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紫式部の恋

源氏の君のモデルは誰か、千年経ても議論が尽きずおもしろいが、私の大好きな本に『紫式部の恋』近藤富枝著がある。
タイトルだけでも手に取らざるを得ないが、副題が「源氏物語誕生の謎を解く」である。
買わずにはいられない。
私は昔、引越しの際、本を処分してしまったので、現在手元にあるこの本は2回目の購入である。
本書のなかで紫式部の恋の相手として、具平親王が挙げられていて詳しく解説されている。
紫式部日記にも出てくる具平親王だが、古今著聞集哀傷第二十一に『後中書王雑仕を最愛せさせ給ひて土御門右大臣をばまうけ給ひけるなり…』で語られる彼の人となりが、なんとも、心に沁みて慕わしく思ってしまう。

後中書王(=具平親王)、雑仕を最愛せさせ給ひて、土御門右大臣をばまうけ給ひけるなり。朝夕これを中にすゑて、愛し給ふことかぎりなかりけり。
月の明かかりける夜、件の雑仕を具し給ひて、遍照寺へおはしましたりけるに、かの雑仕、物に取られて失せにけり。中書王、歎き悲しみ給ふこと、ことわりにも過ぎたり。思ひあまりて、日ごろありつるままにたがへず、わが御身と失せにし人との中に、この児を置きて見給へる形を、車の物見の裏に、絵に書きて御覧じけり……

身分の低い雑用係の人を愛して子も生まれたが、物の怪の為に亡くなってしまったのを悲しんで、愛しい人の、有りし日の幸せな夫婦と子の団欒の図を、牛車の中に描かせて眺めていたというのである。
自室ではなく自分しか見ない牛車の中に絵を飾るあたり、押し隠した悲哀を物語る気がする。
まぁ、隠していたんだけれども、ばれてしまって、この通り後世に残って他人に語られてしまうところまで、ちょっと哀しい。

…その車を陣に立てられたりけるほどに、物見落ちたりけるを、牛飼、立つとて、誤りて裏を面(おもて)に立ててけり。その後、改めらるることなくて、今に大顔(=雑司女の愛称、当時顔が大きいことが美人の条件であった。おたふく風邪を福来病と呼んだのもその為)の車とて、かの家に乗り給ひつるは、このゆゑに侍るとぞ申し伝へたる…

車係の方が、絵のある方を間違えて外側に向けて付けてしまって、ばれちゃって有名になっちゃったと…
もう、お二人の世界でそっとしておいて差し上げて!
と言いつつ自分も語るあたり、私も罪深い。笑。

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