくれたことだったり。また、次姉が協力してくれたことで、会社を立ち上げることもできました。

こうして僕はずっと家族から愛されていたことがいろいろと思い出されてきました。

そして、産みの親に対しても、「産んでくれてありがとう」に変わっていました。
産んで捨てられたという裏切られた思いがいつの間にか消えていました。

Q6.会社のコンセプト、設立した思いは?

2年前に立ち上げた児童発達支援と放課後等デイサービスの会社の社名は『Ohana・Laule’a』(オハナ・ラウレア)といいます。幼稚園の時、先生にハワイの絵本を見せてもらって、ハワイには「オハナ」という素敵な言葉があるんだよと教わって以来、この言葉がずっと心にあって離れることがありませんでした。ですから、会社のコンセプトも、こんなことを夫婦で考えて盛り込んでいます。

《コンセプト》
■血縁を超えた真実の家族
■子どもが最終的に社会に出たときに困らないように
■自分の子どもとして育てるならどう育てるか
を考えて子どもに接するこのことを第一の指導内容にしています。
『Ohana「オハナ」』は血縁を超えた真実の家族、
『Laule’a「ラウレア」』は平和や幸福の意味

血縁を超えた真実の家族が平和に幸せになるようにという気持ちを込めて名付けました。

今から考えると、家族以外の周りの方たちも僕の境遇を知ってくれていたのだと思います。だから38年もの間、両親も誰も真実を伝えずにいてくれて、僕自身もこのタイミングでなければ受け取れなかったことだと感じています。

私たち夫婦が、自分の生い立ち・環境を理解していったことで、今、子ども達の表情を見ただけで、子ども一人ひとりの状態が分かり、それを共有し合って役割を果たしてていくことが、当たり前にできていることを感じています。

子どもを育てられなかった罪悪感からではなく、自分の境遇が関わっていたことを感じます。

困っていたり、寂しそうにしている子どもを見たときに、受け取ってくれる大人がいれば違うなあと思い、夫婦で施設の運営ができていると思います。

親御さんたちからは「子どもの発達特性に関係なく、ただただ普通の子として育ててくれる」と好評で、広告が出来上がる前になにもしなくても定員がいっぱいになっています。

Q7.自分の人生を振り返って、今思うこと。

離婚によって自分の子を育てていないことへの罪悪感から、困っている子どもたちを助けてやりたいと福祉事業に関わりましたが、その思いの奥に、自分自身に寄り添って欲しかったという思いがあったことが理解できました。

自分の生い立ち、離婚経験、会社の立ち上げというバラバラに見えていた負の連鎖。一つひとつ自分を知っていくことで、ようやく、なぜこんな人生だったのかが分かって、自分の人生ながら「なるほど~~」と唸るような体験でした。

そして家宝は、長姉が持つことになりました。父から遺言で言われていたことでしたので、引き継ぎたかった想いがありましたが、家宝を手放すことで楽になりました。

本当の家宝とは、自分への愛を知ることで、家族の愛を実感できたことが家宝なのではと思います。

真由美さんと結婚し夫婦一緒にミロステクノロジーを学び、お互いの人生を紐解いていき、親の境遇を理解できたことで、今では「この境遇で良かった」と思えるようになりました。

産みの親にも、育ての親にも今では感謝しかありません。
そしてもちろん真由美さんだからこそ、ここまで辿り着けました。

育ての両親と姉達は、僕にとって「オハナ(血縁を超えた真実の家族)」そのものでした。
だから、この人生だったのだとあらためて感じています。

こんな親じゃなければ良かったのに!とか、僕と同じように「親ガチャに外れた」と思っている方が、この記事を読んでくださって、
親に対する見方が変わることで、自分の人生も仕事も変わるということを知っていただけたらと思っています。

★奥様(真由美さん)からのメッセージ ★

私自身、生まれてすぐに母が仕事で忙しくて、「この子は乳児院に入れなければ」という話しを祖母が聞き、すでに姉(父親が違う)も育てていたので、祖父を説得して、生まれてすぐに祖父母に育てられたため、両親には育ててもらっていません。
今回、ミロステクノロジーを主人と一緒に学び、
主人と私の生い立ちを見ていったことで、私たちの境遇が重なり、幼い頃に私を育てられなかった母の思いを理解することができました。
「母への愛」は私にはない!と思っていたたけれど、気づくことができて「ありがとう」に変わりました。

そして、主人が私の母に対して、今までは遠慮して言いたいことも言えなかったのですが、今では気をつかわずに接するようになり、とても嬉しく思っています。
また、今回のインタビューを聞いていて、私の父も離婚した時に親権が取れず、私を育てられなかった体験も主人と同じでした。まったく知らなかったけれど、本当は父も私を育てたかったという父の思いにも触れることが出来てとっても癒されました。
これから夫婦二人で「オハナ(血縁を超えた真実の家族)」の世界を広げていきたいと思います。

★編集後記★

インタビューさせてもらって、結婚の不思議を感じました。
お二人には、生んでくれた親に育ててもらってないという境遇があった。
おなじ傷、おなじ境遇、この事象から自分を見ていったら拒絶し罰していた母への想いは夫婦揃って同時に
「生んでくれてありがとう」に変わった!

【全ての体験、おなじ境遇が
僕たち夫婦の会社「オハナ ラウレア」設立に必要だった。
「境遇が在った…」
「もともと在りました!」】

と岩本さんが発した瞬間
「境遇が在った」は
「在った」を、はるかに超えて境遇は光に包まれた。
「わぁ 境遇が生き生き!」
境遇への讃歌がきこえそう!
この境遇でよかった。
お二人の境遇が在って
『オハナ ラウレア』は立ち上がった。
私は、お二人から存在に対する"誇り" を感じました。
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人は、人生の切符を 生まれた時から、携えていて…
降り立つ駅や見える景色を楽しんだらいい、行き先を信じて、
道中、起きる出来ごとを楽しんで受けとっていくだけ。
それだけでよかった。
親に捨てられたことも、3回の離婚も全ての体験が、会社『オハナ ラウレア』設立に必要だった。
『血縁を超えた家族』育った家そのものが既に『オハナ ラウレア』だった。
夫婦の空間には全てを生み出す力がある。
そう感じさせていただきました。

<インタビュアー:岩佐 一美/研究員>

(株)ミロス・インスティチュート
https://www.mirossinstitute.co.jp/

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