無限の誤解

先日、初めて会社のプラットフォームを使ってセミナーを実施しました。
内容はまぁどうでもいいことだったんですが、zoomの制約があったから100名制限で募集して、100名集まったのに50名も来なかったんです。

これがちょっと衝撃的で。制限があったら、自分が予約したら入れない人が出てしまうから申し訳ないとか、そういうのもないんです。予約しておいて来ない。飲食店だったら最悪の行為です。

また参加者にはアンケートをお願いしたんですが、50名参加して提出したのが16名。これにも驚き。書くことがなくてもありがとうございましたとか書けないんだろうか…

まぁ、私もウェビナードタキャンしたことはあるので人のことを言えないんですが、ちょっと群として見ると衝撃的な数字で、しかもそこそこお上品な人が多いと思われるうちの会社でもこうである、という結果に憤りというか、なぜこんなことになっているんだろうという疑問が湧いたんです。

で私の仮説では、おそらく「与えられすぎ」や「媒体を介することによる想像力の欠如」によって、有限性を忘れてしまっているから、なのではないかと思いました。ややこしいんですがこれを「無限の誤解」と呼ぶようにします。

機会や縁を、人生の時間さえも、無限のものだと誤解している。これに尽きるのではないか。
無限のように感じると、ものを大切に扱うことはなくなります。無限のものには、ある意味価値がない。というか、価値とは、有限性によって定義される。

世の中が豊かになって、どんどんものやことの有限性は薄れていく。寿命が延びることによっても、人生の有限性は薄れていく。そういう錯覚をしてしまうのではないか。

私の家には3Dプリンターがあって、おもちゃを子供に印刷して与えたりするんですが、当然大切にはされません。私もしませんし。なぜならば、無限だから。

だから現代を生きる人にとっての、機会や縁なんてものは、3Dプリンターで作ったおもちゃくらい、そのもの自体がもつ価値しか、価値をを持たないんです。多分。でもおそらく、そのもの自体がもつ価値を見出すためには、機会や縁を大切に扱わないと見えて来ない。だから、準備が逆になっているというか、無限の誤解を持ったままだと、機会や縁の価値を見出すことができなくなってしまうのではないか…

拡大すると難しくなってくるので、私や私の子供が無限の誤解から逃れる術を考えてみようと思います。
一つ目は供給をコントロールする。供給が飽和していると無限の誤解を持ちやすくなる。豊かな状態にあっても、自分や自分たちへの供給量を制御する。アマプラとかはよくないな…
二つ目は想像力を働かせる。偽の無限感に騙されることなく、有限性を想像する。無限の誤解から想像力で脱出する。

二つ目は、容易ではないな。と感じました。無限の誤解は「お菓子の家」。有限だとわかっていてもそれを直視することは難しい。
ここをどう考えるかです。とりあえず思いつくこととしては、有限性をビジュアライズしていくしかないのかなぁ。

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