3人で生きる覚悟を

妊娠判定日。結果は陰性。
期待はしないでおこうと心に決めてはいたが、クリニックの先生の目を見れば、今後を話せば、結局じわじわと涙が滲み、診察室を早々と後にした。
3人で生きる覚悟を決めたつもりでいた。
先生は、「せっかく頑張ったんだから」と、今後の治療も前向きにという方向で話をしてくれた。確かに頑張ってきたのを一番によく知っているのは先生だと思う。

個人的には、先述したように、もう随分頑張ってきたし、私にとっては巨額のお金を注ぎ込んできたし(モルディブに一週間リッチな旅行に行けるくらい)。
あとは、3人で生きていく覚悟を決めるだけ・・・と思って帰宅したところ、どうやら夫は第二子への期待が私より強いらしい、とみた。夫も私も3人きょうだい。シンプルに、一人っ子である想像がつかないということもあるのかもしれない。

もう使うことのない、バカみたいに高い薬をゴミ箱に捨てながら思う。
もちろん、できるのならば二人目を望みたい。

しかしながら二人目を望む時、デメリットが多く浮かぶ。
この生きづらい世の中に、金銭面の問題。妊娠中のマイナートラブル。娘中心でない時間に、ストレスをかけてしまうかもしれない。家族のお出かけもまた遠のく。

ではメリットは。
単純に、子どものいる幸せという曖昧なものである。
娘一人でこれだけ日々が愛おしく、美しいものであることを私は知ってしまった。
嫌いだった踏切での足止めも好きになった。庭に飛んでくる、娘が「秋の葉っぱ」と呼んでいる枯れ葉も、雨上がりの水溜りも。忘れかけていた、目にも止まらなくなった日常の景色がこんなにも素敵なものになった。日常の不思議を、美しさの全てを、娘が教えてくれる。
セオリー通りにいかないことの面白さ。屈託のない笑顔の可愛さ。挙げればキリがないが、何より無条件で深い深い愛を与えてくれるのだ。私という存在が初めて誰かによって必要とされている、と感じられる。
もしもう一人我が家にやってきてくれたなら。きっとこの愛おしさは、二倍にも三倍にもなるのではないだろうか。

この行ったり来たりを繰り返している。
私の場合は二人目をどうするか、ではなく どうなるかという運任せに近いもの。
このままでも人生は幸せなはず。でも、望んでもいいのなら。少しだけ望んでもいいのなら。願ってみてもいいのでは、とも思う。

3人で生きる覚悟を持って、幸せをしっかり噛み締めながら、
でも、微かな期待を持ちつつ。

陰性が分かってからも、階段を降りるときにそっと降りてしまったり、ゆったりとした動きをしてしまう自分がいてちょっぴり切ない。くそくらえ!と、今日は娘といっぱい走って、いっぱいジャンプして、踊った。ヤッホー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?