見出し画像

プロ野球シミュレーション「最初から巨人江川」第2球「デビュー」

実際の江川卓投手のプロ野球というか巨人軍における生涯成績は、266試合登板、1857回1/3で7509人の打者と対戦し、135勝72敗、1366奪三振、防御率3.02。完投110、完封27。プロというか巨人在籍は9年でした。年平均でちょうど15勝(8敗)となっております。

これについて、多くのオールド野球ファンは、「高卒で入っていたら、もっと勝てた。」と語っております。

あ、前回言い忘れてましたが、実際の江川投手は1973年のドラフトで阪急ブレーブスから指名されましたが入団を拒否して法政大学に進学しています。大学では通算47勝と、東京六大学リーグでは2番目の記録となっています(1位は山中正竹氏の48勝)。なお、大学進学についても本人の第一志望は慶應大学だったのですが、入試に落ちてしまい、これがなんとNHKのお昼のニュースで流れたりしていました。

どうだろうなあ、高校野球の選手で歴代で一番騒がれたのは、KKだの松坂だのハンカチだのいますけど、私はこの人だと思いますねえ。

と、前置きはここまでとして、本題とします。さて、めでたく巨人入りを果たした江川投手は1974年のデビューシーズンを迎えます。

前年は、阪神タイガースに寸前まで優勝をさらわれるところまで行きましたが、阪神が「自滅」してしまい、巨人が逆転優勝し、日本シリーズでも勝って9年連続「日本一」になりました。

王貞治選手が三冠王を獲得する活躍をしましたが、「ミスター」長嶋茂雄選手の勢いの衰えが目立ち始め、ほかのレギュラー陣も結構な高齢化となってきていて、実際このシーズン当初のスタメンで20代なのは開幕時28歳9か月の高田繁選手一人でした。捕手・森、二塁手・土井、遊撃手・黒江、外野手の柴田と末次、そして一塁・王、三塁・長嶋いずれも30代で、シーズン後半に河埜和正選手が黒江選手と代わるまでは、これが不動のスタメンでもありました。

王選手の存在で巨人の野手陣の勢いがあまりないことはボヤけていましたが、実際にチーム打率はよくありませんでした。まあそれでもリーグ3位でしたが。

逆に投手陣は充実していました。なので、江川投手を獲得する必要性がそこまであったのかどうかという疑念を持つひとも少ないながら(あ、私の知人でそんなこと言ってるの1人w)存在しており、何といっても堀内恒夫26歳、高橋一三28歳と左右の15勝級エースが健在で、三番手に関本四十四25歳がいて、さらに前年18勝を記録した倉田誠28歳がいて、まずは「4本柱」が存在していました。

当時の先発投手は、ほぼほぼ3~4人で回していて、疲れが見えてきたときに「谷間」にほかの投手を1人挟むかどうかといったところでした。さらには小林繁、新浦寿夫、横山忠夫、玉井信博、小川邦和、島野修などの若手投手陣もひしめき合い、ベテラン勢では高橋善正が健在でした。

さて、ここからシミュレーションですw

ここから先は

1,858字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?