第310回、自転車の乗り方と鬼滅の刃の型と車の踏み間違え事故の関係性を考えてみた
体が一度覚えた事をなかなか忘れない現象を「自転車の乗り方を忘れないのと同じ」と表現をされる事がよくありますが、これは本当だと思います。
自転車に限らず、例えば、格闘における型等も、何度も練習をして、その型の動きを体に覚えさせる事によって、一連の型の動きを一々考える事なく、自然に発動をさせる事ができる様になります。
鬼滅の刃で、登場人物達が、技の発動の際に~の型という名称を唱えるのも動きを型式として身体に覚えさせる事で、型式を唱える事で、その後の一連の動作を、無意識に行える様にする為なのだと、自分は思っています。
これは鬼滅の刃に限らず、多くの漫画やアニメで「ヒーロー物の登場人物がなぜ技の名前を叫ぶのか?」の説明にもなっています。
さらにこれは、魔法や呪術の場合にも、同様の事が言えるのだと思います。
魔法や呪術には、詠唱や術式名を唱える描写が、必ずと言える程ありますがこれも、上記と同じ理由による物なのだと考えています。
この行為がさらに昇華をすると、技名を唱える事なく、自動で必要な行動が無意識に発動できる様にもなるのですが、アスリートの人達がよく「ゾーンに入る」と表現をされる現象や、テレビ版ドラゴンボールで、悟空が最終的に辿り着く「身勝手の極意」は、この境地の事を示しているのではないかと思われます。
自転車の乗り方を一度覚えると、体がその乗り方を忘れないのも、とっさの際に、無意識にブレーキをかけられるのも、この身勝手の極意、ゾーン現象が、働いているからなのです。
さて前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうと思うのですが、「自動車がなぜ、アクセルとブレーキの踏み間違え事故を起こすのか?」
それも乗り始めの素人ではなく、長年乗り続けて来た高齢の人さえもが。
結論を言えば、自動車のアクセルとブレーキは、行動目的とその為に起こす体の動きに、構造的な欠陥を抱えているからなのだと思います。
これは前回の投稿でも言った事なのですが、自動車はアクセルという目的に対して起こす体の動きと、ブレーキという目的に対して起こす体の動きが、殆ど一緒なのです。
これは鬼滅の刃で言えば、一の型と弐の型の体の動きが、全く同じである様な物なのです。本人は一の型を出しているつもりでも、はた目には、弐の型と同じ動きでしかないのです。
※当然、本当の一の型と弐の型は、動きが全く異なります。
自動車は、アクセルの型とブレーキの型が、殆ど同じ動きをしています。
それでも普段はかなり意識をして型の発動をしているので、上手く使い分けする事ができるのですが、とっさの際に発動をする身勝手の極意、ゾーンの状態で、ブレーキの型を発動させる際には、型式としては、ブレーキの型を発動していたのだとしても、アクセルの型と動きが殆ど同じであるが故に、結果として、アクセルの型を発動した時の状態となってしまうのです。
つまり本人的には、アクセルとブレーキの出す型の種類やその動きを間違えている訳ではなくて、確かにブレーキの型を出して、ブレーキの型の動きを行っているのだと思います。
「当たり前の事を、何を回りくどい言い回しをしているのだ」と言われてしまいそうですが、その当たり前の問題を改善する事なく放置をし続けているのが、自動車のアクセルとブレーキの動作が、殆ど同じ問題なのです。
もしこの二つの型の動きが全く違った物であったなら、例え運転手が高齢で判断力が鈍っていても、例えとっさの際の無意識に起こす行動であっても、アクセルとブレーキの動作を間違える事は、まずないのだと思います。
本人がブレーキを踏まなければと思った時点で、あるいは無意識の内に体が勝手にブレーキの型を繰り出そうとした時点で、体がブレーキの型の動きを発動させるからです。ブレーキの型を出そうとしているのに、間違えてアクセルの型の動きが出てしまう様な事は、まず起こらないのです。
しつこいくらいに何度も言う様ですが、車の踏み間違い事故は、アクセルとブレーキの二つの型の動きが殆ど同じであるが故の、悲劇の結果なのです。
とはいえ、今更アクセルとブレーキの二つの動きを、全く違う物にできるのかというと、現実的には難しいのかも知れません。
ただ自動車のアクセルとブレーキの踏み間違いの原因には、こうした問題が含まれている事を認識する事で、様々な対策を考えていく事はできるのではないかと思い、今回素人ながら、提言をさせて貰いました。
車に慣れている人達程「アクセルとブレーキの動きは、同じではないわっ!微妙な違いがあるのだっ!!」と考えてしまうと思われるので。
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