桓騎通鑑
秦国国王・嬴政は中華統一の大戦略に、秦軍から戦争の自由特権を与える六人の大将軍を任命した。
任命された六将、六大将軍は蒙武・騰・王翦・楊端和・桓騎・(空席)の五名。
その中に在って桓騎大将軍は恩功制度、実力主義の秦国にあっても異色である。
趙国大将軍・李牧の前に敗死したが、元・野盗にして残虐さと兵法に外れた独特の兵術で国軍の最高地位の一人に成り上がった。
成り上がり者としては李信、飛信隊の信も同じと桓騎将軍も挨拶で口にしているが、両人は似通うところが結構多かった。
掛け替えのない人
信には漂がいた。 桓騎には偲央がいた。
そして、彼らは他人の手で唯一無二の人を奪われた。
その瞬間、復讐を誓った彼らであった。信と桓騎は奪われた宝は同じだった。
桓騎はもう一人の信、信はもう一人の桓騎になっていたかも知れない。
彼らを分けた差は恩恵
二人を分けたもの
掛け替えのない人を奪われた瞬間、桓騎には引き裂かれた痛みが強烈に残る。
信は思いを実現させる目標が与えられる。
斬られた身は一つ、心は二つ
桓騎が奪われたのは愛情であり、温もりだった。偲央は女性であって桓騎を愛していた。
二人はひとつであって代えがきく存在ではなかった。それが却って桓騎を愛への咆吼、怒りが心中で制御できなくなってしまう。
これに対して信が奪われたのは友情だった。
兄弟のように過ごした友を奪われた。だがしかし、奪われたのは漂という肉体だけで信には受け継がれていたものがある。
それは、天下の大将軍になるという夢だった!!桓騎は屍体という事実のみを突きつけられた。
信は思いを受け継げることが出来た。夢と共に。
愛情
愛情は私有財であるが夢は公共財である。愛情は自分の中にあるものだが、夢は自分だけのものではない。
偲央の愛情が大きかった桓騎は失った怒りで吼えていた。愛情は私有財なのだから自分が認めない限り完結しない。
つくづく愛情とは宗教に近い。
愛は地球を救うと某TVでテーマにされているが末恐ろしいことである。愛情は二人だけで育めてしまうのだから。
桓騎は死ぬまで完結できなかった。 それを知る砂鬼は桓騎の中には業火の怒りがあると語ったし、桓騎自身でも自分が暴れたいように暴れただけだと告白していたのだ。
夢
対して夢は公共財である。
夢は、世のため人のためのものである。すなわち世の中が存在し人が存在しなければ成り立たない。
愛情は好いた人さえ居れば良いが、夢はその他の人間、桓騎なら中間の人まで認めて受け入れられるものである。
漂を失って桓騎と同じく愛に咆吼する可能性大だった信は、漂との大将軍になるという夢によって世の中と人々の間につなぎ止められていたのである。
桓騎と信の間に避けられない言葉
愛する者を奪った奴をお前は許せるのかよ
桓騎は偲央の死を与えた奴らを全員自らの手で首を刎ねた。
しかし、信は漂を死に追いやった秦王嬴政を殺さずに戦友として共に道を進んでいる。(無論、殺害実行犯の朱凶や王弟、竭には怒りを向けるが)
わかりあえることの難しさ
わかり合えるというのは至難である。不十分なyesで十分なのだとは映画決定の某漫画主人公である。
男女として愛情が深かった桓騎にとっては、大好きな友を身代わりにして殺した嬴政を戦友として受け容れる信は信じがたいだろう。
故に納得しがたい、受け容れがたい複雑な人間にみえていたのではなかったか。
自分と同じように掛け替えのない人を殺されている、下の気持ちも分かっている実力もある。
自分と似通っているようで・・・自分と別れている奴。
自分と同じ臭いの奴で力もあり自分を曲げないクセに何故か中間の奴らを拾う奇特な奴だと。
認められるが認めがたい、そんな気持ちをずっと桓騎は信に持ち続けていたと思う。
喧嘩は同じ境遇の者同士にしか発生しない
そんなような言葉があるが、相互理解の壁にもこの言葉は当てはまりそうだ。
違いが明確だからこそわかり合える道が見つけやすい。
長所と短所が明確であれば道がわかりやすい。わかり合えないのはおそらくは自分と類似点があるのに受け容れがたいというジレンマが苛立ちと諍いに繋がるのでは無かろうか。
違いがあることを悪むべきではないのかもしれない。
桓騎になかったもの
夢だった。夢を教える人が居なかった。愛情はもらっていたが・・・。
もっと言えば自分が生きて世の中に何か為したいことが決定的に無い。
人生目的が無い。 何せ世の中に絶望している、諦めているのだから。戦略が広くなかったのもこの点が遠因なのかもしれない。
白老の下で同じ副将の王翦と正反対の人間なのが桓騎と言える。
砂鬼達の期待
夢には自由が有り人が沢山参加できる。桓騎には無くて信にはあった。
砂鬼一家の召が何故、信に桓騎のことを話したのかも察しが付く。
桓騎に信のようになって欲しかったのではなかったか。
飛信隊にやさぐれ達が憧れて入隊をしてきたように、復讐の鬼だった羌瘣もそのまま溶け込んだように。 桓騎は信よりもむしろ羌瘣に近い。
その羌瘣は信と出会って別の道を見つけることが出来た。 召は信が桓騎に別に救いを求められるかもと思ったのかも知れない、遅すぎたが・・・。
夢と義と自由
夢に自由がなければダメなのだ。 夢の自由とは人を容れる自由のことである。
孟子の義と介してもよい。
受け容れがたい人を容れて始めて自由が成り立つ。義侠と言える。
信は下僕から成り上がったが同時に秦王という破格の貴種と巡り会ったことで上も下も見れる人格、義を体現する人に成長できた。
米国が夢の国と言われる限りは大国だ。対してチャイナドリームと言うが誰も受け入れ自由があるとは微塵も思っていない。
公共財に自由なくして誰が利用するだろうか。
桓騎の最後
銀英伝のロイエンタールの最後のようだと思う。
摩論を選んだ理由。
選んだきっかけは、十万斬首の一件だった。あの時、摩論だけが十万斬首に苦しんでいた。
秦王との会話、説得でも自分の主張が出来ることが分かった。
ならば他にない、考えたくないという奴らのように俺の意思、俺の戦いに染めることも無い。
だから、摩論を逃がす方に選んだ。後は摩論自身で考えろということで。
もし、自分の意思で戻ってきたとしても物好きだなと苦笑するだけだろう。
自分を曲げない青臭い奴
オギコは伝令役、砂鬼一家は嘗ての俺の最初の家の奴ら、摩論は自分で歩ける奴らたち。
こう認識すれば最優先することは砂鬼一家の保護、ならば保護に信用が置ける奴らは・・・。 飛信隊しかない。
なぜなら守ることにおいて自分を懸けても決して曲げない強さを信は持っていたからだ。 嘗ての偲央のように・・・。
だからこそ青臭い甘い奴だと思っていても要るべき存在だと認めていた。
自分にとってイラつく存在だが捨てきれない質の人種。自分が嘗て好いていた偲央が族の中でも優しさを捨てずに非力であろうとも仲間を守り通していた長であったように。
桓騎が教える三本の柱
桓騎は李牧に敗れはしたが、独特の兵術の才で常勝無敗を誇って野盗から国家の大将軍にまでのし上がった。
個人の才は冠絶していたが李牧に敗れたのは明らかに戦略からである。
①「孫子」は語る
「キングダム」には数多の才人が登場する。才能は先天的なものもあれば、経験に努力から後天的に発揮されるものもある。
同じ土俵ならぬ同じ条件下であったらお頭が勝った。が、生憎その場はスポーツの試合ではなく戦場でありました。
戦場であれば勝つために如何なることもあらゆる事も駆使して敵を倒さねばならぬ。
嘗て母太后と戦った嬴政が昌文君に語った戦争の文言そのままは戦争の中の人の腹構えであります。
故に桓騎がどれだけ戦場で強いかが分かっているからこそ李牧は戦う前に嵌めて戦った。
戦う〈戦術〉前に〈戦略で〉勝つ!
奇策奇襲を警戒して正攻法に絞り徹底的に兵力差を広げる戦いをした。どれだけ桓騎が応変の才があろうとも戦争はシングルゲームではない。
物量で押しつぶす戦争に徹し、兵の数あっての勝利を描き実行すればよいと。
戦わずして勝つと「孫子」は永遠の金言を人々に残しますが、それは互角では勝てないのに戦わねばならぬ戦争もあったからこその言葉とも言える。
②才能の限界
それでも尚、戦争には何が起きるか分からない。
お頭の臨機応変の才は李牧を凌駕する。圧倒的な兵力差を逆手に取って最も手慣れた精鋭主義で地勢を活かした挟撃で李牧に肉迫した。
だが、自分ら虐げられはぐれ者たちを最もこの世から省みなかった中間層の人達の心がお頭の勝利を阻んでしまう。
雁門から李牧が救ってきた趙北部の兵達の心によって桓騎兵の猛攻は李牧に届かない。
狂っていると言われたほどの彼らの狂信ないし忠誠心が生み出す抵抗はお頭達のタイムリミットをオーバーさせてしまった。
廉頗大将軍が嘗て語っている。
自分の世界しか見ないのは周りに信が置けない者、だがそれでは誰もそいつを英雄と認めない。歪んでいる者だと。
廉頗大将軍が王翦を評したがお頭もまた歪んでいた。
自分と同じくはぐれ者達だけしか信が置けなければそれ以外の人から力は受けられない。
だからこそお頭の下っ端だけの少ない信は、李牧の中間層民の大勢の信に勝てなかった。
国を守る軍人は自分達を好きな人達だけの為に戦うことは許されないのだ。道徳的にも戦略的にも。
しかし、敗れようとも優れた才能有徳の持ち主は周りに影響を残す。
生き残った生き残った生き残った桓騎残党の摩論、氾善、オギコらは傭兵団を、お頭の人生を見届けた砂鬼一家は里帰りを、そして、最後に李信に乱世に散った漢としての哀しみ想いの記録にまた一人刻まれる。
天才が孤独と言われるのもこの辺りなのかも知れない。
③教育の根本
才能は個人それぞれに違いがある。そして、才能だけで生涯を勝利で埋め尽くすことは適わない。
教育は個【弧】人に他のみんな【世界】を教えることに尽きる。
教育とは孤立している人にみんなを教えて人々の間で個人生活ができるようになることなのだ。
桓騎はそれが分からずに死んでしまった。
信は漂がいて、嬴政がいて下僕として村どころか国、中華の広さまでみんなを知ることが出来た。
独裁者国家とは言うなれば独裁者の色でみんなを狭める教育をしていることであり、人のための活力を規制損耗していると言っても良い。
蒙ごう白老は敢て桓騎を王翦と双の副将として使っていた。戦術家が戦略家と平行させることで窓を広げるためでもあったのかもしれない。
言葉とは自分のために使うものではない。周りと使うためのものだ。みんなを学ぶために言葉を知るのだ。本を読むために言葉を学ぶ。