プロ野球シミュレーション「最初から巨人江川」第10球「空白の一日は無い」
さて、1979年に実際に江川投手はデビューするわけなんですが、1ヶ月間は一軍の試合に出ることはできず、遅れてのデビューってことになりました。
1979年6月2日の後楽園球場の阪神戦が初登板初先発でしたが、ホームラン3本打たれて負け投手。その後広島戦で初勝利したときは鼻血を出して降板というまたしてもメシウマな話題を提供しておりました。
このシーズンは9勝10敗と負け越し、二桁にも届かず、新人王を逃しましたが、タラレバですが、ちゃんと開幕から登板してれば、あまり断罪するようにマスコミが叩いて調整に支障をきたしていなければ、これよりはいい数字は出せたと思ってます。
そうでなくても、大学から一年浪人生活を経たり、まあ法政大学の4年間もちょっと酷使だったのかなとか、やはり高卒で入っていたら、松坂とかマー君以上の成績は出せたんだろうなと。
あと、高卒で入った速球投手って、金田にしろ尾崎にしろ池永にしろ江夏にしろ鈴木にしろ堀内にしろ松坂にしろ実は入団5年目くらいまで、だいたい25歳くらいまでが沢山勝てる時期になっているんですよね。
シミュレーションをご覧頂ければ(有料ですが)その中で江川の成績は、結構超越した数字を書いているんですけど、私はそれもそんな極端ではないと考えております。
ちなみに、シミュレーションが10話目を迎えたので、ここで少しおさらいしてみます。あらすじとかはこういう節目でご案内はいたします。シミュレーションの「中身」に興味があったら有料版に行って頂ければなんですが、
あ、10話目投稿の後にマガジンは公開します。で、11話以降最後まで追加していくようにしますので、500円で完結までご覧ください。まぁ無料公開部分だけでもプロ野球50年史的に読んでいただけるように書いてまいろうかと思います、
あ、はいはい、ここまでのあらすじは
江川は1973年のドラフトで巨人に指名され入団。背番号「16」
1974年、1年目から20勝し巨人は「V10」を達成し、川上監督勇退、長嶋監督が選手引退し監督就任
1975年、王選手の怪我の影響で打撃陣が振るわず、投手陣も江川以外不調で大洋と僅差の最下位。江川は14勝。優勝は広島。長嶋監督は、今後一回でも優勝を逃したら監督を辞めると宣言。
1976年、張本選手獲得。打線が強化。江川のライバルとして阪神掛布が登場。江川は勝ちまくり29勝を挙げるも30勝は掛布にホームラン打たれて阻止される。巨人はリーグ優勝とともに阪急を破って日本一。江川はセ・リーグのMVP
1977年、阪神の田淵選手を堀内投手とトレードで獲得。堀内とともに吉田捕手も阪神へ。また、ドラフトでは東海大相模の原辰徳選手と津末英明選手を強行指名して獲得する。堀内は意地を見せて活躍するが、巨人の江川がさらに圧倒的な成績を挙げ、王が本塁打世界記録を達成するなどして2年連続日本一となる。
1978年、今度は南海の江夏豊投手を張本とのトレードで獲得。さらに大洋からシピンを獲得。2年目の原と津末がレギュラーをつかむ。新人捕手山倉が加入、江川の投球がさらに冴えわたる。王と田淵2人合わせて80本塁打。江川は防御率0点台でMVPと3年連続沢村賞。江夏は38セーブでセーブ王となり、巨人は3年連続日本一。なお、張本は南海でプロ野球史上初の4割打者となる。
あ、江川は今のところ、プロ5年で107勝29敗ですw
ただまあ「高卒で入っていたら300勝してた」という輩も結構いるので(知り合いでw)、このくらいのペースじゃないと到達しないし、たぶん勝率的には8割くらいで行かないと無理かなぁと。
そういうわけで、1979シーズンのシミュレーションに入ります。
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