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何もしない…という予定。
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「何もしないこと」が足りていない。
今日はそれを心から感じた日だった!
年間360日くらいは仕事を詰め込み、いつの間にか予定が無いことがストレスである…と錯覚をしていた。
今日は久しぶりに仕事が休みだった。
休みだからといって、お昼を食べに出かけただけでこれといってやることはなく…
午後から妻が出かけたので子供と三人でお留守番。
三人でスライムや粘土で遊んで、下の子をお昼寝させるために一緒に横になった。
携帯も放ったらかして、PCもみない。
スマホやパソコンのデメリットはマルチタスクになってしまうこと。
何もする必要が無いのになんとなくスマホをみて時間を使ってしまう。
動物的では無い…
12月に発刊されたプレジデントに養老さんと池田さんの対談があった。
その中にライオンは獲物を仕留めてお腹が満たされると、横になって何もしない。
人間も狩猟時代は獲物を仕留めてお腹が満たされると、その食料が無くなるまでの4日間程度は何もしないでゆっくり過ごしていた。
食料があるのに獲物を仕留めても、腐らせてしまうから自然とそうなった。
資本を独り占めするように蓄えるようになったのは穀物の摂取が増えてから。
穀物が日持ちするため、大量に蓄えることが可能になった。
と記載があった。
それが少しずつ役割分担となり今でいう仕事(分業)になったのだろう。
人の暮らしは便利になり、本来であれば怠惰な時間を増やせるはず…
なのになぜか過度に生産性を求めたり、何も無いことが罪悪感のようになってしまう。
企業も人も、
生きること=向上し続けること
売上を上げることに躍起になり、人間らしい暮らしとは何か…
この問いには向き合っていない気がする。
もちろん答えは人それぞれで構わないと思う。
ストレスが慢性化していくと、感覚が麻痺してそれに気が付かないようになる。
仕事=狩り
必要な狩りをしたら、予定を入れないでダラダラする時間も作る。
空いてるから予定を入れるって生活を辞めて、空いてるからこのまま空けとこう。
お互い空いてるから、お茶でもしますか!
みたいな生活が贅沢でストレスの無い暮らしなんだろうな!
意識しないと怠惰な暮らしが出来ないなんて、なんて不自由な時代なんだろう…
何もしないという予定を入れよう。
ダラダラするのは悪いことじゃないぞ!
って自分に教えてあげよう!
お金が時間と共に腐って使えなくなったらみんな必要な分を分け合って暮らすのかな…
格差のない社会が良い社会とも思わないけど、格差のある社会が良い社会とも思わない。
結局、幸福論って個々人に委ねられてる気がする。
社会がどうとか、政治家がどう…
ではなく、わたしがどう生きるか。
過去に縛られず、これからどうするか!
それしか無い。