17. W不倫のルール
さらに、1ヶ月ほどたった。
その日は、蓮は半休。
朝からふたりでホテルにいた。
部屋に入ったばかりで、まだコトは始まってなく、ベッドの上でまったりくっついていた時、珍しく私の電話が鳴った。
夫だ…。
今は無視できない。
仕方なく、人差し指を口の前に立てて蓮の顔を見ながら電話に出た。
内容は忘れたが、その時の私の受け答えで、蓮に、離婚しようとしてることがバレた。
「あこさん、どういうことなん?
なんで? まさか、オレのせい?」
「オレのせいじゃないよ。
オレは、全く関係ないから、安心して。」
「でも……。」
「これは、私と夫の問題だから。
この事については話したくない。」
そう言って、蓮の隣に寝そべった。
彼の腕をひっぱって、私の頭の下に入れ、彼の方に体を向けた。
なのに、蓮は天井を見たまま動こうとしない。
そして、あろうことか私に説教を始めた。
「離婚なんてあかんよ。子供おるねんで。そんな無責任なことしたらあかん。」
……。
私は起き上がり、服を着始めた。
「あこさん、考え直した方がいい。
結婚は好きとか嫌いの問題やないやろ?
家族やろ?
子供の為に、家庭を守らな。」
それが、浮気を繰り返す男の言うこと?
笑えるし。
私はイラついた。
でも、確かにその点は蓮は偉いと思う。
以前、元カノとの浮気がバレた話を聞いた時、その瞬間はこの男最悪やんって軽蔑したけど、今はそれは訂正する。
むしろ、あっさり奥さん子供を捨てる男じゃなくてよかったって、本気で思う。
私に対しても、夢を見させるようなことを一切言わないのも、私にとっては、むしろそれが誠実な男なんだと思う。
不倫がバレた後。もちろん自業自得とはいえ、針のむしろの毎日だったはず。
毎日の奥さんのチェックに耐え、ぞんざいに扱われても文句言えない。
冷め切った夫婦関係。
それでも、その枠を守った彼を今は尊敬する。
冷えた家庭を修復する努力がどれほど大変なことか知ってるから。
いつからか、その努力をすることさえ辞め、今、そこから逃げ出そうしてるのは私だから。
「何?私に離婚されたら困る?
重く感じるんだったら、あなたとも別れる。」
「そんなことを言うてるんやない。あこさんの為を思って言うてる。離婚して、どうやって生活するねん。」
子供の次は、お金の話。
みんな言うことは同じ。
私の母親ですら言う。
「りょうちゃんはATMや思うて我慢しなさい。」
それが嫌や!って言うてるのに誰にも伝わらない。
それは、私がお金に苦労してないからだって言われる。
本当のお金の大切さを知らないから、そんな綺麗事が言えるんだって。
私は蓮に、初めて自分自身の話をした。
私が物心ついた頃は、父はいなかった。
母は旅館で住み込みで働いていて、旅館の従業員室で母とふたりで暮らしていた。
だから、私の幼い頃の記憶はあの旅館から。
他の従業員の子供と兄妹のように育ち、アルバイトのお姉さん達や、厨房のおじさん達に遊んでもらっていた。いつも周りにたくさんの笑顔があって、とても楽しかった思い出。
でも、私ひとりでも育てるのが大変だったらしく、何があったか詳しくは分からないが、小学生になる前に父が迎えに来た。
そして、それからは両親そろった一人っ子。
急にひとりぼっちの毎日になったけど、それでも大切に大切に育ててもらった。
でも、すごく覚えている。
母がしょっちゅう泣いていたことを。
こっそり見に行くと、いつも言われた。
「あんたの為に我慢してるやで。」って。
夕飯の最中、きまって喧嘩が始まる。
食器が割れ、おかずが飛び交い、母が裸足のまま出ていく。
父は割れた食器を片付け、私は壁に飛び散ったポテトサラダをふきとってまわる。
ご飯がカレーの日は、頼むから今日はやめてって思ってた。
そんなに、喧嘩ばかりだったら別れればいいのにって小学生ながら思ってた。
中学生になると、母は毎晩どこかに出かけていき、それに対して何も言わない父にイライラしていた。
なんで、離婚しないのか、不思議で仕方なかった。
母も父も、嫌いだった。
大人になり、人の親になった今は、同じ大人として母のことも父のことも理解できるし、感謝している。
母のいうとおり、我慢してくれたから、私は何不自由なく育ててもらえたのだろう。
でも、、やっぱり、私は嫌だ。
子供が大人になるまでの我慢なんだろうけど、何かあった時に子供達のせいにしてしまいそうで怖い。
ずっと両親の喧嘩を見てきたから、私は子供の前では、絶対に夫に逆らわない。
子供の前では、仲のいい夫婦でいたい。
偽物でも仮面でもなく、本当に仲のいい両親になりたかった。
「それを望むのは、やっぱり綺麗事?
それでも、笑顔よりお金を選べって言うの?卑怯だよね、こんな話をするのは。」
案の定、蓮はそれ以上何も言わなかった。
◆
W不倫のいいところ。
男女差はあるものの、既婚者同士だからこそ分かりあえることがたくさんあって。
だから、お互いに都合が良くて、 日常のめんどくさい事は一切抜きで男と女に戻れる。
擬似恋愛を楽める。
それが、私がまだ独身で、相手が既婚者の不倫の時には分からなかった感情。自分が独身だと、決してそれは疑似じゃなく、本気で恋だったから。
不倫は非日常。
帰宅したら日常。
私も最初は、それができると思ってた。
しようと思ってた。
しないといけないと思ってた。
蓮が好きだったから。
離婚しようとすることはつまり、W不倫のルールを破ろうとしてるんだろうね。
不倫は、おそらくお互いにきちんと納得してバレさえしなければずっと続けていけるものなのかもしれない。
でも、やっぱり私は大好きな人がそんなずるい男であってほしくない。
10年とか長く不倫関係を続けてる人になんの憧れも抱かない。
「私にはできない。
したくない。
ごめんね。」
はっきり、蓮にそう言った。
現実逃避が必要な結婚生活と、ずっとコソコソしないといけない関係の両立なんて、そんなWは嫌。
関係性が夫婦だろうが、不倫相手だろが、きちんとお互いを尊重して支え合える関係でいたい。
蓮は、ずっと黙って私の話を聞いてた。
「そもそも、こうやってホテルでこんなこと真面目に話してる段階で私達おかしいよね。話なんかせずに、愛欲にまみれるのがW不倫じゃないの?」
そう言って笑った。
でも、蓮は笑わなかった。
自分でも、何、子供みたいなこと言ってるんだって分かってる。理想論だって。
でも、その理想を叶えようすることに、年齢制限はないはずだ。
W不倫をして知ったこと。
それは、『私にはできない』ってこと。
結局、時間が来て、することしないで出てきてしまった。