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第437回、自分がミルフィーユ宇宙論に込める想い


自分が、幾つもの宇宙が多層的に存在して重力によって相互的な作用をするミルフィーユ宇宙論を考えたのは、「チ。-地球の運動について-」のアニメを見た事の影響が大きいのだと思います。

あの作品は、互いに会う事のない時間の異なる者達が、書物を通して情報の伝達をし、次第に真理に近づいて行く話であり、一つの理論が決して一人の人間によってのみ、完成する訳ではない事を描いています。

どの様な理論も、先人達の知識の積み重ねや、同胞達との意見の交わし合いの中で影響、洗礼されていき、理論が少しづつ完成に近づいていくのです。

ならば宇宙も、一つの存在で全てが完結していなくてもいいのではないか?

複数の宇宙が存在するという考えは、既に多くの宇宙論としてありますが、
パラレルワールド等の場合を除いて、その多くは、個々の宇宙はそれ一つで完結する独立した存在で、他の宇宙が存在をしていたとしても、それを立証する事は、出来ないのだと言われています。

しかし宇宙はそれ一つのみで成立をする、完全な存在でなくてもいいのではないだろうかと自分は思うのです。複数の宇宙が互いに干渉や影響をし合う事でようやく成立する、頼りない存在であってもいいのではないか?

映画「君の名は。」で、黄昏時の峰で三葉と瀧が手を伸ばして、互いに見えない相手を探り合うように、異なる宇宙同士が重力を通して互いの存在を、自分達がこの世でただ一つの存在ではないのだという事を確認しようとしているのではないか?

そう考えてしまうのは、科学と呼ぶには、あまりに理論的な根拠の乏しい、ロマンティズムな想いなのでしょうか。

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