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シュートする!

 「影をお呼びか」「影はここに」。「影」とは選ばれし者、秘密戦士です。特命を帯び、任務のためなら自らの命を惜しまぬ者たちです。

 陸軍中野学校の教えは、「謀略は『誠』なり」。昭和13年の開校から敗戦までの7年間に卒業した2,300名以上の秘密戦士たちは、銀行員や商社マン、新聞記者や商人など別の人物になりすまし、日本国内をはじめ世界各地に派遣されていったと言います。そのうち戦死者は約300名、刑死者約10名、行方不明者は400名ほどにのぼると言います。

 諜報活動の実態については、陸軍内でもトップ・シークレット扱いであったうえ、卒業生たちは「功は語らず、語られず」「地位も金も名誉もいらぬ。国と国民の捨て石となる」という精神を貫いたため、今も闇の中です。

 1966年に制作された大映映画「陸軍中野学校」では、主演の市川雷蔵(三好次郎役)ら卒業生は、ある日を境に本名を捨て、恋人を捨て、家族を捨て、将来を捨てなければならない状況に置かれます。「優秀なるスパイは一個師団、2万人の兵力に匹敵する。日本のために身を捨ててスパイになってくれ」と加東大介演じる陸軍・草薙中佐に命じられるのです。

 中野学校卒業生は、大陸やインド、東南アジアなど南方を舞台に活躍します。大東亜戦争休戦後も、秘密裏に特務を遂行し続け、次々と欧米の植民地を解放していったのです。

 「パレンバン落下傘部隊」は、大東亜戦争初期に結成されました。スマトラ島南部にあるパレンバンには、オランダ植民地時代にインドネシアの85%の石油を生産していたプラジュ油田とロイヤル・ダッチ・シェル製油所がありました。資源のない日本が戦争をする上で油田を制圧し、石油供給基地を確保することは、日本軍の南方作戦における最も重要な戦略目標だったです。

 1942年(昭和17年)2月14日朝、500人の日本軍挺進隊(落下傘部隊)はマレーシア南部のカハン飛行場を飛び立ち、パレンバンを目指しました。地上の連合軍はオランダ軍と英軍を合わせ2千人だったと言います。

 そして、待ち構えていた敵兵との戦闘が始まりました。一晩続いた戦闘の後、連合軍はパレンバンを放棄したのです。日本軍の奇襲作戦は成功し、製油所を制圧します。大戦果だったのです。

 植木等主演「無責任シリーズ」のメガホンをとった古澤憲吾さんは、「バレンバン落下傘部隊の勇士だった」と自称していたそうです。実際は、古澤監督が落下傘部隊に入隊するのは、パレンバン作戦の後だったと言います。

 古澤監督はやたら目ったら元気がよく、簡単にリハーサルをすると、「シュートする!」と叫んでカメラを回したそうです。「シュートする!」とは、輸送機から落下傘を背負って落下します。着陸地を間違えると敵のど真ん中に落下することになります。敵をなぎ倒し、仲間と合流し、敵地を制圧しなければなりません。高度な判断力と勇気が必要とされるのです。

 そんな気持ちを込めたのかどうか、古澤監督は「シュートする!」と叫んだのでしょうか。

 NHK土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」では、古澤監督役を勝村政信さんが演じました。勝村さん、いい役者です。

 「八咫烏(やたがらす)」とは、日本神話に登場するカラス(烏)であり導きの神です。神武東征の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされています。

那智の滝

 「八咫烏」は、戸籍も氏名もないと言われます。生まれながらにして選ばれしもので、特務を帯び、歴史の重要事件に度々登場するともいわれています。「影」であり、秘密戦士なのです。

 数年前でしょうか。千葉県香取市になる香取神宮に祈祷を捧げるために拝殿に待機していたところ、黒い背広を着た屈強な男性120人が拝殿に上がってきたのです。どっかの反社会勢力の襲名式かと思いました。屈強な男性たちは陸上自衛隊習志野第一空挺団だと思われます。私の記憶違いでなければ、三本足のカラス(八咫烏)がデザインされた団旗が見えました。この団旗に習志野第一空挺団の責務の大きさと誇りを感じました。

 私は、経済産業大臣登録「中小企業診断士」の資格を30数年前に取得しました。民間にあって、「どうしたら弱い者が強い者に蹂躙されるのを防ぐことができるか」「どうしたら大型店に負けない店を作るか」。「どうしたら!どうしたら!どうしたら!」心魂を傾けてきました。

 「中小企業診断士」とは、陸軍中野学校卒業生とは比べものになりませんが、草の根から、中小企業を自立・発展を「影」ながら支援し、働く人を豊かにすることが、「国守り」につながると信じています。

 さあ、明日も「シュートする!」ぞ。

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