備忘録:AI時代のキャリアについて

クーリエ・ジャポンの配信でリンダ・グラットン✖️山口周の対談をみました。
共感する内容ばっかりで、気持ちよくなってしまったんですが(←内容に則するとこれはあんまりよくない)今日までの配信なので、備忘に要点をまとめておこうと思います。話の順番とは違ってます

(リンダ)生成AIは確かに驚異的だけど、そのもの単体で見るんじゃんくて、技術革新の流れの中の一つとして捉える必要がある。歴史的に見れば、技術革新を目の当たりにした時に重要なのは、「どの仕事がなくなるか」ではなく、「どういった仕事が生まれるか」。自動車を見て、厩務員の職の心配をするべきじゃない
 →うちの組織では、生成AIや DXを頑張っているんだけど、その先の目的がないのが問題。みんな自動車の運転を習おうとはしている。でもどこに行くかは考えられていない

(リンダ)AIによって仕事が奪われるかどうかについては、見誤らない方がいい。AIが奪うのはタスクであって仕事ではない。仕事は複雑なタスクによって構成されている。タスクがAIに代わられようともボトルネックになるタスクがある以上、仕事そのものはAIに奪われるわけではない
 →その通りで、社会がAIに過度な期待を持っているのが心配。正直生成AIは「自分でやんのがだりいこと」を任せるような使い方が現時点では現実的な中で、他にボトルネックがある以上、それ以上量的な意味での生産性が上がらないことは当然のこと

(山口)AI時代が来ると、優秀な人材の定義が変わってくる。問題を解決する能力じゃなくて、問題を提起する能力の方が大事。
(リンダ)その通りで、そのためには「好奇心」と「冒険」が大事。旅行じゃあない、あえて冒険ってしたのは、予測不可能性と偶発性が、問題の発見には必要だから。現にAIと会話をしていても楽しくない。人間を相手にした対話は、対する相手の深淵を垣間見ることができるからこそ、面白い
(山口)日本の教育は対話を通じた気づき…動的な認知能力を疎かにする傾向がある。
(リンダ)確かにその傾向は課題。日本の教育は「繰り返し学習」を重視しすぎる。時間がかかるのが問題。学びの手段はそれだけではないはず。ただし、日本人は「規律を守ること」「能力の熟練を重んじるところ」そう言う強みがある。欧米で今問題になっているのは「ギグワーカー」。これは技術革新を間の当たりにした際に最も避けなくてはならない動き。スキルダウンではなく、スキルアップかリスキリングをしなくてはならない
 →これは山口さんがよく書いている内容、だけど、本当に難しい。私にはできないな、と思ってんだけど、能力の問題ではなく機会の問題であることに気づいた。要するに、現場に行かなければ問題は発見できない。それだけのこと。だからつまり、問題発見能力とは、能力ではなくって、多分、飛び込む力というか、行動力というか、恥を恐れない力というか、そういう方に近い気がする。私はそういうがものすごく弱い。おそらく、プライドが高いのだ
あと日本人の素養について、熟達を重んじるってのは、ちょっと面白い。吉本隆明も似たようなことを言っていた。仕事とは…自分の能力を高めることに尽きる…人にやくにたつなんてのは、自己慰安的な副産物にすぎない…確かに私もそういう仕事観を持っているんだ

(山口)生産性という言葉についても日本複雑な状況にある
(リンダ)日本だけではない。世界中で「生産性」の管理的マネジメント手法に誤りがある。これは私が最近対峙している課題である。そもそも、高度に知的な生産活動の生産性は時間と比例しない。執筆なんかはまさにそうで、ゆとりを与えることが生産性を向上する。こうした側面を見ないふりをするマネジメントが問題である
 →ものすごく共感する。生産性を安易に語る人間はすごく嫌い。複雑性への畏怖がないというか、行儀が悪いというか、とにかく、しょうもないレベルでの生産性の話題についてには辟易しているんだ

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