「今を生きるための私考」
これは徹頭徹尾わたしの、わたしによる、わたしの話です。
この文章を書くには、麻酔を打たずに腹にメスをいれ、内臓を取り出すような苦しみを味わいました。
私は取り出した内臓をこまめに観察し、分析し、どうにか言葉にする必要がありました。お時間あればお読みください。
「子どものときの思い出は?」と聞かれたら、私は自分が学校にいたころを思い出す。家庭生活よりも、学校生活のほうが主体といってもおかしくなかった。なぜなら家庭で居心地の悪かった私は無理やりにでも自分の目線を学校にもっていくしかなかったからだ。学校という社会の中で、私という人間は育たざるをえなかった。
そのため、私が経験してきた「学び」は常に学校教育の範囲にあった。学校は教育計画にのっとり、矢継ぎ早に課題を出してくる。行動規範まで口を出す。ひとつ積んだらまたひとつ、ひとつ積んだらまたひとつ…。賽の河原のように、与えられた課題をこなす日々。投げ出すことは怠惰とされた。努力の成果は数字で出てきた。それを見て一喜一憂する日々。それが私の学校教育のメインイメージだ。この学校生活にはサポータの顔をした「監視者」がいた。
「ワタシハ、アナタノタメヲオモッテイッテイルノデス。」
「ソンナコトヲシテイタラ、シャカイデヤッテイケナイヨ。」
「ソンナコトイウナラ、ココカラデテイケ。」
鉄の塊のような言葉を使って、人をコントロールしようとしてくる。
当時、その人たちの賞賛が私の価値を決めていると思っていた。その日常で何よりも恐ろしいのは彼らの叱責。叱責はとてつもない恥だった。恥をかくことを回避するために細心の注意を払う日々。
緊張をはらむ日々のなか、私の腹の底にはずっと同じ思いがこだまする。
「どうしてわたしの気持ちを分かってもらえないの?」
やがて「成人」に近づくにつれ、学校教育から少しずつ距離をおけるようになった。ところが、身近に「監視者」がいなくなったのに、私の心は全く解放されない。むしろ以前よりもより身近に「監視者」の存在を感じるようになってしまった。
私は自分の中に「監視者」を取り込んでしまったのだった。
“無事に”大学受験を成功させ、大学に入学したとたん、大きな無気力感が私を襲った。この無力感は、「無力」といいながらも、いちばんそこの部分ではある思いがこだましていた。
「どうせ、わたしの気持ちなんてわかってもらえないんだ。」
子どもの時、「どうして私の気持ちをわかってもらえないの?」というかすかな叫びだった心の声。それが私の成長とともにふくらんでいたのだ。その声をずっと放置していた結果、その感情が悪性のものへ変異したのだった。
この変異体を抱えた状態で日々を送ることはしんどいことこのうえない。
学業も、友人関係も、恋愛も、対象をまっすぐ見つめることができないのである。向き合いたいのに、逃げたい。見つめたいのに、目をそらす。
「きっと私の本音を言ったって否定されるだけ。」
「人と揉めたらスマートじゃないよね。」
「私の心の境界に入り込んでこないで。」
「私あの人にどう思われてるのかな。」
「ところで、この頭の中のノイズってどうやったらオフにできるの?」
「考えすぎて疲れちゃった。もう何もしたくないよ。」
「 」
このようなネガティブサウンドがこだましていながら、まわりにたいしては落ち着きはらった姿勢を見せていた。しかし実態はシワシワな心を何とか隠そうともがいていただけだった。自分の振る舞いの正誤は他人の表情で答え合わせした。よさげな反応が返ってきたらマル、イマイチな反応が返ってきたらバツ。自己中心的な自分など大嫌いなので、それが見えないように角度を必死に変えた。どうか私のすがたが少しでもスマートで、クレバーに見えますように、と願いながら。
もはや、かつての「監視者」を取り込み、「監視者」と同化しつつあった私の心はすべてを斜めの角度から見るしかできなくなった。この硬質な態度はふとした時に周囲の人たちさえも巻き込んだ。そしてますます、硬く、冷たく、鋭く、醜くなった。
人は将来の夢を描くとき、どんなことを考えてるのだろうか。夢を実現させて生きる自分を思い描き、明るい気持ちに浸るのだろうか。その夢の中心には輝いている自分がいるのだろうか。
将来の夢を「小学校の教師」と決めた時のビジョンは思い出せない。たしか、高校生の時、自分の存在意義に悩み苦しむ同級生を見て、「ああ、小さいときにありのままの感情を受け止めてもらえないと、あんなに苦しむのか・・・。」と思ったことに端を発していた気がする。
別にその同級生の話を聞いて決めたわけではない、行動が荒れていたその同級生の発言や態度から直感的にそう感じただけのことである。絶対的な根拠のない直感から設定された私の夢はまわりから大いに賞賛された。浅はかにも、私はそのことに気分を良くしていたのではないだろうか。「監視者」の満足感を、自分の真なる気持ちとすり替えてとらえていたのではないだろうか。
「ありのままの感情を受け止められる人になりたい」という夢そのものは、とても尊いものである。しかし、それには、「ありのままの自分を受け入れる」「自分を大切にする」ことが不可欠だ。この条件は私に全く欠如していたものだった。それが欠けている人間が下手に人に寄り添おうとすると相手の傷を深くする。そういった認識すらまるっきり欠如していた。おかしな話である。
「欺瞞マックス」な状態にもかかわらず、教員採用試験に合格し、“無事に”就職が決まった。「監視者」のもとで育ち、「監視者」を取り込んだ私が、新たな「監視者」になる門出だといえた。
これまでの自分の人生を振り返ってみると、真面目だし、勉強もそれなりにできるし、順調な人生を送っていると思われるだろう。私が思っている「世間様」はきっと私を認めてくれるはずである。
それなのに、なぜ私はありのままの自分を直視できないのか。
なぜ、いつも息苦しいのか。
この生き方が人生の正解なのか。
自分に対する問いはいつも孤独にこだましていた。
つづく
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