アイドル50年史④1977、1978年
「ピンクタイフーンときらきら光る硝子坂と756号国民栄誉賞と挫折を初めて知った年と」
1977年、私は中学一年生になり、たぶん自分の今の人格の基本は、中学生時代で築かれたと思います。
「汚れちまったなぁ」
そもそもバスケ部に入ったのが、かなりイキってたのかな。当時の身長141センチ体重27キロという超小柄で、しかし、球技のセンスは、小学校のときは結構無双で、ホントは野球部入りたかったんだけど、その中学校には野球部が無く、しょうがないから一番過酷な部がバスケ部と聞いたから入ったということで、同時に入った他の同級生は私より全て一回り大きく、なんなら女子でも私より小さい人はいないという、あ、1人いたか。私が好きだった人w
で、体を壊して半年で活動終了し、なんかスポーツに関する挫折感を味わいました。しかも体格で、周囲の同級生にガンガン差をつけられ、成長遅れで私だけ毛が生えてないということで、女子の前で全裸にされたというイジメも受けました。ただ、学力だけは中学生の域を当時は超えていて、勉強することが心の支えとなり自殺しないで済みました。
で、そんな私の心の励みは「王さんのホームラン」でした。ハンク・アーロンの持つ本塁打世界記録755号(実は「世界記録」はジョジュア・ギブソンのニグロリーグで積み重ねた800号)をいよいよこの年に破れることになります。
そして、9月3日、確か土曜日だったと思いますが、その瞬間をテレビで見ることは出来ませんでした。長野県では、放送枠の関係で、その時間帯は別番組を流しておりました。
さて、アイドル界は静岡県出身の女子二人組が一気にスターダムにのし上がり、一大ブームを巻き起こしました。その名はピンクレディー。こちらも実は「スター誕生!」出身なんですよね。
山口百恵は、どうもこの頃から三浦友和とくっつき過ぎている感があって、男子というより女子のファンが少し離れた感じがします。そこの空席をピンクレディーが、特に小中学生はほぼほぼピンクレディーに「入信」しておりました。
なんと言っても「見てて楽しい」です。振付けも少し練習すれば、中学生女子ならたちまちマスターできるし、単にステレオタイプで見るだけじゃなく、自分もやってみて楽しめるというのがあったのでしょう。まぁ「フォーリーブス」も居ましたが、バック転は難易度高いかと。
ただ、私はピンクレディーよりもキャンディーズの方が好きでした。
この年のレコ大は沢田研二の「勝手にしやがれ」、最優秀新人賞は清水健太郎の「失恋レストラン」。あと、石川さゆりが「津軽海峡・冬景色」で演歌歌手としてブレイクした年でもありましたが、
私が、この年のアイドルの代表曲を掲げるとしたら、ピンクレディーごめんなさい。私に刺さった楽曲は、高田みづえの「硝子坂」です。「私の前には硝子坂キラキラ光る硝子坂」が、なんとなく当時の私と被るところというか、身体は大きくならないし、何か思い通りにならないし、たぶん部活をやってる同級生は、仲間と手を取ってその硝子坂を登って成長していくのに、自分はなんだよ。でもいい歌じゃねえかとw
最初はこの曲、あまり注目されてなかったと記憶していて、「オールスター寒中水泳大会」で水中騎馬戦で「お約束シーン」の左端画面のワイプで流れていたのを、私は「お約束シーン」を忘れてこの曲に集中してしまった記憶があります。
「普通の女の子に戻りたいとヤクルト初優勝と逆転のPLと」
何をもってして「普通の女の子」と言えるのだろうか。そもそも「普通の女の子に戻りたい」と言ってること自体、普通の女の子ではなかろうか。そして、この時のキャンディーズの平均年齢は23歳ということもあり、そもそも「女の子」って表現はどうかと「当時の自分」は疑問に思ってました。
女の子がいつまでも女の子なのは、35年前の高田馬場のピ●サロで「では、今から女の子が来ます」と言われ、出てきたのがどう見てもうちの母親よりも年は遥か上な人がやってきて、それでも見事に発車させられ白い灰にされたことで、いつまでも女の子という真実は身にしみて思い知らされました。
キャンディーズ解散の話から随分と脱線してしまいました。私はキャンディーズの楽曲の中では「ハートのエースが出てこない」かなぁ。そういやキャンディーズ解散のあと、日活ロマンポルノで「スキャンディーズ」ってのが出てきて、その後「ピンクキャンディーズ」ってのも出てきて、ピンクキャンディーズの「背中に御用心」をカラオケで歌おうと思っても数年前のDAMにはありませんでした。って、キャンディーズの話からまた脱線してしまいました。
最後の解散コンサートは後楽園球場で、確か「信濃毎日新聞」では一面にも載りました。学校でも話題になってたかな。私はその時、クラスで村八分になって横目で見ていたような気がします。
ストレスのはけ口は、学友からも父親からも受けていたなぁ。まぁここでの深堀はやめとくか。
この年1978年のレコ大はピンクレディーの「UFO」。最優秀新人賞は渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」。新人賞受賞者の方がレコ大受賞者の年齢を上回りました。ってか渡辺真知子じゃなくて、これが「青葉城恋唄」のさとう宗幸ならもっと如実でしたが。
しかし、ピンクレディーブームも、この年末あたりには下火になっていて、9枚目シングルの「カメレオン・アーミー」はついにオリコンで1位になりませんでした。
で、私のこの年の代表曲は、天馬ルミ子の「教えて下さい神様」です。私と同じ1964年生まれ。そうです「杉田かおる世代」ですw。杉田かおるの偉大さは、You Tubeで詳しく語っているのでここでは割愛させていただきます。
子役ではなくアイドルとして、シニアデビューを果たし、私の世代からこんなにも早く「レッツゴーヤング」に登場したことに、私は意味のない嫉妬を感じました。しかし、世代のトップランナーとして杉田かおるに次いで名乗りを上げてきました。当時はポスト山口百恵の呼び声もかかりましたが、実は出てきたのが早すぎたかも知れません。比企理恵もそうだと思うけど。
「教えてください神様」は、本人がYou Tubeで自ら歌っているのを上げています。あの曲のテンポが本当に心地よくて、歌もかなり上手いんですよね。
あとは、「ニューミュージック」とか言って、矢沢永吉とか松山千春とか井上陽水とかアリスとかが紅白辞退するなか、ツイスト、原田真二は出場してくれました。特に原田真二は、今さらながら凄い天才だったと思います。「音楽の申し子」って感じでしょうか。
あ、プロ野球はヤクルトスワローズが球団創設29年目で初優勝し、日本シリーズも制覇しました。日本シリーズは六大学野球開催期間につき、ヤクルトのホーム分は神宮ではなく後楽園で行われました。夏の甲子園は「逆転のPL」。あまりにも神がかっていました。宗教って大事なのかなと少し考えたりしました。
中学2年の私は、身体は小学生のまま相変わらず成長せず、同時期に道程捨ててるヤツもいるというのにという、変な劣等感から、父親の目を盗んで叡智な雑誌や深夜番組を片っ端から見てました。しかしこれを本格的に活用できたのは、高校卒業してからでしたw
GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ