生産性について

7年前に購入した洗濯機がそろそろ寿命を迎えそうで、思い切って縦型洗濯機と乾燥機2台持ちという時代に逆行する決断をしました。でもこれがめちゃくちゃよかった。やっぱりドラム型に比べて洗浄力が全然違う。生乾き臭が全くしない。
また、パナソニックの製品を買ったのですが「次亜塩素酸洗浄錠剤」っていうタブレットをポイって入れて洗う洗浄モードがあって、「こんなのハイター入れればいいでしょ」ってバカにしていたんですが、侮っていました。マジでタオルが無臭になる。
タイミングを合わせたかのように子供はウイルス性っぽい胃腸炎になるし、その点でも安心して洗濯ができます。(彼女の発症前に残飯を食べてた私はもうかゆうま状態だと思いますが…)
加えて洗剤の自動投入機能、これが欲しかったんです。正直ドラム式ってどのくらい洗剤入れるのが正解なのかよくわからなくないですか?これが几帳面な私をどれほどイライラさせてきたことか。標準通りに入れてくれるって最高です。そんなわけで縦型洗濯機最高!な週末でした。

そんな感じで洗濯機周りをいじってる週末だったんですが、全然関係のないことで生産性について考えようと思います。
なんか最近またよく耳にするんですよね、生産性。生産性ってなんなんですかね。
私が生産性という言葉にちゃんと出会ったのは多分8年前くらい。当時の部長が表紙にでっかく「生産性」って書いてる本をみんなに配ったんですよね。働き方改革の一環でこれを読め!って。
Amazonで調べてみたら、伊賀泰代さんの生産性という本でした。内容は全く覚えていない…でもあんまり好きな内容ではなかったと記憶しています。
次に思いだすのが、TEDの動画。私が敬愛してやまないボストンコンサルティングのイヴモリュー先生、「生産性は、全てではないが、中長期目線で見ると、全てと言える」というお話。イヴ先生はとにかく「チームワークによる生産性」を重視されているから大好きです。

chatGPTに「生産性」ということばのルーツを聞くと、アダムスミスの国富論が最初なんじゃね?って提案をしてくれました。経済における生産活動が国という共同体に対して与える影響の尺度を「生産性」って呼ぶとしたら、まあそうなんでしょうね。
これが結構いい示唆だなと思いまして、「生産性」ってなんというか、客観的かつ相対的なものなんですよね。多分。
要するに「俺はめちゃくちゃ生産性が高い」っていう人がいたとしましょう、彼の主張は、国家や社会や会社、なんらかの共同体からの評価であればいいんですけど、主観的かつ絶対的な立場からの発言だとしたら、ちょっとよくわかんねえなこいつってなりますね。

「生産性」っていう言葉のこういう側面は「発酵」と「腐敗」にちょっと似ているなあと思います。「発酵」と「腐敗」って、醸している微生物側からは違いないんですよね。それを人間様が自分にとって都合が良ければ「発酵」っていうし、都合が悪ければ「腐敗」って言っているだけ。生産性も同じで、何か「共同体様」が、自分にとって都合が良ければ「生産性が高い」っていうし、逆なら「生産性が低い」っていう。なんかそういう概念なんだと思います。

いやべつに、だから全く意味のない概念だ!なんて言うつもりはないですよ。ただ、多分共同体の中で「生産性」という言葉を使うとき、それがどの「共同体」にとってのものなのかをちゃんと揃えて使わないとよくわかんなくなっちゃうんですよね。
例えばいち営業部署がめちゃくちゃ注文とってきて、「俺ら生産性高い!」って言っていたとする。でも実はその注文は生産キャパにあってなくて、全体で見ると「何無駄やってんの」ってなってしまう。ありそうなことです。

要するに全体最適で考えましょう、ってことに尽きるんですけど、それは結構難しいので、もう少し汎用的な概念で考えると「生産性は量じゃなくて質で考えましょう」って話になると思うんですよね。
いやもうこれを言いたかっただけなんですけど、あらゆる便利ツールを時間短縮の為だけに使うのって、本当にダメだと思うんですよ。質を上げるために使わないとダメなんです。
わかりやすいのが生成AIで、時間短縮のためだけに使っていると、ぶっちゃけ大して削減にならんのですよね。アウトプットの質を上げるために使わないといけない。

いやもうそうなってくると、労働時間という量的な概念と生産性という言葉を並べて考えるのはナンセンスっ話になってくるんですよね。もちろん、単調な作業は自動化なりして削減すればいいと思うんですよ、でもその先にどういう質の向上を目指すかを考えないといけないんじゃないですかね。

次に考えないといけないのは、「質」だとして、それを「どの共同体にとっての質」とするかです。
今までは、会社とか資本主義社会とかの善のためにやればよかったんでしょうね。利益とか評価とかボーナスの額とか。でもあいにくそういう環境じゃなくなってきている。「真善美」を目指すべきなのではないか…

インターネットによって情報がひらけた今、もしかするとだよ?昔はお金を持っている人が有利だったけど、お金という「価値」が絶対的だったけど、もしかすると、これからは「共感」が価値になるのではないかしら。
そうなると世界で見るとお金を持ってない人の方が多いわけだから、どうやって共感を集めるかになってくる。地球全体からどれくらい「いいね!」がもらえるかが、生産性の考え方になって来るのか?そしてそこの尺度は、「真善美」なのではないか…

なんかちょっとこじつけくさくなってきたのでやめにします。
ただ、やっぱり「生産性」って言葉は、注意して使わないとダメだと思います。

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