これは徹頭徹尾わたしの、わたしによる、わたしの話です。 この文章を書くには、麻酔を打たずに腹にメスをいれ、内臓を取り出すような苦しみを味わいました。 私は取り出した内臓をこまめに観察し、分析し、どうにか言葉にする必要がありました。お時間あればお読みください。 「子どものときの思い出は?」と聞かれたら、私は自分が学校にいたころを思い出す。家庭生活よりも、学校生活のほうが主体といってもおかしくなかった。なぜなら家庭で居心地の悪かった私は無理やりにでも自分の目線を学校にもっ
「愚痴、あらため」 「愚痴」ってどうして気持ちよくこぼせないんだろう。私の「愚痴」は私の心の正直な気持ちだ。からだの中で消化できず、分解もできず、どこにも行く当てのない感情。ため込みすぎると、どうしても止められなくて、堰を切ったように流れ出てくる。 一方で「愚痴」ることを戒める心の声もある。 「まわりの人を不快にするよ」 「愚痴ったって何にも変わらないじゃない」 「ネガティブなことを言っていたら表情が暗くなるよ」 確かにその通り。幸福を感じるためには愚痴を言わないのは最