興味について

前日のマイクの記事からずーっとマイクのことを考えています。
これ私の癖?で、1ヶ月単位ぐらいで興味の先が変わる。執着が強いんですよね。苦しみの原因になっている気がする。

執着から離れるために現在の興味を整理すると、
・ポッドキャストの収録、配信
・スタジオウェビナーの収録、配信
・ロケウェビナーの収録、配信
を実現するためには、
Zoom H6 essentialとダイナミックマイク×4本とショットガンマイクカプセルを買うのがベストチョイスだと判断しました。
本体が35,000円、マイクとシールドが安く見積もって1本10,000円×4本で4万円、マイクカプセルが12,500円。87,500円か…いや流石に高すぎる笑
とりあえず要らないおもちゃを売って整理するところから始めるようにします。子供にも言っていること…

さて、興味とは何かというと何かへの執着と整理することもできると思います。
千葉雅也さんのアイロニー、ユーモア、享楽的こだわりの話を思い出す。
私は多分、批判的すぎ(醒めやすい)かつ発散しすぎ(熱しやすい)ので、さまざまな仮固定を点々としがち。でも割と享楽的こだわりが強いから、本質的なところは変わってなくてパターンを繰り返してる。造形→レコーディング→楽器→執筆→読書→料理→造形…と言ったように。だから、飽きっぽいように見えて領域はそんなに拡大していない。これはいいこと(実用的)と捉えられるかもしれない。

これを書き始めた時は、なんでこんなに飽きっぽいんだろう。ほんとダメなやつ、という気分で書き始めたんだけど、あれ意外にこだわりを持っているのかなと気づきました。なんというか、ループしながら興味を深めているというか。

私という存在と、とある興味とが惑星のようにぐるぐる巡っていて、近づく時もあれば遠くなる時もあるというイメージ。
なるほど、惑星だからこそ、惑うているように見えて、冷静にみると規則性を持った運動をしているのか。と納得しました。

そうすると興味とは、もしかすると自分も含めて何か他の重力源を中心に循環している何かなのかもしれない。私中心で見ると、惑うているような興味は、もしかすると違う中心を持っているのかもしれない。

これは自己意思の存在を否定する考え方に似ていて、自己意思のもとにそうなっていると考えること自体が間違っているのかも。なにか一つの秀でた才能がある人は、そういう重力の圏内にいるのであって、本人の気質とは違うところに原因があると思ったほうが良いのかもしれない。

そうした時に、私はよく娘に「小学生になってそんなの見るなよ〜」と言ったりするが、あんまり意味がなくて、興味というのは自己意思とは乖離しているのかもしれない。そうであれば、言ったところで意味がないのだ。

他人の興味をコントロールしようとする取り組みは、もしかするとマーケティングとかそういう話に近いのかもしれないが、子供の教育や自分の興味についてもある程度、意思を持った介入が可能な可能性はある。でもそれは多分、企図したようにはいかないものなのかもしれない。

そういった観点でマーケティングを勉強してみようと思いました。誠実なマーケティング理論を知る必要がある。

ってそんなことを考えていたら、またウェブ会議じゃない方のzoomから神のような機材が。これは、完全にマーケティングされてしまっています。

https://zoomcorp.com/ja/jp/digital-mixer-multi-track-recorders/digital-mixer-recorders/livetrak-l6/

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