しんごうの憂うつ(掌編小説)【シロクマ文芸部】約1,000字
夕焼けは「まあ話してみなさいよ」と優しげに言った。今日は雲も少なくて、青い空の西の底から薄っすらとピンク色が滲み出すような、可愛らしい夕焼けだった。
「あそこにマンションができたんだけどね」
「うん、それで?」
ぼくがポツリと話しはじめると夕焼けはゆっくりとあいづちを打って先をうながした。
「駅の方に行くにはここを通ってもらえばいいんだけど、その前に渡っちゃう人が多くなったんだよね」
いまも青い光を灯してぴよぴよと鳴らしているのに、少し先の通りを横切るように子供用のシートを後ろにつけた自転車がすーっと渡っていった。しばらくしてから、誰も渡ることのないままに赤に変えると「はあぁ」とため息をついた。
「あら。困ったものね」
夕焼けもぼくと同じようにため息をついた。
「ここは結構クルマも多いわよね?」
「そうなんだよ。だからちゃんとここを渡ってもらいたいんだけどな」
低いエンジン音をたてて、路線バスが通り過ぎていく。少し先の大通りの裏道でここを使う人も多いみたいで、けっして安全な道だとは言えないのに。そうしている今も、クルマの合間をぬって、高校生の男の子が走って渡ってしまう。
「この間なんかね、小さな女の子が飛び出したんだよ。幸いクルマは来てなかったし、そばにいたお母さんが慌てて引き戻したんだけど」
「それは危ないわね」
「でね、その後ここを通るのかなぁと思っていたら、お母さんは女の子の手を引いて、道を横切っちゃった」
ぼくはがっくりと肩を落とした。見通しがいい道なので、つい渡ってしまうのだ。ぼくのところで待つかもしれないので、さきに渡ってしまう。そのほうがコウリツがいいんだから。
「あなたは優しいのね」
夕焼けは空の高いところまでうす紅に染め上げながらそっと囁いた。
「大丈夫。あなたがここでしっかりと見守っていてくれるから、あのひとたちがあんな無茶をしてるのに無事でいてくれるのよ」
「それでいいのかな?」
「いいと思うわよ。あなたを頼りにしてる人たちもたくさんいるのだし」
小さな男の子を連れた母親がぼくの下で立ち止まった。ぼくも夕焼けも少し笑った。
「ありがとう、夕焼けさん」
夕焼けはそっとぼくを包んでくれた。ほんのちょっぴり気分が涼やかな秋の空のように晴れた気がした。
「はーいコウくん、もうすぐだからねー。信号が青になるまで待とうねー」
「うん」
色を青に変えると、男の子とお母さんが元気に渡っていく。歩み去っていく夕焼けに染まる親子の背中を見守りながら、ぼくは、ぼくににできることをやろうと思った。
了
こちらに参加します。
また人間じゃないものを書いてしまった。でも信号の視点が少し気になりまして^_^
楽しんでいただけると嬉しいです。