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第463回、好き嫌いの気持ちについて語ってみた


日本では好き嫌いを言う事が、あまり良くないとされる風潮があります。
好き嫌いを言う事はわがままだとか、対人関係においても、誰とでも仲よくしなければならないと言われて育ちます。

「いい事じゃないか、それの何がいけないのだ?」と言われそうですが、その根底には、周囲の人と同じ価値観でなければならないという暗黙の了解が含まれているのだと思います。

好き嫌いというのは個人の好みであり、他の人と同じである必要はないはずなのに、周囲の人が好きと言っているものを嫌いというだけでハブられたり周囲の人が嫌いなものを好きという事でもハブられたりします。

誰とでも仲よくする為には、好き嫌いを言うべきではないのは、理屈としてわかりますが、そもそも誰とでも仲よくする必要がある物なのでしょうか?

自分は、嫌いな食べ物があっても、嫌いな人間がいても、別にかまわないのではないかと思っています。

大切なのは、その嫌いなものを周囲から排除するのではなく、共存する事にあるのだと思います。

嫌いな物を好きになる必要はないのです。
嫌いである事を隠す必要もないのです。

ただ嫌いなものを嫌いなものとして、自分の素直な気持ちをさらしながら、その嫌いなものと共存をしていけばいいのです。

好き=善ではないのです。
嫌い=悪でもないのです。

ならば嫌いなものを嫌いという事にためらう必要はないですし、嫌いなものと共存をするのも出来ない事はないのです。

本当に怖いのは、物事に好き嫌いの気持ちを示す事ではなく、好き嫌いの気持ちと善悪の感情を混同して、嫌いという気持ちやその対象を心や社会から排除しようとしてしまう事ではないかと、自分自身は考えています。

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