自分の心の内を誰にも悟られたくないPart2
だいぶ前にこのタイトルで記事を書いたのですが、
全期間通し予想外にアクセス数が多かった記事だったので、読み返し続編で今感じることを書いてみようと思います。
自分の心の内を誰にも悟られたくないとは。
悩みのない人はいませんので、
不思議なことではないと思いますが、
自分の弱みを人に知られたくないという思いも
強いのだと感じます。
私自身も人にはあまり知られたくない悩みはあります。
ひとつに自己開示が苦手という方が多いのも事実で、大好きという方は少ないかもしれません。
自己開示にも幅や深さがありますので、その場に応じた、また本人の考えによっても開示される情報量は異なってきます。
人に共感を得る目的で人前での話の導入部分に、
自己紹介の延長のように使う方は多いです。
自己開示する情報量が多いほど人は自由になっていく感じがします。
私が今まで出会った方々で、
「この人ホント自分の話しないよな〜」
と感じる方けっこういらっしゃいました。
そう感じとる自分は同じ要素を持っている
ということは先に書いておきます。
どちらかというと人に注目されるような
指導的立場に立たれている方です。
立場上やむを得ないことなのかも知れませんが、
注目されるだけに周りにいる人は違和感を感じやすいのだと思います。
自分のことはわからない、気づけない自分みたいな感じかもしれませんし、あえて言う必要はないと決めているのでしょうか。
でこれは私の予想ですが、
本人は何事もないような素振りをしながら、
実は劣等感にも似た人一倍マイナスのこだわりとして捉えていることが多いのです。
無意識下かもしれませんが、
いけないことだ。
常識から外れている。
自分にそんなところがあってはならない。
常に正しくなくてはいけない。
と他者が感じる以上に本人はとても神経質に捉えています。
他者から指摘されることにビクビクしている面もあり、逆に露呈しやすくもあるのです。
それがあるとき思わぬ突っ込みから露呈しそうになり肝を冷し、さらに厳重に包み隠すようになり、不自然さが増し自分自身にも違和感が押し寄せてくるのではないでしょうか。
自分が隠したいと思えば思うほど、
どこからともなく漏れていくような、
皮肉な流れが起きてきたりします。
ひとつ何か意図的に止めると、
大きな流れを堰き止めていくようになり、
長い目でみると自分に返ってくることが多いようです。
なぜ私が偉そうにこんなことを書くかと言うと、
自分の両親を目にして感じていたことだからです。
親が社会で活躍するようになると、
恐ろしいように人が押し寄せてきたりします。
当然一緒に住んでいる家族も今まで見たことのないような光景を目にすることになります。
人の目が気になり保身に赴きを置くようになっていきますし、あまり人様に知られたくないことは奥深くに仕舞い込むようになります。
なかなか息苦しく自由さが失われていくのです。
そのとき問題として浮上しなかった隠しごとも、
最後は隠した本人に重くのしかかっていたように
私は感じました。
なのであまり奥深くに仕舞いたくなるようなことは、持ち続けない方がよいと言うことです。
我慢を強いられますので。
なんの肩書きもいらない、自由気ままな人生に魅力を感じ続ける自分がいます。
ここまで読んで、もし私を知っている方がいらしたなら、自分の話してるの?と言われそうです。
私は指導者的立場ではありませが、似たものを持っているので他者のことが気がつきやすいのだと思います。
ややプライドが高く自己開示苦手な方、ご注意ください。
人生自分に似た方、共通点を持った方に繰り返し出会うことから学ぶことはなんでしょう。
何かを目覚めさせるお役目に繋がるのでしょうか。
心はふんわりやわらかに
美しく始めていきましょう♡