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社長はつらいよ

 リクルートの創業者・江副浩正氏は、経営者は一つの職能であると言っています。管理職、ワーカーとは全く異質の職能なのです。

 江副氏は次のように語っています。

「経営者は、相手によって言うことを変えなければならない。場所によって言うことを変えなければならない。本来、取締役会に話をしてから新聞発表するところを、新聞発表してから事後的に、取締役会がそれを追認する、と言うこともある。人に対する好き嫌いがあってもそれを表に出してはいけない。社員に対しても取引先に対しても非常な面と温かい面の両面を持たなければならない。ときには攻め、ときに守る『攻撃と防御』の両面に強くなければならない。このような多面的な要素を求められるのが経営者の職能である。したがって経営者は孤独である」

 物事には二つの側面があります。

 「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざがある一方で、「寄らば大樹の陰」というのもあります。「鶏口となるも・・・」は、大きな組織の中で後ろの方にいるよりも、小さな組織でトップになるほうがいいという意味ですが、「寄らば大樹の陰」では、大きな組織にいる方が安全で安心でき、利益を得ることも多いという意味になります。

 これに限らず、まるっきり反対の意味を表すことわざは、少なくありません。「善は急げ」と「急がば回れ」、「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎児を得ず」、「一石二鳥」と「二兎を追う者は一兎をも得ず」などです。

 どちらも間違いではないのです。善と悪、神と悪魔、表と裏、昼と夜、男と女、西洋と東洋、儲けと損、効率と無駄などあらゆる概念は二項対立でとらえることができます。コインの表と裏のように、どっからが表で、どこからが裏と分けることはできません。善の中にも悪が潜んでいる場合もあります。逆も然りなのです。

 経営者は「決断業」と言いますが、A案とB案があったらどちらかを選ぶと言うのではなく、全く違うC案を採用することもあるのです。A案「やるか」、B案「やらないか」でなくC案「どちらでもない」を採用することです。

 C案「どちらでもない」とは、戦術上は仲良くするが、あくまで戦略は戦って滅ぼす、建前は服従するが、本音では反撃のチャンスを窺うことなどです。

 修羅になるときもあれば菩薩になることもある、叱るときもあれば誉めるときもある、本音を語るときもあれば相手を騙すこともある、前面に出ることもあれば最後尾に隠れることもある、一筋縄ではいかない「多面性」を持つこと、それが危険をかわし、勝機を招くのです。

 ライフストアの創業者・清水信次氏は食料品にこだわり続けました。しかし、チェーンストア理論には一歩も二歩も引いていたように感じます。

 高度成長期を迎えた日本では、1956年(昭和31年)には「西友」の前身となる「西武ストアー」が設立。1957年(昭和32年)は、のちにGMS(ゼネラル・マーチャンタイズ・ストア)やショッピングモールを取り入れて業界を牽引する「ダイエー」が創業。1961年(昭和36年)には「イトーヨーカ堂」の前身「ヨーカ堂」がレギュラー・チェーン化に着手しました。

 ライフストアの1号店は1961年(昭和36年)です。清水氏は、1本20~30円の大根を並べるより、1着1,000~2,000円の衣料品を売る方が儲かることは分かっていても、衣料品を扱わず、食料品一本に絞りました。事実、ダイエーは別格として、衣料品を中心としたイトーヨーカ堂、ニチイ、ジャスコ(現イオン)などのGMSはどんどん伸びて巨大化しました。しかし落日も早かったのです。

 ライフストアは同時期に創業したスーパーの中では最後尾を走ります。70~80年代前半までは注目されることはありませんでした。注目されたのは、1989年7月に起きた不動産会社秀和による流通株買い占め騒動の時でした。ライフと忠実屋、いなげや、長崎屋の中堅4社合併により売上高1兆円の流通企業を生み出すという清水氏の構想が表面化したのです。この構想は、忠実屋、いなげやの徹底した抵抗にあい流れました。

 5年後の1994年(平成6年)、清水氏は、ライフストアの年間2ケタという新規出店「怒涛の大量出店」の大号令を発するのです。そして1999年(平成11年)、売上高3,578億円で食品スーパー売上ランキング一位に躍り出たのです。スーパー全体では7位。上位6社はすべてGMSです。

 2022年は、スーパー全体で4位、食品スーパーで1位を続けています。

 スタート時には後塵を拝し目立たないように実力を蓄え、1997年(平成9年)日本がグローバルスタンダードを受け入れ、外資が市場参入すると情報を得るや、外資を迎え撃つ体制の整備に取り掛かったのです。それが1994年(平成6年)の「怒涛の大量出店」だったのです。2000年(平成12年)の大店立地法が施行され、都市部での新規出店が難しくなることに備える面もあります。

 食料品に特化することで、ユニクロなどSPI企業の台頭による衣料品の販売不振という難を逃れることができたのです。

 同時に「脱ワンマン経営」を企てます。各店舗において店長の権限を拡大し、ライフの経営における「清水信次」の存在を潜めたのです。これを本人自ら「潜みの経営」と呼んでいます。最後までワンマン経営を貫いたダイエー創業者・中内功氏とは好対照です。

 経営者は菩薩と修羅の間を行き来する、いずれにせよすべてにおいて責任を持つ。これが現時点での私の結論です。

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