みんな「自分だけの大切なメガネ」をかけている。
私がアドラー心理学に出会ったのは、「ELM勇気づけ講座」というアドラー心理学をベースにしたコミュニケーション講座です。
この講座の中で、「さまざまな見方、考え方の存在を認める」という章があります。
この人はなんでこんなことするんやろう?とか、あの人ほんま信じられへんわーと、相手のことが理解できない時に役に立つ章なのですが、この章ではそんな時、その理解不能な行動にある「背景」に目を向けることを大切にしています。
背景に目を向けるとは、「なぜその人はその行動をしたのか、その目的は何か」に興味を持つということ。
人は誰でも自分特注のメガネをかけて世界を見ています。
それは「自分の主観で世界を見ている」ということです。
誰かにとっては当たり前でも、誰かにとってはあり得ないことかもしれない。
誰かにとっては信じられることかもしれないけど、誰かにとっては嘘にしか聞こえないかもしれない。
誰かにとっては苦しいことかもしれないけど、誰かにとっては嬉しいことかもしれない。
同じ出来事を経験しても、「何が見えて、何を感じるか」は、その人特有のメガネ(主観)によって違います。
大切なのは、なぜそう感じたのかという「背景」に目を向けること。
自分にも相手にも同じように主観があって、
それぞれの見え方、感じ方がある。
なぜそんな風に感じたのかな
なぜそんな風に思うのかな
私はこういう風に感じるよ
私はこういう風に思うよ
お互いのメガネに興味を持ち、話し聴き合う。
どちらかが正解で、どちらかが間違っているみたいなジャッジをするでもなく、普通みんなこうやろーみたいな多数決でもなく。
私たちは同じではないけれど、対等。
お互いの存在を認め合い、ただただまっすぐに自分の思いを言える世の中であってほしい。
自分の正しさを主張するのではなく、「主張することの正しさ」を大事にしたいです。
そして、自分がなぜそう感じたのか?と、自分のメガネに興味を持つことも大切だと思うのです。
自分が大切にしていることは何なのか。
周りに目を向けすぎると、分からなくなってしまうから。
「自分を知る」
きっと運命学の世界はそのきっかけや手助けになるのだと思います。
自分特有のメガネ(主観)は、自分の体験した出来事や環境はもちろんだけど、持って生まれたものや過去の記憶にもきっと関係してるんだろうなぁと思うのです。
子供って、なぜかみんな「どんぐり拾い」が好きで、なんでなんやろうって不思議に思っていたのですが、どこかで「それは人類の記憶として、どんぐりが落ちているということは、そこには豊かな生態系がある、命をつなぐことができるという喜びの記憶だから」というような記事を読んで感じたのです。
誰にも教わっていない、そんな深い深い記憶をみんなが共有していて、そんな深い深い記憶が今の私たちの行動に影響している、何かをもたらしてくれているんだと。
自分は自分だけでできてるのではないんだ。
遠い過去からいろんなものが繋がって、今生きている私。
そんな私が持って生まれたもの。
持って生まれたからこそ、私にだけ見える世界がある。
私にだけぴかぴかと光って見える、大切なことがある。
みんなそれぞれ、そんな大切なメガネをかけて、今日も世界を見ている。
人と関わることで、傷付けられたり、傷付けてしまったり、時に怖くなって距離を置いてしまうこともあるけれど、でもやっぱり、じーんと、ふわふわと、あったかい気持ちにさせてくれるのも、人との関わりだと思うのです。
私のこの思いも、あなたのその思いも、どちらも大切で、どちらかが秀でている思いで、どちらかが劣っている思いではない。
みんなそれぞれの「大切なメガネ」を意識することで、傷付くことも、傷付けられることも、きっと違う形へ変化していくのではないかと思うのです。