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22. 戦慄


いつもこっそり抜け出す時は素っぴん。

部屋着のままで上からジャンパーはおるだけ。

時間は10分程度。

万が一、夫に見つかった時に言い訳できるからだ。

ただ逢いたい。

それだけだったから、蓮の顔を見てぎゅうっとしてもらったら安心してすぐに家に戻っていた。




その夜も、いつもどおりちゃんと夫のイビキを確認してからこっそり家を抜け出した。

ただいつもと違うのは、その日が第4週の金曜日だったということ。

毎月最終金曜日は、彼の奥さんは娘を連れて実家に帰る。そして土曜日に遅れて彼も奥さんの実家に行くのが恒例。

その日も、もれなく奥さんは実家へ。

だから、蓮も早く家に帰る必要がなかった。

いつもより長く一緒にいれることが嬉しくて、この夜の私は、わりときちんとした服を着ていた。

ニットとスカート、そして、きちんとしたコート。

今までばれなかったことに、つい油断した。



蓮は、バイク通勤。

だから夫と別居中は、彼のバイクは置いていつも私の車ででかけていた。

でも、夫が帰ってきた今、車は出せない。

「あこさん、バイク乗ってみる?」

私は怖がりなので、スピードが早いものは嫌い。

その頃は、高速道路も運転できなかった。
ジェットコースターも乗らない。
原付すら乗りたいとは思わない。
当然、バイクなんて一生乗ることはないと思っていた。

だから人生で初めて。

すごく怖かったけど、蓮が大丈夫って言うとなんか乗れる気がした。

蓮の背中にぴったりくっつき、彼の腰に手を回す。

私の手の上に、蓮が右手を重ねる。

「行くで!」

私の手を上からぎゅうっと強く握ってくれる。

その瞬間、凄い音と共に風を感じた。


すごーーい!!

こんな風は、初めてだった。

身体がフワッと軽くなり、まさに体中で風を感じる。

体にまとわりついている、いろんな感情がするするほどけていった。

夜の風が身体の中を通り抜けていく。

気持ちいい。

真っ赤なテールランプの中をすいすい通り抜けていく。

なにこれ、めちゃめちゃ気持ちいい。


「な?大丈夫やろ?」

信号で止まった時に振り向いた蓮。

「うん!」

更に力いっぱい蓮の背中にしがみついた。


なんか、どこまでも走れる気がした。

このまま、夜の暗い空気の中に溶けてしまえばいいのに。

そう思いながら、次々に後ろに去っていく景色をぼんやり眺めていた。


背中越しに聞く蓮の声。

身体中で感じる風。

次々に色んな色が目の中をすり抜けていく。

この先、ずっと、この今の感覚が私の中に残るだろうなぁとぼんやり感じていた。



うちの近くまで戻ってきた。

バイクが止まると、瞬く間に夜の静けさに包まれる。

バイクを降り、顔を合わせて微笑みあった。

「すっっごい気持ち良かった!」

自分でも顔が紅潮してるのが分かった。

寒いからなのか興奮からなのか。

蓮に、にっこり笑いかけ、そばに歩みよろうとしたその瞬間、携帯の音が闇を切り裂いた。

一瞬にして、微笑みが凍りついた。

嘘でしょ……。

おそるおそるのぞく。

……やっぱり、夫だ。


しまった。

家にいないのがバレた。

携帯を見つめてたら着信音が切れた。


え?

携帯を持つ手が震えた。

なぜなら、10回以上の着信履歴があったから。


やばい……。

どうしよう…………。

当たり前だが、バイクの音で全く聞こえなかった。

まずい。非常にまずい。

さすがに蓮も凍りついてる。

「それだけ着信入ってるってことは、絶対旦那さん、近所中あこさんを探してるはずやわ!

一緒にいるとこ見られたらまずい!

とにかく、戻って!」

別れの挨拶もせずに、蓮は急いでバイクにまたがった。

私も、とにかく急いで家に向かった。



しばらくすると、また電話が鳴った。

蓮のいう通り、仮に夫が私を探しまわっているとしたら、電話の音が聞こえるかもしれない。それはまずい。

私は、電話に出た。

「もしもし!あこ?!おまえ、何処におんねん!!」

「あぁ、ちょっとLAWSON行ってた。電話、マナーモードになってたわ…ごめん。」

「…俺、さっき、LAWSON行ったけど。」

「あれ…行き違ったんかなぁ…。
今、帰ってるからもうすぐ家着くよ…」

「おまえ、どの道通って帰ってきてるん?」

「えーっと、なんて言うたらええかなぁ…。ってか、もう家着くから…」

そう言って、私は走り出した。

とにかく、暗闇の中を走った。


なぜなら、私はLAWSONとは逆の方向から家に向かっていたから…。

やばい。非常にまずい。

見つかったら、嘘がバレる…。






全力で走り、なんとか夫に出くわすことなく無事玄関にたどり着いた。

呼吸を整える為に、深呼吸。

思いっきり息は切れていたけど、とにかく冷静を装う。

そして、恐る恐る玄関を開けた。


……あれ?


夫はいなかった。

携帯を確認した。

それ以降、着信はない。

とにかく家に入り、玄関あがってすぐ左手にある洗面所に入った。

その瞬間、扉が開いて夫が帰ってきた。

……私が先に着いただけか。

「ごめん。心配させたみたいで。」

私は顔は見せずに、先に声をかけた。

夫が、洗面所の入り口の前まで来た。

「一体どこに行ってたん?」

「え?LAWSONやよ。」

「俺も行ったよ。」

「寝付かれへんかったから、公園の方とかまわってゆっくり行ったから。」

「公園も行ったよ。」

「……そう。」

「俺、この辺、3周はしたと思う。30分以上、ずっと探してたけど。」

「えぇ、なんかごめん。なんで逢わへんかったんやろうねぇ。」

そう答えて、私は、水道の蛇口をひねった。

手を濡らして、ハンドソープに手を伸ばした。

背中に痛いほどの夫の視線を感じる。

とてもじゃないが、振り向けない。



わかっていた。

どう考えても、夜中にふらっとコンビニに行く服装じゃない。


わかっていた。

LAWSONまでの道、公園までの道、どちらも見通しがよく、こんな夜中に人なんて歩いていない。

私の言うことが本当なら、絶対に見つけることができたはず。

私は、必死で手を泡立てることしかできなかった。

その様子を、見ていた夫。

「一応、女やねんからさ。こんな夜中にうろうろしたらあかんで。」

「うん。ごめん…」

私は、手をすすぎだした。


夫は、それ以上は何も言わず、2階へ上がっていった。

夫の部屋の扉が閉まる音を聞いて、

ようやく水を止めた。


大きくため息をついて、鏡で自分を見た。

……酷い顔。

どう考えても、さすがに今回はまずい。

誤魔化しようがない。

もう、夜に蓮に逢うのはやめよう。

固く心に決めた。

もちろん、なんとかごまかせたとは思わなかった。

けれど、なんとかやり過ごせると思った。

これからの行動に、気を付けなくては。

改めて身をひきしめた。






でも、実際は、手遅れだった。

この夜、ようやく夫は気がついたようだ。

こいつ、まさか……と。

私は忘れていたけど、夫は決して忘れていなかったのだ。

あのTSUTAYA事件を。


この時は、まさか男とは思いもよらなかったようだ。

でも、微かに感じた違和感。

そして、この夜。

その微かな違和感は、確実な違和感になった。

というより、これで、すべての点と点がつながった。


うちの嫁に限って……。


夫の証拠集めが、始まった。


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