「悪い女」の定義
水曜日の19:00、赤坂。
わたしはある男と待ち合わせ、食事をした。
その後二軒目で酒を飲みながら談笑したのち、閉店時間になり店を出た。
肩を並べながら夜の街を歩くなかで自然と手を繋がれ、解く理由もなく歩いていると、男が「◯◯さん家、行きたいな」と言った。
わたしはしおらしく「家なんて散らかってるけど、それでもいいなら...」と言って家に招いた。
家は散らかってなんかいない。
本当は来ることを見越して、入念に掃除をしていた。
男がわたしの家に来るのは何回目だろうか。
タクシーで家に着き、テレビを見ながらアイスを食べる。
「シャワー借りてもいい?」と尋ねられたので、寝巻きとバスタオルを洗面台に置き、シャワーを促す。
彼が浴びている間にベッドメイクをし、照明を落とす。
交代でわたしもシャワーを浴び、メイクを落とし、歯を磨き、寝る体制になる。
気づけば深夜3時。
流れるように同じベッドにふたりして潜り込み、互いに横向きになって微笑み合う。
徐々に顔が近づき、静かにキスをする。
だんだんとキスが深くなり、静かに愛し合い、溶けてひとつになる。
朝が来て、太陽の眩しさに目を覚ますと男と目が合う。そして自然とキスをし、また混ざり合う。
「またね」と玄関先でハグとキスを交わし、彼がわたしの家を後にしたのは昼の1時過ぎだった。
この男は、わたしの彼氏ではない。
この男のことが、わたしは好きだ。
今から話すことは、だれにも理解されなくて良いと思っている。
なんせ、自分のことを棚に上げており、理論も破綻している。
純粋な恋愛をしたい、たったひとりの運命の相手と一途な恋がしたいと夢見る少年少女たちがもしもこれを読んでいるのならば、何も言わずにブラウザバックを推奨する。
「何も見ていなかった」と脳内をリセットし、温かいお湯に浸かって、すやすやと寝てほしい。
酸いも甘いも噛み分けた30代の恋愛は、濃くて、ねっとりとしていて、生々しく、見るに堪えないのだ。
わたしと男(以降「A」と呼ぶ)との出会いは、前の職場に遡る。
幸の薄そうで、ありとあらゆる戦いに負けそうな、塩顔のA。
同い年であり、他部署だったためあまり接点はなかったものの、本への造詣が深く、仕事ができると風の噂で聞いていた。
その頃のそれぞれの会社での立ち位置は、おそらくわたしは「上司の手となり足となり働く、上司専用ザク(かつ、部署の賑やかし要員)」だったのに対し、Aは「上司の命令を時に受け入れ、時に上手く躱しながら飄々と仕事をする一匹狼」であったと記憶しており、働き方も異なっていた。
そんなAと唯一の共通点が「ライブ」であった。
わたしが退職してしばらく年月が経った頃、何の気なしにAをライブに誘ったことがきっかけで距離が縮まり、定期的に飲みに行く仲になった。
恋愛脳であるわたしはご多分に漏れず、Aのことが好きになっていた。
ある日、いつものようにふたりで飲んでいると、Aから「付き合っている彼女がいる」と打ち明けられた。
動揺のあまり、うわずった声のまま「なぜすぐに教えてくれなかったのか」と問うと「(恋愛事情について)聞かれなかったから」と答えた。
そしてその彼女とあまり上手くいっておらず、これからも会いつつ恋愛相談に乗ってほしいと言われ、解散した。
打ち明けられた直後はひどく混乱し、落胆したが、しばらくしたら「本の読みすぎで倫理観がぶっ壊れてしまっているに違いない」と開き直り、さらには「彼女と上手く行っていないのを言い訳に、わたしを頼ってくれている」と謎の優越感さえ生まれてきていた。
今考えると、綺麗なまでに都合のいい女ムーブをかましている。
なんとも頭がめでたい。
そしてAと彼女の関係も長くは続かず、1年経たずして「別れた」と告げられた。
そこからAとの関係は文字通り「大人の関係」へと変わり、付き合うこともなくずるずると続いていった。
(それとなく「付き合いたい」と言ってみたものの「好きだけど、付き合うのはまた違う」と言われてしまったため)
趣味や食べ物の好みも合い、顔も身体もタイプで付き合ったらどんなに楽しいだろう。
だけど、会うのはいつも夜。
昼からみんながやっている「ふつうのデート」がしたいと何度も思ったが、それとなく振られてしまったからには、怖くてAに言えなかった。
この幸せは偽物であって、いつまでもこんなぬるま湯に浸かっていたら風邪をひいてしまう。
このままでは決して幸せにはなれない。
そうしてマッチングアプリを始め、今の彼氏と付き合った。
彼氏ができたことをAに報告すると、素直に「おめでとう」と言ってくれた。
しばらくは会って、彼氏の愚痴を聞いてもらい終電前に解散していたが、いつの間にか終電を逃し、また大人の関係に戻っていた。
数年前はわたしがAの恋愛相談に乗り、今はAがわたしの恋愛相談に乗っている。
形勢逆転である。
彼氏ができても関係を続けているのには、いくつか理由がある。
前にも書いた通り、彼氏が他人に興味がなく、自己研鑽に励むタイプであり、適度にわたしがほったらかしにされるため、その寂しさをAに埋めてもらっているのがひとつ。
彼氏にまだ素を出せておらず、同世代で気楽にお笑いの話や性格の悪い話ができるのがAしかいないのがひとつ。
そして最大の理由が、彼氏ができてからわかったことなのだが、今もAがわたしのことが好きであることが判明し(どれだけ本気なのかわからないが)、「お前が以前それとなく振った好きな女は、今彼氏がいる」という現実を味わせたいという、半ば復讐のような気持ちで関係を続けているのが大きい。
この話を周りにすると「彼氏がかわいそう」「良くない」「悪い女になった」とマイナスなことばかりを言われる。
今の今まで、わたしの恋愛話を酒を煽りながら嬉々として聞いていたのに、急に「いや〜、やっぱでも良くないよ」と正義感ぶるのはなぜなのか?
お前は人に対して善悪の判断をつけられるほど、清廉潔白な生き方をしてきたのか?
彼氏を「かわいそう」な人に仕立て上げて、わたしを悪者にしたいだけなのではないのか?
そもそも「悪い女」の定義は何なのか?何をもってして「悪」なのか。
結婚は契約だと思うが、結婚もしていない自由恋愛なのに、法律でもあるのだろうか?
極論、これはわたしと彼氏だけの問題であり、外野がどう思おうが関係ないのだ。
彼氏が悲しいと感じたら謝るし、必要であれば別れる。それ相応の対応を求められたら全力で応えるつもりだ。
でも彼氏は何も気づいていないし、今が幸せと感じている。
何も知らずに世の中がうまく回るのならば、それでいいのだ。
わたしのこの話の受け止め方は千差万別あると思うが、もしわたしが第三者視点でこの話を聞いたら、とにかく「面白がる」のが正解だと思う。
他人の生き方なので、良いも悪いも関係ない。
良い悪いをはっきり意見したことにより、その人の考え方に影響を及ぼしたり、何かに加担するようなことはしたくない。
好きな人がふたりいる。
わたしはこれで精神状態を保てているのだ。
性行為をすると、歳のせいか体力が著しく低下してしまう。
今日は屍のようになってしまい、丸一日動けなかった。
明日は彼氏の誕生日。
家を全て掃除して、痕跡を消して、清廉潔白なわたしで彼氏に会いに行く。