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3月11日(過)

『―あの日から12年』

今日は、そんな字幕をたくさん見た。

そうか。
もう。
あの日から。
そんなに経っているのかと。
ふと、思った。

だから、少しだけ。
あの時の事を、思いだした。

先に行っておくが、私は、地震とはほとんど無縁の地域に暮らしている。
あっちの方には、行ったこともない。
うん。正直一度ぐらいは行ってみたい。夏場あたりに。

まぁ、前置きはこのぐらいにしておいて。
過去の思い出を少しだけ。


あの時。
私はまだ、小学生だった。
今の私を作り上げたのは、あの時期に色々あった、あれこれなのだけど。
まぁ、それは関係ない。

あの日。
時期が時期だったので、丁度遠足に行っていた日だった。
お別れ遠足か何かだったはずだ。
今もあるのだろうか、お別れ遠足。

あの時間。
遠足先から、学校に帰ってきたタイミングだっただろうか。
その、大きな揺れがあったと聞いたのは。
正直、どのタイミングだったかは、詳しくは覚えていない。
ただ、学校に帰ってきたら、やけに教師陣がざわついているのは、なんとなくだが覚えている。
まぁ、あの時の遠足先が、海の近くにある公園だったということも、あるのかもしれない。
……関係ないか。
あの時の教師陣の心境は全く分からない。

その日。
なんだか、もやもやした気分で、帰宅した。
うん。あの頃は、被害の大きさとか、悲惨さとか、そういうのは全く分かっていなかった。
家に帰って、テレビをつけて、ようやくわかったのだと思う。

迫りくる波と。
走る人の姿と。
飲み込まれる車と。

今でもたまに流れることがあるが。
あれは、もう。見たくはないな。正直。
事前に注意喚起があるとはいえ。

でも。
やっぱり実感はなかった。
遠い国の、話のように思っていたと思う。

でも。
私が。
あの時。
被災地の映像が。
流れるたび。
毎日不安を覚えていたことは。
確かだった。

なぜか。

父の仕事が。
そういうもので。

被災したあの土地に。
行っていたのだ。

宮城県の、女川町。
という所に、行っていたらしい。
家に帰ってきてから。教えてくれた。

何を不安になっていたかって。

あの。
今にも崩れ落ちそうな。
コンクリートの塊の中に。
今にも流れてきそうな。
土砂崩れの中に。

その中に。
父は、人を探しに行くのだ。

その中から。
父は、瓦礫を運んでいるのだ。

もしかしたら。
倒れるかもしれない。

もしかしたら。
崩れるかもしれない。

もしかしたら。
もしかしたら。
もしかしたら。

―いなくなってしまうかもしれない。

そんな不安に。
襲われていた。

父の仕事が、そういうものだと言うのは。
もう。昔からわかっていた。
仕方ないことだと。
そういうものだと。
思っていたし。
分かっていたし。
それが、誇るべき父の仕事だと。
思っていた。

それでも。
それでも。

失うかもしれないという。
不安は。
つきまとう。

被害にあった人には。誠に申し訳ないが。
あの時は。
父を失うことの方が。
よっぽど。
私には、耐えきれなかった。

幸いにも(と言っていいのか分からないが)、父は特に大きな怪我をすることもなく、家に帰ってきた。
むしろ、その後の日々の方が、怪我していたりする。
きっと、定年まで働くだろう。
あの人は、ああいうところで働く方が、性に合っているのだ。

今でも。
不安になることはある。
父の仕事は。
何かしらと、隣り合わせになるものなのだ。
あの日のあとにも。
他のところに出向いたりもしていたし。

なにより。
私より、きっと母の方が不安だと思うのだ。
私より、長い時間を父と居るはずだし。
我が家の両親は、こちらが見ているのも気まずくなるぐらい、仲がよろしいのだ。
何で結婚したんだろうと、思う時も、あるにはあるが。

だからまぁ。
あの日の。
12年前の。
あの日々の。
私の不安は。
今でも思い出として。
ひょっとしたら。
トラウマとして。
残ってはいるけど。

うん。
どうやってもぬぐい切れないし。
付き合うしかないんだと今は、思えるし。
というか。
普通に健康不良でどうにかなりそうなのだ。
そっちの方が、今は問題である。

思っていたより、長々と書いてしまったが。
これが、あの日の。

12年前の。
私の思い出だった。

何も、役にはたたないな。

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