あとがきのようなもの
『絶望鬼ごっこ さらば地獄鬼ごっこ』発売しました。
24巻続いたシリーズも、ようやくフィナーレとなりました。
1巻が発売されたのは9年以上も前で、僕が新人作家だったのはもう一昔前のことになってしまいましたが、とりあえず一区切りついたいま、駆けだしのころの気持ちを忘れないうちに、ここに残しておくことにします。
作品の中身とはまったく関係ないので、読者の方はパスしてもらえるとうれしいです。
読者の子たちからたまに、「絶望鬼ごっこはどんなきっかけで思いついたんですか?」と質問を受けるのですが、僕は結構返事に困ってしまいます。
僕がデビューした当時の児童文庫は、男子向けの企画を通すことが、非常にむずかしい状況でした(今も変わっていませんが)。
公募に完全KYな作品を送りつけて落選した僕に、担当についてくれた編集者は、「男子は本を読まないようです」「男子向けはむずかしいです」と繰り返し説得してくれました。
すれ違いは、僕がエンジニアであったことで、「課題を抱えている」とか「むずかしい」と言われると、その原因を分析して解決してみたくなってしまうという、困った悪癖を抱えていたところにありました。
編集者は、児童書のことを何も知らない僕に、こんな課題を出しました。
「まずは30冊くらい、徹底的に児童文庫オリジナルの作品を読んでください。それで影響されてしまうようなら、50冊100冊読んでください。『他の作品を読むと影響されたり、意識しすぎて身動きがとれなくなったりするから、読みたくない』という意見を作家志望者からよく聞きますが、私に言わせれば読む量が足りないからです。大量に読んでいると、上澄み部分だけが残って細部は忘れていけます。そのなかで、読者の望む潜在的なポイントを見つけ出すことが、ヒット作を物す近道です」
僕は少年ジャンプの修行編のようだなと思いながら、編集者の言葉を聞きました。めちゃくちゃ素振りをすれば剣で岩を斬れるようになるし、1日1万回の正拳突きを続ければ、拳は音を置き去りにする。
少年ジャンプの修行編は好きだったので、僕はこの課題を、結構おもしろくこなしました。とりあえず50冊、60冊、と、当時の児童向けのエンタメ作品を、片っ端から読んでいきました。その際は、mustと言われた人気作品とは別に、男子向けに出版された「大失敗した」という本の数々も、いっしょに取り寄せて読んでみました。売れなかったら「失敗」って言われちゃうんだな…という実感は、のちのち効いてくることになるのですが、このときはさほど気にもなりませんでした。
たくさん読んでみたうえで、思ったことはこうでした。
「だいじょうぶ。売れていないのはつまらないからで、僕の方がおもしろく書けるから」
傲岸不遜極まりないのですが、まちがいなく当時の僕の本音です。
おもしろいと思ったものは、女子向けのそれほどではなくとも売れており、爆死といわれるほど売れなかったものは、男子が、女子が、という以前に、小説としての完成度が劣であるか、パッケージング面でいまの子供向けになっていないか、そのどちらかであるように僕には思えました。
おもしろい本は出ているのに、まるで売れていないということならば、「そうか、男子は本を読まないのかもな」と、納得ができたのだと思います。が、読んでみたかぎりでは、そういうことではなさそうに、僕には思えました。
そもそも当時、男子向けの方向性で出版された本は、この課題のなかですべて読みつくしてしまえるくらいに出版点数自体がほぼなく、編集者が言うほどには、なにがしかの結論を下せるようなデータ量ではないように、僕には思えました。単純に、みんなやってないだけなんじゃないかなと。
僕は、各作品の抱えた作劇的な問題点の洗い出しを行い、どうすれば子供読者が楽しめるようになっただろうか、自分なりの修正点を考えてレポートを作成しました。
そして、たくさん読んでいると、そのなかに、「共通パターン」のようなものがあるのも見えてきました。
「おもしろい」には、必ずしも理由は必要ないが、「おもしろさが伝わらない」には、必ず理由があるということを、僕はこのとき学びました。
「おもしろい」は、作家の長年培った技術や、個々人の資質、興味、ひいては生き方や人生観によるものであり、それらは「こういうところがすごいな」と見えたところで、一朝一夕で真似できるようなものでも、参考になるようなものでもありません。
でも、「おもしろさが伝わらない」のは、丹念に物語を分析して見ていけば、物語が内包しているはずのおもしろさと読者の間をつなぐ導管に、必ずなんらかの不具合があることを発見できます。作り手側の想定していたものと、受け手側の受け取るもののあいだに生じるズレと、その原因。それらを収集していけば、「こういうところが失敗しやすいんじゃないか」というパターンのようなものが見えてくる。それらは気づきさえしてしまえば、自分の参考に役立てられるものでした。
それまではなにも取っ掛かりがなかったけれど、僕は自分なりの指標、レーダーが手に入ったような気がしました。これならば、最低限、なんの目算もなく地雷原を駆けるような愚は避けられるはずです。
たくさん読んでいくうちに、僕はある程度の手応えを感じることができました。
課題があって、その問題に対して分析し、原因を探り、こうすればうまくいくんじゃないかな? という、仮説を立てることができた。
うん、やっぱり、男子は本を読まないという結論を出すのははやい。
いくらでも試せることはありそうだ。
ワクワクしてきました。
でもとうぜんですが、そんなものに意味はありませんでした。
編集者たちと話すうちに、僕は自分のかんちがいに気づきました。
重要なのは、「男子向けとして出したものが数字が出なかった」という事実であって、「じゃあどうしてダメだったか?」という部分になんて、そもそもだれも興味はなかったのです。
むしろ、みんな、そこには触れてほしくないように、僕には思えました。
みんな、僕とはちがって、まっとうな社会性を持っており、作家と編集者が頑張って作ったけど売れなかった作品に必要なのは、「私は面白かったと思うんですけどね…」という気遣いの言葉であって、僕のように墓場を掘り起こして死亡原因を探るような真似は、むしろ不快を感じさせるだけの行為なのであろうと。
人付き合いが苦手でした。
「やってみたいですね」と言われると、「やってみたいのだな」と思ってしまう。
実際には、「やってみたいですね」と「やってみましょう」のあいだには海よりも深い溝があり、みんなまっとうな社会人だから「やりたくありません」とは言わずに「やってみたいですね」と言うだけの話で、遅ればせながらそのことに気付いたとき、僕は、なんだ、ここもそういう世界か、と思いました。
出版は夢でした。
それは苦手な人付き合いをスキップして、自分の力でなにかを切り拓くことができる場だと思っていたからでした。
でもそうか、ここは僕が苦手だった世界と地続きなんだな、ということにようやく気づいて、すこし白けた気持ちになりました。
それでも、これは夢であり、いまとなっては仕事でもあるわけです。
僕は方向転換を試みました。
編集者の期待に合わせるようにして考えはじめると、褒めてもらえることが増えました。褒めてもらえるのは単純にうれしかったし、作家として成功するためにはこうするべきなんだろうな、と僕は思いました。
書きあげた作品は編集者に絶賛してもらえ、これは売れるね、と太鼓判をもらって、念願の出版がかない、読者からもかなりの好評をもらったあと……僕はプツリと糸が切れたように、なにも書けなくなりました。
自分が何が面白くて小説を書いていたのか、さっぱりわからなくなってしまった。
他社であたらしく担当がついたのは、そんなころでした。
異動してきたばかりの担当は、僕が提出したいくつかの企画を読んで、これがいいと思いますと、1作選んでくれました。
担当が述べた理由は、こうでした。
「このテーマ、編集長が好きそうなので、企画が通りやすいと思うので」
聞いて僕が思ったのは、こんなことでした。
「そうか。編集者も不安なんだな」
内容ではなく上司がどう思うかを気にしている担当に、腹立ちも呆れもありませんでした。
だって、僕は僕で、編集者を上司のように、その意見ばかり気にするようになっていたので。
僕は編集者の顔色をうかがい、編集者は編集長の顔色をうかがい……最低のサイクルができあがっていました。
これはひどいなあと思って、なんだか笑ってしまいました。
僕はそれまで、作品の中身しか気にしてきませんでした。
面白ければべつにいいじゃん、と思っていた。だって、いろんなところでそう言われているし。でも、人に夢を見せる業界の繰り出すフレーズを、中に入ろうという人間が真に受けてどうするのか。
編集者は、正解をわかっているすごい人なのだと思っていました。
それまで会ってきた編集者が言うこと、だいたいカッコよかったし。
でも、そんなことはなくて、みんな人の目を気にしているし、みんな正解なんてわかっていないし、結構変なこと平気で言うし、そのなかでうっすらとした道標を頼りにしながら、不安を抱えてやってるんだな、と思いました。
誰だって失敗をしたくはないし、自分が関わった作品を失敗って言われたくはない。
その不安や心細さを、僕は無視してやってきたのだろう。
だから話を聞いてもらえなかったのかもしれないと。
僕は、デビュー前から、ずっと勘違いしていたことに気づきました。
それは、べつに出来がいい作品とか面白い作品が、受賞するわけでも出版されるわけでもなんでもないということでした。
世に出るのは、一重に、「だれかに推してもらった作品」であり、「だれかがこれは世に出るべきだと背中を推してくれた作品」であり、「そう思い込ませた作品」であり、ようは、「だれかが自分ごとになってくれた作品」なのではないかと。
もちろん、出来がいい作品や、面白い作品は、そうしてもらえる可能性が高い。
でも、それは手段にすぎなくて、主体となる人がいなければどうしようもない。
結局は、人間の話なのではなかろうかと。
僕は、「作品の立ち上げ主体は、作家ではなく編集者なのだ」と考えるようになりました。
だって、作家は会社組織の外の人間であり、意思決定の稟議の場において、直接的に意見表明をする機会を持っていない。その機会が与えられているのは、編集者だけなので。
組織において、ノウハウも成功前例もないことをやろうとする場合には、それなりのパワーが必要であり、手がかりが何もないところから人の承認を得るためには、最低限、編集者に代わりに戦ってもらわなければならない。
作家にできることは、その戦いに参じるに足ると思ってもらえる、武器を提供することだけではなかろうかと。
僕は作品の方向性を考えるときに、自分が面白いと思うものだけでなく、担当編集者が自信を持って推せる方向かどうか、ということを、その交点を考えるようになりました。
担当が社内で推しやすいように、作品を変形していきました。自分が本当に大事にしている核の部分さえ守れば、そうした俗っぽい根性から行う変形であっても、創造性を保つことはできました(疲弊はしますが)。
それでも、いつ「子供はこんなもの興味ないよ」と卓袱台がひっくりかえるかとビクビクしていたし、原稿をめちゃくちゃ自分ぽくしてしまった(足の短い謎のウサギの登場です)ときには、ぜったい削れと言われるだろうとヒヤヒヤしていました。
実際、担当はその修正をあまりよくは思わなかったけれど、後日、編集長はその部分を褒めてくれて、僕が思ったのは、いろんな面白さがあって、いろんな面白がる人がいて、通じたり通じなかったりして、それだけのことなんだろうな…ということでした。
それが、自分にとって、「自信」というものだったような気はします。
デビューしてからたくさんの、「子供たちはこういうものが好きなんじゃないか?」「こういうものに興味を持っているんじゃないか?」という言葉を聞いてきました。
絶鬼についても、こういうところが良かったから売れたんですねとか、こういう部分が子供たちにウケたんですよとか言われることがたまにあります。
作家である僕の主観では、それらにたいした意味はないように思ってしまいます。
だって、僕にとっては、「上司が好きそうなので」でとおった企画でしかないんですもん。
大事なのはそうではなくて、「分析したこと」「検証したこと」「試したこと」「やってみたこと」じゃないかなぁと。
売れたかどうかはルーレットの玉がどこに落ちたという結果論であって、大事なのは、自分の力で制御できる部分、おもしろさを増やしてベットしてルーレットを回すというところまでであって。仮にそこでうまくいかなかった場合は、原因を考えて修正を試みてリトライすることであって。結果自体は、ジンクスなんじゃないかなぁと。
売れなかったら失敗なのかもだけど、べつにいいじゃん、失敗でも。次に活かせれば。(まぁ、予算が潤沢ならという条件がつく時点で、理想論であることはわかっていますが…)
長々と書いてきたのだけど。
「絶望鬼ごっこはどんなきっかけで思いついたんですか?」と小学生から質問を受けたときに、僕はそんないろいろなことを、考えこんでしまいます。
どう答えればいいんだろ? これ。
たぶんもうこう答えるしかない。「酒の席のノリだよ!」
…僕を子供の前に出してはいけない。
運が良かったなぁ、とずっと思っています。
ノリとタイミングで立ち上がった作品が、長く走ったもんだなと。
今後どれだけ走れるかは未定です。
個人的な意地とワガママは気が済んだし、結局なんも変わらんよな〜と思うし、それで誰が困るわけでもないしさ。
1巻を出したときは、1冊だけのつもりだったので、ラストにこんなふうに書きました。
んなこたぁなかったよ、大翔。
その後も23冊に渡って鬼でてきまくるよ。
地獄の穴ひらきまくってるよ。
おたがい、おつかれさまでした。